四国札所巡り第一回(2日目)

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いよいよの四国札所巡りへ、発心の道場 第一番霊山寺から第二十三番薬王寺まで

第六番温泉山安楽寺(おんせんざんあんらくじ)

11.04.28 7:36安楽寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 曇りのち晴れ
地蔵寺から5.3km、徒歩1時間30分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


5時起床、昨夜の雨は上がったが少し肌寒いくらいの曇天である。民宿の小母さんに見送られ6時半出発。ライラック、ナニワイバラ、オオデマリ、コデマリなど、歩く道々家の庭先には様々な花が咲いている。時期もまさに新緑の頃で、雨上がりの木々の緑が眩しいくらいである。元々が歩くこと、木々をみることが好きで、歩くなら目標みたいなものがある方がいいと始めた札所巡り。今までに歩きの秩父34箇所、公共交通機関利用の坂東33ヶ所、西国33ヶ所の100観音は訪ねた。その中でも四国は別格で、その四国を女房と二人で歩けることだけでも感謝すべきこと。朝、道行く地元の人は顔を合わせると「おはよう」とは「頑張ってね」と言ってくれる。こうした環境に入るには、最低でも遍路をしていることが分かる恰好が必要だと感じる。ある農家の前を過ぎる時、同じように挨拶したら、ハッサクを二つもいでくれ、次の寺に着いたら食べようと有難く頂戴した。

民宿前で民宿のおばさんが見送ってくれた

ライラックライラックも随分あちこちで見かけた

ナニワイバラこれは今年始めてみた難波茨

安楽寺本堂

安楽寺大師堂

大師像

太子駒つなぎの石

多宝塔

第七番光明山十楽寺(こみょうざんじゅうらくじ)

11.04.28 8:12十楽寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 晴れ
安楽寺より1.2km、徒歩21分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


下層が白い漆喰、上層が朱塗りの新しい山門を潜り、石段を上ると、右手に客殿と方丈があり、正面奥に本堂、その左手に大師堂がある。
 休憩しているとき四十代の男性が一人いたので、ここまで来る途中農家の方からもぎたてのハッサクを頂いたのでおすそ分けした。「どちらからですか」と聞くと同じ埼玉の所沢だという。こんな所まで来て、よく見知った地名を聞くのは、なんだか小説に自分の住む地域の名前が出てきたような気持ち。問わず語りに、この春会社を辞め、次のハローワークにいく5月22日まで、行けるところまで歩くのだという。会社を始める予定だとかでその人生の区切りに歩きに来たという。早速マメを作ったらしく、マイペースで歩くとのことで、今晩の宿も同じ藤井寺前の旅館吉野とのことであった。歩くのに靴は重要、一応履き慣れた靴を履いてきたつもりだが、私も5日目には歩き疲れと少々マメで苦労することになる。

地蔵尊

愛染堂

観音像

十楽寺本堂

十楽寺大師堂

治眼疾目救歳地蔵尊

大師像

愛染堂

第八番普明山熊谷寺(ふみょうざんくまだにじ)

11.04.28 9:41熊谷寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 曇り時々晴れ
十楽寺より4.2km、徒歩1時間10分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


道なりに行くと仁王門を潜らず境内に入ってしまった。ここの仁王門は桜並木に続き、高さ13m余りで四国霊場では最大の山門。山門を出ると草取りをしていたおばさんが「干し柿があるから食べていきなさい」とお接待。歩き遍路なら皆通る道で、あらかじめ用意してあるのだろう、タッパに沢山干し柿が入っている。「いくつでもいいよ」と言われるが持ち歩くのも荷物、一つずつ頂いて歩きながら食べる。果肉が厚く美味しい干し柿だった。遍路に対して「接待」をする風習は四国以外の霊場では見られない独特のものである。何も物だけではない、挨拶一つでさえ遍路への心遣いが伝わる。このあとでも見られるが、地元の人は遍路に対して特別の思いがあるようで、もちろん高価なものではないが、見知らぬ土地に来た遍路にとって大変有難いことである。子供達も遍路姿には気さくに挨拶してくれる、こんな習慣は残したいですね。

田と墓地

多宝塔

本堂へ

熊谷寺本堂

鐘楼

熊谷寺大師堂

桜木と仁王門

水田風景

第九番正覚山法輪寺(しょうかくざんほんりんじ)

11.04.28 10:35法輪寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 曇り
熊谷寺より2.4km、徒歩38分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


