小説の樹々20年01月

道の向うの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていた。その緑の中でしとどに濡れた泰山木の花が、目のさめるような白さで咲いていた。雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのであろう。昭子は、胸を衝かれていた。泰山木の花は、美しかった。多く花びらが、恐れずに雨を享けて咲いている。車が走り交う小径の上で、その白さは堂々としていた。昭子もしばらく黙って梅雨に濡れる花を眺め、そして花と茂造を較べ見て、この美しさに足を止めるところをみると茂造には美醜の感覚は失われていないのだと思った。(「恍惚の人」有吉佐和子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

月の満ち欠け(佐藤正午)★★★☆☆

株式会社岩波書店 岩波文庫 第3刷 19年11月18日発行/20年01月16日読了

本編文庫本で再読。「神様がね、この世に誕生した最初の男女に、二種類の死に方を選ばせたのひとつは樹木のように、死んで種子を残す、自分は死んでも、子供を残す道。もうひとつは、月のように、死んでも何回も生まれ変わる道。そういう伝説がある。・・・人間の祖先は、樹木のような死を選び取ってしまったんだね。」普通は樹木のような死に方だが、希に月のような死に方の人がいる、という前提で、瑠璃は再生する。しかし、ここまでくると未練たらしく、しつこい。いつこの輪廻が終わるのか。最後にアキヒコが承知したので、これで終わりか。

記憶屋0(織守きょうや)★★★☆☆

株式会社KADOKAWA 角川文庫 初版 19年11月25日発行/20年01月24日読了

嫌な記憶を消すということと、それを乗り越えることに意見が分かれるところである。しかし本人も周りも望み、なかったこととして生き続け、苦しみから逃れることも悪いことではない。記憶屋にもその葛藤があった。

活版印刷三日月堂小さな折り紙(ほしおさなえ)★★★☆☆

株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第1刷 20年01月05日発行/20年01月29日読了

今までの流れが未来に変わった。なにしろ場所は川越で気持ちは近しい。これで本篇も終了かな、少々寂しい気がする。
「天気もよく、庭には光が降り注いでいた。馬酔木、卯の花、カラタチの白い花が咲きそろい、藤の花の香りが漂っている。ときどき鳥の声もした。みんな、きれいな庭ですね、とため息をついた。」ちょっと待ってくれ、確かにみな3-5月に咲く春の花だが、一緒には咲かない。馬酔木は2-5月で少々花の季節が長いが、卯の花は初夏の花で5月、カラタチは4月頃、花の季節は1-2週間。これが咲き揃うのはおかしい。欲張りすぎではないか。