四国札所巡り第五回(7日目)         

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第四回に続いて、歩き止めの第五十三番円明寺(伊予和気)の続きから。今回は菩提の道場愛媛県から涅槃の道場(香川県)へ。四国遍路もいよいよ大詰めである。

第六十七番小松尾山大興寺(こまつおざんだいこうじ)

13.03.20第六十七番大興寺本堂平成25年3月20日(水曜日) 天候 曇り
雲辺寺より徒歩9.4km
 天気は少々妖しい曇り空、民宿青空屋のお二人に見送られて7時過ぎに宿を出立。今日は今回区切りうちの最終日で4寺を廻り、第七十番本山寺を経て予讃線みの駅まで行く。今日で歩くのも一旦終了と思うと気が楽になる。徳島さんがすぐ後を追ってくるが、スタスタと明らかに我々より足が速い。どうも足の速い人は歩く姿勢がいいようだ。途中雲辺寺へのロープウェイへ至る分岐を過ぎ、8時10分頃大興寺に到着。山門をくぐると右手に樹齢1,200年という県指定のカヤの古木がある。弘法大師が四国修行の折、カヤの種子を植えたものという。いずれにしろこうした巨木、古木はその歴史を思うだけでなく、ある種神聖な気配さえ感じる。境内にはこの旅で初めて開花した染井吉野を見つけた。

13.03.20山門

13.03.20大師堂

13.03.20樹齢1,200年のカヤの木

13.03.20初めて眼にした染井吉野

第六十八番七宝山神恵院(しっぽうざんじんねいん)

13.03.20第六十八番神恵院本堂平成25年3月20日(水曜日) 天候 曇り
大興寺より徒歩8.7km
 琴弾八幡宮の鳥居をみて右に曲がり、第六十八、六十九番両方の札が掛けられた山門を潜る。ここは同じ場所に二つ寺がある。四国八十八ヶ所中唯一一寺二札所で、納経も同時にできる。仁王門にもふたつの寺名が書かれている。個人的には得したような気にはならず、むしろこの一つをどこか別に寺を選定した方がいいのではないかと思ってしまう。どちらかというと第六十九番の観音寺のほうが目立つが、ここは順番通りまず第六十八番から。神恵院の本堂はどこかと思うと、コンクリートの門を潜り中にある。続けてコンクリートの門を出てすぐ横にある大師堂で経を唱える。

13.03.20琴弾八幡宮の鳥居

13.03.20二寺共用の仁王門

13.03.20大師堂

13.03.20樹齢千年と言われる楠巨木

第六十九番七宝山観音寺(しっぽうざんかんのんじ)

13.03.20第六十九番観音寺本堂平成25年3月20日(水曜日) 天候 曇りのち雨
神恵院より徒歩0km
 同じ境内で続けて第六十九番観音寺を参る。この境内中央に樹齢1,000年と言われる楠の大木がある。根元が大きく膨らみ広がっている。多くの人がこの根に触れていくようだ。二寺の参拝を終り山頂の琴平八幡宮へ立ち寄る。展望台から有明浜を見下ろすと「寛永通宝」の巨大な砂の銭型が見える。周囲350m、深さ1.5mというこの銭型は寛永十年(1633年)に、藩主を歓迎して領民が一晩で造ったとのが始まりだとかで、毎年市民によって修復されている。展望台で昼食を摂り、八幡宮を参拝し山を下りるとパラパラ雨が落ちてきた。財田川沿いに次の第七十番に向かうにつれ雨脚は強くなる。今日は天気予報では雨は降らないはずだったが。

13.03.20大師堂

13.03.20利休梅

13.03.20寛永通宝の銭型

13.03.20琴弾八幡宮

第七十番七宝山本山寺(しっぽうざんもとやまじ)

13.03.20第七十番本山寺本堂平成25年3月20日(水曜日) 天候 雨
観音寺より徒歩4.5km
 本山寺へ向かう財田川沿いの道を行く。徳島さんが前のほうを歩くのが見える。雨は止みそうどころか益々本降りの気配である。雨の中本山寺にに到着。雨宿りを兼ねてここでゆっくりする。馬頭観音を本尊とするのは八十八箇所でここだけ。頭を寄せ合う実物大の二頭の像がある。五重塔も今回の遍路ではここだけ。今日は時間的に余裕があるので、少し小振りなるのを待った。徳島さんは今日は弥谷までいくので先に出発。本山寺を出て、国道11号を行き、旧道に入って雨もボチボチ止んだ頃、三豊市高津神社でトイレ休憩。出かけるとき徳島さんがやってきた。どうやら途中道を間違えた様子。さらに先を行くと徳島さんが道を曲がる。「徳島さ~ん、道違いますよ」と呼びかかる。足は速いがどうもおっちょこちょいのところがあるようだ。この先が心配になる。

13.03.20山門

13.03.20大師堂

13.03.20五重塔

13.03.20二頭の馬像

13.03.20予讃線みの駅平成25年3月20日(水曜日) 天候 曇り
本山寺より徒歩9.0km
 本山寺から9km辺り、徳島さんとも別れ、今回の遍路はここ予讃線みの駅で終了する。みの駅がある三豊市三野町は、1995年三つの村が合併して三野村となり、1961年町制施行により三野町と改称。2006年周辺の6つの町と合併し三豊市となった。ちなみに徳島県にも三野町はあり、こちらは1889年6つの村が合併し三好郡三野村が誕生、1924年町制施行で三野町に改称、2006年5つの町村合併で三好市になっている。ここで歩き止めしたのは、この地に直接関係があるわけではないが、親近感かある種の拘りを覚えたためである。
総歩数「51,825歩(31.0km)」7時間32分

13.03.20丸亀アパホテル<後記>21日伊勢に行く用事があり、今夜は予讃線丸亀駅前のアパホテルに投宿。今回瀬戸内海沿いに進み、香川県に入り、遍路中一番の高所である雲辺寺も越えたので、次回は一週間で結願できる予定。3年越しで始めた四国遍路も5/6を終え、いよいよ次回で終了である。
 遍路は様々な既成のものを捨てる旅だという。果たして何が捨てられたか。実際、何かを求めて歩き始めたのでもなく、信仰心からでもなく、結願に向けて何が変わったか、定かではない。人によっては、ただ無心になったという人もいる。歩くことに理由が必要とも思わない。今回たまたま歩く前に柳原和子の「がん患者学」を読んだことが影響して、今まで4回の遍路で出会った通し打ちの人達を含め、昔から何人もの人が、それぞれに思いを抱いて、長い遍路の道を歩いたことを、またその同じ道を自分が歩いていることを何度も思った。