寺の周辺は水田が広がる、そんな水田風景の中を歩くと、風が向かい風で帽子が飛ばされそうに強い。今日は寺間が短く快調な歩きである。
 今回は慣習に習い納札(おさめふだ)を記入し本堂、大師堂に収めた。納札は15cm×5cm程度の「奉納八十八ヶ所霊場順拝同行二人」と書かれた紙で、住所・氏名を書き、納札箱に納める。納札には色があり、霊場遍路が1周回から4周回の人は白、5周回以上は緑、8周回以上は赤、25周回以上は銀、50周回以上は金、100周回以上は錦の納札を使う。納札を入れるとき覗いてみると、もちろんほとんど白だが中に緑や赤がある。時折納札入から金や銀の納札を持って行ってしまう不心者がいるそうだが、気持ちはわかるが、収集しても仕方がないので止めて欲しいですね。最後の宿で名前入り錦の納札が飾ってあったが、確かに100回以上回っていると思うと神々しい気がしました。しかしこういう人は、いつも八十八箇所を回ってばかりいるのだろうか・・・

手水場

法輪寺本堂

法輪寺大師堂

大師像

山村風景

小豆洗大師

ハッサク

浄土宗称念寺

第十番得度山切幡寺(とくどざんきりはたじ)

11.04.28 11:51切幡寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 晴れ
法輪寺より3.8km、徒歩1時間10分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


切幡寺前は小さな門前町の雰囲気で遍路用品店が並ぶ。表装屋の前を通り過ぎるとき「お荷物預かりますよ」と声を掛けられたが、どうも荷物を預けると観光地ではその代わりに・・となるので。しかし実際はこれも接待で、土産物屋でもなく表装屋さんなので何も心配はなかったのですが。お参りを終えるとぼちぼち昼時、切幡寺から30分先に旅館八幡(うどん亭)があるが、待ちきれず切幡寺を降りた手打ちうどん屋に入った。入れ違いになった重そうなリュックを背負った遍路さんが「うまいよ」と言っていたので、狐うどんを注文(私は卵入り)。四国に入って徳島駅の駅ビルで食べた讃岐うどんは本州にもあるチェーン店で美味しくもなかったが、ここのうどんは美味しかった。これで二日続けてお昼はうどん。まだここは讃岐ではなく阿波なんですよね。今回昼食は案外苦労した。最初から昼食を食べるところがないところは、重くなるが宿でお握りの昼食を注文、しかし案外街中にも思ったほど食べる場所がない。

333段の石段

切幡寺本堂

鐘楼

切幡寺大師堂

大師像

観音像

大塔住吉大社から移築された大塔

大塔より眼下を望む

第十一番金剛山藤井寺(こんごうざんふじいでら)

11.04.28 15:27藤井寺平成23年4月28日(木曜日) 天候 晴れ
切幡寺より9.3km、徒歩2時間40分   LinkIconページトップへLinkIcon戻る


本日最後の藤井寺9.3kmを歩く、青空に鯉幟が泳ぐ。しばらく行くと河川敷に出て初めて吉野川にぶつかる。あの所沢の男性も後ろを歩いていたはずだがいつの間にか別の道を行ったようで姿が見えなくなった。夕刻4時には今夜の宿旅館吉野家に到着、まず明日の件を聞く。「明日の昼食は?」「後で昼食の希望を聞きます」、「朝食は何時?」「5時半」、最後の質問「明日は大日寺まで行きたいが?」に「う~ん、今日どこからですか?」「6番から」と答えると、「大日寺までは、1日で1番から11番まで来た人が行く行程、厳しいですよ」と。あらかじめ明日の名西(みょうざい)旅館に聞き荷物を宅急便で送っておけば大丈夫との結構無責任なアドバイスに従い、一寸待ってもらってリュックを一つし、一つを急いで宅急便で次の宿へ送った。それでも宿の人は不信顔。明日藤井寺から焼山寺へ至る山道は「遍路ころがし」の異名をとる険しい道、本当に大丈夫でしょうか・・・、洗濯をし9時には就寝、明日は早出のため4時半起きである。

青空に鯉幟

河川敷をひたすら

吉野川

藤井寺本堂

富士寺大師堂

鐘楼

大師像

百龍弁財天

11.04.28泊旅館吉野<後記>旅館吉野の食事時では、例の所沢の男性は明日朝食も食べず5時過ぎに出立して焼山寺をやってから格安の温泉で休養するとか、また、隣で食事を居ていた親子(母と娘)連れは、娘は既に八十八ヶ所を回ったことがあり、今回は68歳になる母を連れての遍路で明日は焼山寺をやってから焼山寺の宿坊泊まりだとか、人それぞれのスケジュールである。
本日の総歩数46,102歩、宿泊費6,200円、ビール大500円、洗濯無料、明日の弁当300円。

LinkIcon四国遍路第一回(3日目)に続く