小説の木々10年12月

文枝の白いうなじを風がなでて行った。目を開けると、御堂の左手にある桜が舞い落ちていた。杉木立の木漏れ日にその花びらが一瞬きらめいて、陰の中に消えると静かに熊笹の中にまぎれて行った。(「白秋」伊集院静)

白秋(伊集院静)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第11刷 08年1月28日発行/10年12月2日読了

 スペインからお土産で買ってきたチョコレートみたいに、こってりと甘い恋愛小説。良い男と良い女の恋愛小説は、反面淡々として味気ない。40歳と言う中途半端な志津の方が人間らしい。鎌倉の四季をそれぞれに花に木に美しく表すところは良いですね。鎌倉ってこんなに綺麗だったのかと。三島由紀夫の「潮騒」、立原正秋の「薪能」・・・及ばないかな。「店の中央に花籠からのぞいた木蓮の紅い花が見えた。そこだけ店の中でとりわけはなやいで映った。先月来た時も、その花籠に志津は目を魅かれた。たしかその日は白の蠟梅が活けてあった。さりげない花の飾り方が、志津には好ましく見えた」

いつかは恋を(藤田宜永)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 10年11月12日発行/10年12月4日読了

 「家に戻ると、ついでに買った馬酔木を床の間に活けた」熟年の恋物語で恋愛小説が続いてしまった。これもまたこれでよろしいのではないでしょうか、というところ。金型技術の中国流出が現実的な話であった。

求愛(柴田よしき)★★★☆☆

株式会社徳間書店 徳間文庫 初版 10年5月15日発行/10年12月6日読了

 「いつの間にか秋も本番ですね。金木犀も銀木犀も満開です」金と銀の匂いとくれば木犀でしょうね。弘美の二人の友人の死、その解決は些か安易。移ろい行く人の心の儚さを、誰が咎めようというのか。

ラストドリーム(志水辰夫)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 07年9月1日発行/10年12月8日読了

 「玄関前の植え込みには紅いアジサイが、築山にはヤマボウシの白い花が咲いていた」結婚して好き勝手に生きてきた。妻が流産したときは女の所にいて助けが遅れた。その妻が癌になった。「ぼくはきみにとって、けっしていい夫ではなかった。そんなぼくを好きなようにさせてくれたきみには、どう感謝してもしすぎることはないと思っている。その恩をぼくはとうとう返してあげることができなかった。だからせめて、このつぎにまた生まれ変わってくることができたら、そのときは今世でできなかった借りを返そうと思っている」「このつぎはべつの人のほうがいいわ」
 もう何年になるだろう。会社の同僚が癌でなくなったとき葬儀で寄せ書きがあった。まんなかに奥さんの文字が。「ありがとう。生まれ変わったらまた一緒になろうね」と。

ステイ・ゴールド(野沢尚)★★★☆☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 初版 06年4月15日発行/10年12月10日読了

 年代設定はせめて中学生に、理沙の骨折は捻挫くらいに、水車小屋は眼下彼方ではなくもう少し近くに、下山はもう少し大変そうに、と気に掛かる箇所があるが、まあ、ちょっといい感じのファンタジーです。「わたしたちが遠くから見ていた紅葉の笠とはこれだったのか、というような原色の洪水が目の前に出現した。黄色や橙色の照り返しを受けて輝いていた顔が鮮明に蘇る。わたしたちが初めて紅葉の海に立ち、全身いっぱいに浴びたあの輝きはなにものも及ばない」

心に龍をちりばめて(白石一文)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 初版 10年11月1日発行/10年12月12日読了

 誰もが振り返る美帆、「何だか顔がきれいなだけの空っぽの女だと言われているような気がします」。激流(柴田よしき)の御堂原貴子もそうだった。「あじさい寺として有名な瑞巌寺の境内に今年も一万本のあじさいが美しい花を咲かせていた。小さな石橋を渡ると、山門の手前からあじさい園は始まっていた。手毬型の大きな本あじさいは長雨で濃い紫色に染まっていた。美帆の好きな瑠璃色のひめあじさい、白やローズ色の豪華な西洋あじさいも群れをなして咲き競っていた」だいぶ遠回りしたが、美帆と優司の運命的な恋愛と思えばいいのだろう。「子供が親を選んで生まれてくる」

花まんま(朱川湊人)★★★★☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 08年4月10日発行/10年12月13日読了

