四国札所巡り第三回(2日目)

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第二回に続いて、歩き止めの第三十三番雪渓寺から、高知西半分を。足摺は四国遍路で寺間最長距離の歩きである。

12.03.17 6:44 前回歩き止めの雪渓寺へ平成24年3月17日(金曜日)、天候 雨のち曇り
 歩き初日は雨。皆さんレインウエアに身を固め6時半ごろ順次出発していく。我々は前回歩き止めの高知屋の向かいにある雪渓寺へ、今回はここから再開する。軽くお参りし、新川川に沿って第三十四番種間寺へ向かう。高知も遅い春とはいいながら、やはり関東より一足早い春、来る前には見なかったレンギョウやユキヤナギ、ハクモクレンの花がすでに咲いていた。女房は私が写真を撮っていても待ってくれず、どんどん歩いていく。私が立ち止まり木々の写真を撮っていると、平均歩速4km/hとすると1分間の立ち止まりでも約70mくらい女房においていかれる。雨中だと歩くのは快適とはいえず、毎度ながら急ぎこれに追いつくのがなかなかきつい。

12.03.17雪渓寺鐘楼と桜

12.03.17雨中の桜

12.03.17ハクモクレン

12.03.17新川川

第三十四番本尾山種間寺(もとおざんたねまじ)

12.03.17第三十四番種間寺平成24年3月17日(土曜日) 天候 雨、風やや強し
雪渓寺より徒歩6.3km
 雪渓寺の奥の院は省略して種間寺へ。昔弘法大師が薬師如来を本尊として周りに唐から持ち帰った五穀(米、麦、粟、キビ、豆)の種を蒔いたことが寺号の由来。子育観音には底のない柄杓が沢山ぶら下がっている。妊婦が薬師如来に柄杓をささげると寺ではその柄杓の底を抜いて本尊に供え一週間祈祷したのち底のない柄杓を持ち帰ると安産になるという。この寺には山門はなく、奥に向かって長細くなっているので入り口にリュックを置いてお参りをする。田園の中の静かな寺である。続けて第三十五番清瀧寺へ向かう。雨はまだ止まない。

12.03.17本堂

12.03.17大師堂

12.03.17子育観音

12.03.17大きなナギの木

 種間寺を出て暫くいくと仁淀川に差し掛かり仁淀大橋を渡る。この辺りは車道と徒歩道が入り乱れており、途中徒歩道の曲がり道があったようだがどうやら国道56号沿いを歩いたようだ。街路樹にホルトノキが植えられていた。街中に入ると地元のおじさんがここを曲がるとタクシー会社があり、清瀧寺の打戻に荷物を預かってくれるというので、ありがたく寄らせて貰った。金剛杖もあったので借用した。この頃やっと雨が上がり、金剛杖と傘だけの軽装で清瀧寺に向かう。

12.03.17ホルトノキ

12.03.17雨に煙る仁淀川

12.03.17黄色実のクロガネモチ

12.03.17ようやく雨が上がる

第三十五番医王山清瀧寺(いおうざんきよたきじ)

12.03.17第三十五番清瀧寺平成24年3月17日(土曜日) 天候 雨のち曇り
種間寺より徒歩9.8km
 海抜400mの中腹にある寺で、弘法大師が山中で修行し満願の日に大地を金剛杖で突いたところ瀧のように清水があふれ出たことから寺号となったという。83段の石階段をあがると、境内は寒桜が満開であった。文旦を売っていたので一般に高いとは思ったがご利益と言われ、一箱求め家に送った。京都から来たという通し打ちの遍路さんが足の養生をしつつ着衣をレインから軽装に着替えていた。お参りを済ませ昼飯は讃岐うどんのチェーン店でゆっくり休憩する。荷を預けたタクシー会社に寄りお礼を言って次に進む。

