樹木解説
高さは20-30m、高いもので40m、直径80-100cmになる。葉は互生し、長さ4-12cmの広三角形または菱状三角形。葉柄は2-5cm。表面は光沢があり濃緑色、裏面は淡緑色で、表裏とも毛はなく、ふちは細かな鋸歯がある。雌雄異株。
08.11.09川越
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08.11.09川越
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09.01.28札幌
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補足
このHPを開設したとき見たい樹木のひとつであった北大のポプラ(セイヨウハコヤナギ)並木である。明治36年(1903)、大学の前身旧札幌農学校の農場内に実習用に植えられたのが始まりと言われている。平成16年、台風18号によりポプラ並木の約半数の巨木が倒壊した。大空に真っ直ぐ伸びる雄大なポプラ並木の姿は、北大のシンボルだけでなく、全国的にも北海道を代表する歴史的資産として再生された。みんなから愛されている並木であり、ここにも人と木の共生があるようだ。ポプラ並木の横に新渡戸稲造(ニトベイナゾウ)の胸像がある。新渡戸は旧札幌農学校出身で、日本精神を世界に紹介するために、「武士道」を英語で書いた。「武士道はその表徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である」という書き出しで始まるこの本を通して、世界に日本にも、武士道という優れた精神があることを紹介した。
小説の木々
半月前、諸岡を送ってきたとき見たポプラの樹は、夏の斜陽をうけ、無数の葉が小波のように揺れていた。・・初秋の札幌は空が高く、山が近づき、風にポプラが揺れていた。ふみ子はその空の高みを見ながら、これで一つの愛がはっきりと終わったのを知った。・・果てしなく続く平原のなかにポプラが点在し、その間に木造二階建ての校舎と牧舎、そして赤いサイロが見える。・・十勝の野はすでに枯れ、葉を落としたポプラと、褐色のぬいぐるみ人形のような柏だけが、冷えた空の下に佇んでいた。(「冬の花火」渡辺淳一)
道庁の赤レンガに雪がちらついていた。白くなったポプラのむこうで赤い洋館昔を見ながら建っている。沢山の冬を見て沢山の人の心を見て沢山の開拓の意気を見て、そして今、一人たたずむ私を見ている。・・私がこうして生きるのは人を愛し憎しみ許し、それらいっさいが涙と叫びになって大地に空にこぼれていくことだ。私の分身の涙が地にしたたり、一片の草を潤すならば、叫びの声が風にのってポプラの梢や山頂の雪と語り合うならばそれでいい。(「雪の断章」佐々木丸美)
水田のところどころにポプラの並木が立っている。こんど津軽へ来て、私は、ここではじめてポプラを見た。他でもたくさん見たに違いないのであるが、木造のポプラほど、あざやかに記憶に残ってはいない。薄みどり色のポプラの若葉が可憐に微風にそよいでいた。ここから見る津軽富士も、金木から見た姿と少しも違わず、華奢で頗る美人である。(「津軽」太宰治)
壇下の横にいる所長たちに狼狽の色が見え、幹部たちはあわただしく打合せの私語をはじめたが、講演中止を申し入れる余裕がなかった。窓には眩しい夏の陽が四角形にみなぎり、ポプラの枝が貼りついていた。上に飛行機の爆音が聞こえている。(「速度の告発」松本清張)