 「五月の春たけなわで、つつじが咲き乱れていた。赤いつつじの群れはまるで燃えているようで、白いつつじの塊は季節外れの雪のようだった」花まんまは文字通り花で作ったご飯。娘が通り魔に刺されて死んだ。父は娘が痛い思いをしていた時呑気に昼飯を食べていたことが悔やまれそれ以降ろくに食べ物を摂っていなかった。フミ子はその老人のために花まんまを作った。亡くなった喜美代がよく作っていたものだった。しんみりとノスタルジックなメルヘンの世界が広がった。

真相(横山秀夫)★★★★☆

株式会社双葉社 双葉文庫 第21刷 10年3月4日発行/10年12月14日読了

 隠そうとする真実はザワザワとした肌触りである。読みながら危ないと感じながらハラハラと落ち着かない。「山裾の畑には、樹齢二十年を頭に六十本近い桃の木がある。四月に入ってすぐに蕾が開き始め、月半ばには満開を迎えた。落花とともに実が頭角を現し、五月初旬の今、梅の実ほどの大きさに成長して、それぞれの枝に鈴なりとなっている」本当の息子の姿を知った父、天国から地獄に似た自分の人生すべてを穴に埋めてしまいたかった樫村、息子を庇って強盗殺人の罪を被った父、十二年が経ってやっと真実に向かった城田、最後に泥だらけの手を握って欲しいと願った貝原。それでも真実を知ること、知らせることは時として残酷である。

オンリイ・イエスタデイ(志水辰夫)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 08年3月1日発行/10年12月16日読了

 「大きなヤマボウシがあるからすぐわかるわ」「五月のはじめ、できるだけお天気のいい、日曜日にしよう。時間は午前、太陽が斜め前くらいまできて、ぽかぽかと暖かく、主婦が前の庭へ洗濯ものを干し終えたころだ。村人の、好奇な目にさらされて、男がひとり、慣れぬ坂道を汗をふきふき上がって行く」峻介は再開を約束したが、人生のピリオドを覚悟した最後の言葉だった。「ほのかに沈丁花の匂いが漂っていた。塀越しに見た木蓮のつぼみはまだ固かった。空には飛行船が浮かんでいる。南風が動いていた。午後からまた風が強くなるのかもしれない」

25時のイヴたち(明野照葉)★★★☆☆

株式会社実業之日本社 実業之日本社文庫 初版第1刷 10年12月15日発行/10年12月21日読了

 「あたりにほのかな香りを漂わせていた梅の花が咲き終わった。テレビの気象情報では、ちらほら桜の開花の話題がキャスターの口にのぼりはじめるようになっている。気の早いこと、真梨枝は苦笑を覚えるような気持ちでテレビを見る。日本人というものは、よほど桜が好きなのだろう。桜、もしくは春」このうららかな時、破綻が始まる。何が怖いかって、自分の送ったメールの見せられることほど怖いものはない。メールは記録が残り、見られている。

帰りなん、いざ(志水辰夫)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 08年07月1日発行/10年12月23日読了

 「彼女が車を横づけした。紀美子は白い歯を見せるとやさしい声でわたしを送り出した。『行ってらっしゃい』わたしは当惑とぼたもちを抱えてまま自首するために韮崎署へ入って行った」なんとも心憎いラストでした。現在新潮社発行の文庫本は読み終えた。「浅茅のそば畑を横切っているとき、そばの花が咲きはじめているのに気づいた。ひとつ、ふたつ・・まあ数は少ないがはじめたような白い花が茎の先端から咲きかけていr。清楚で素っ気なくて潔い花だ。これ見よがしのところがなくて、見る者にしか見えないところがいい。駐車場の中に残されている一本の楠の葉に西日が蝶のように止まっていた」

災厄(永嶋恵美)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 10年10月15日発行/10年12月26日読了

 解説にもあるが実に嫌なテーマである。人は善意と同じだけ悪意がある。夫が妊婦連続殺人犯の少年を弁護することになった美紗緒は、まったく見ず知らずの他人だけではなく身の回りの人たちからさえもいわれのない悪意を回りから受ける。これがまたどこにでもありそうな、いつでも起きそうな悪意。自分は違うと言い切れるのか。

沈底魚(曽根圭介)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第4刷 10年10月28日発行/10年12月29日読了

 活動員をも単に道具として扱い騙し合い、利用価値がなくなれば相手に売り渡しあるいは抹殺する非常冷徹な諜報組織。どんでん返しの公安警察ミステリーである。伊藤真理は自分が何故殺されるのかも知らずに奥多摩の山中に埋められた。