12.03.17山門からの石階段

12.03.17本堂

12.03.17大師堂

12.03.17大師像と寒桜

 さて、清瀧寺から今日最後の青龍寺まで13.9km、納経時間の17時までは時間は十分。56号を戻ったため遍路道を少し外してしまったが、国道を道路標識に従い曲がり、高石神社で遍路道と合流。塚地坂トンネル前の休憩所で小休止。長崎から来たという遍路さんと雑談。「ご夫婦とは思いましたが、旦那が写真を撮って遅れてもどんどん先に行くし・・・」「いえ、実は愛人です」などと馬鹿話をした。長崎さんは3月2日にスタートし、7年振り2回目通し打ちで、室戸でインフルエンザに罹り病院にも行ったとのこと、普通なら一旦帰宅するんじゃないかな、と二人で感心しきり。ここから高知屋の女将さんが言っていた山道(遍路道)とトンネル道(39号)がある。雨だったら山道を止めトンネルを行こうと思っていたが幸い雨も上がり、一足先に山道へ入る。ところがしばらくして道が荒れてきて、行けば行くほどどんどん細くなり、どうもおかしいと引き返したところ山道の始まりのところの横道に遍路標識があった。どうもおしゃべりしながら歩いていて見落としたらしい。これでだいぶ時間をロスし、急に忙しくなった。清龍寺の納経時間17時にギリギリだ。
 塚地峠であとからきた長崎さんに追いつく。長崎さんは今日青龍寺の納経の予定はないというのでのんびりだが我々は先を急ぐ。宇佐大橋を渡るとあと3kmくらい、残り45分。納経帳担当の女房は私より前を急ぐ。

12.03.17遍路休憩所

12.03.17標高185m塚地峠

12.03.17シデコブシ

12.03.17宇佐大橋

第三十六番独鈷山青龍寺(どっこうざんしょうりゅうじ)

12.03.17第三十五番清龍寺平成24年3月17日(土曜日) 天候 曇り
清瀧寺より徒歩13.9km
 17時少し前清龍寺到着、清滝寺で会った京都さんが「遅いから心配しましたよ」という。幸い石段の下に納経場があったので先に納経を済ませ、少し休憩したあとゆっくりお参りした。寺号は空海が師として慕った恵果(けいか)和尚が住んでいた長安の青龍寺倣ったもの。仁王門を潜って長い石段を登る。石段沿いの沈丁花が芳しい香りを辺りに漂わせる。途中左手には滝が落ちていて行場となっており、白衣の僧が滝に打たれ修行をしていた。ところで今日の宿は国民宿舎土佐、見ると山の上。初日から道を間違えギリギリ納経に間に合った身にはあの山を登るのは酷というもの。電話して国民宿舎の車で迎えに来てもらった。

12.03.17多宝塔

12.03.17三重塔

12.03.17山門からの長い階段

12.03.17本堂

12.03.17大師堂

12.03.17石段に沿って咲く沈丁花

12.03.17桜とお御籤

12.03.17滝で修行

12.03.18国民宿舎土佐<後記>初日から道を間違え時間的なロスをしてしまったが、何とかギリギリ納経に間に合った。国民宿舎土佐からの迎車はすぐ来たが、徒歩で来ると1時間はかかるという。明日は山道を下りて一旦青龍寺に戻る必要がある。従って青龍寺から打戻となり浦の内湾の内廻り道になる。国民宿舎土佐は標高120mで土佐の海が部屋から眺められ晴れていれば日の出も見られる。当日は中学生の野球チーム、魚類研究会の団体さんが宿泊し満員。洗濯が有料のためがら空きだった風呂で下着を洗い、持参した紐を張り部屋に干した。夜雨がまた降り始めた。夕食にビール1本というところ「自由は土佐の山間より」(土佐藩士板垣退助の言葉)という長い名前につられて酒を一杯追加。
(宿泊費6,800円、トイレW1/和4、禁煙、洗200円/乾100円/剤50円)「総歩数58,217歩」
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