小説の木々11年02月

生垣越しに木槿の花が川風に揺れているのが見えた。人が一人通れる小径があり、そこを歩いて木槿の花のそばに立つと、家の裏庭に白い衣と日傘が揺れているのが目に留まった。日傘を差した女が庭に立っていた。女は思わず木陰に身を隠した。日傘を持った女は庭に咲いた花を眺めていた。夏の花が花びらや葉や草に照り返し、女つつんでいた。日傘に遮られた強い光の中で女の肌はまぶしいほど透きとおっていた。花を見つめる切れ長の目がどこかはかなげに見えた。(「羊の目」伊集院静)

容疑者Xの献身(東野圭吾)★★★☆☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第18刷 11年1月15日発行/11年2月1日読了

 直木賞受賞作。すでにテレビで見たが、さすがにトリックの妙は意表をつくものである。ただミステリー物というより、手放しでここまでするかとの愛情物とするにはいささかは疑問で、完璧と見える策を完遂しようとする絶対の自信と自己陶酔がある。相手が石神だからこそ湯川は疑問を持った。石神の涙は最後に完璧な論理が破綻したからか、あるいは、あれほど幸せを願った靖子がそれさえも放棄して真実を明らかにしたからか。

月と蟹(道尾秀介)★★★☆☆

株式会社文芸春秋社 第1刷 10年9月15日発行/11年2月2日読了

 直木賞受賞作。ヤドカニを焼きながら願いをかけるヤドカミ様遊びは、子供の世界と大人の世界の狭間で捻じ曲がり徐々に不穏さを増して行く。ほとんど泣き声で鳴海は言った「大人になるのって、本当に難しいよ」と。慎一と春也が建長寺の裏山にある十王岩に行ったときは「歩くごとに足元で白い土埃が立ち、頭上では葉を交えた桜の花が太陽をすかして揺れている」時期だった。初めて鳴海を二人の秘密の場所へ案内したのは、「頭上を覆う葉が、初めてここに登ったときよりもずっと青々としている。山桜はいつのまにか花弁を落としきり、その花弁も風ですっかり吹き払われたらしく、どれが山桜だったか、もうわからなくなっていた」時期になっていた。夏休みが終わるとき、嵐が過ぎ去った後のように、慎一は福島へ引っ越していた。

胸の中にて鳴る音あり(上原隆)★★★★☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 11年1月10日発行/11年2月3日読了

 啄木の「呼吸すれば、胸の中にて鳴る音あり、凩よりさびしきその音」こんな文章が書けたら、と思わせるコラム・ノンフィクション21篇。「大晦日の夜と元日の朝」などは小編ながらこれだけで先日読んだ苦役列車を髣髴させる。人生のひとそれぞれの断面、同じものはない。武村正義氏との思い出のある散歩道、「東大安田講堂前の銀杏並木は黄葉の真っ最中だった。その下を武村と私は歩いている。足元も左右も頭上も黄色一色で、黄色に閉じこめられたかのようだ」

塩の街(有川浩)★★★☆☆

株式会社角川書店 角川文庫 初版 10年1月25日発行/11年2月6日読了

 ある日宇宙から飛来した塩の結晶を長時間見た人間は暗示性形質伝播物質により伝染し塩化し死に至る。世界の終焉、荒唐無稽の設定ながら、愛が世界を救うのではなく、秋庭は真奈のためだけに命を賭けるラブストーリ。

羊の目(伊集院静)★★★☆☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 10年5月10日発行/11年2月12日読了

 羊の目は凄絶な一生を過ごす神埼の目だった。女が言う、「男の人の年齢なんて数えて計るもんじゃありませんよ」。「視線を向けた方角に公園があり、そこにオークの木が聳えていた。何十年も前に最初にこの地にやって来た日本人が植えた赤樫で、ケイコも少女の頃から何度も見つめてきた木だった。澄んだ目をしていた」捨て子の自分を育ててくれたヤクザの親分を親として一生を誓い何も迷わずに生きてきた。身を守るためコステル連邦刑務所に25年もの間服役し、冬の最中聞いたローンウルフの声がまるで自分自身の心の叫びのようだった。凄まじい生き方に緊張感が高まる。「一人で働く神崎が淋しかろうと老人が礼拝堂のある野原に植えた木槿が群生し美しい花を咲かせていた。訪ねてみると、そこには陽差しにかがやく礼拝堂と潮風に揺れる木槿の無数の花が咲いているだけだった」

ひたひたと(野沢尚)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 07年5月15日発行/11年2月15日読了

 野沢尚の未完の遺稿集。こんな女とは知り合いたくない物語の5編(予定)中2編、ひたひたと恐怖心というよりえぐい味(あくが強く、喉や舌を刺激するような味)がする感じ。「群生」はほとんどストーリは出来上がっているがプロットの段階でこれから推敲がなされるものだろう。その意味で迫力不足。

津軽百年食堂(森沢明夫)★★★★☆

株式会社小学館 小学館文庫 第2刷 11年2月5日発行/11年2月17日読了

 単純だけど暖かい、と感じる。時とそれぞれの人の想いが重なる。たまには無条件でこんな話も読んでいいと思う。「どっちかの頭に桜の花びらが乗ったら、その二人は幸せに結ばれる」と三代を越えて同じ嘘を言うのが微笑ましい。「実はイチョウは針葉樹なんだよ」というが、厳密には広葉樹にも針葉樹にも属さない。また、「葉の切れ込みで雌雄を区別できるというのは俗説」というのは本当らしい。

友がみな我よりえらく見える日は(上原隆)★★★★☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎アウトロー文庫 第10版 10年9月10日発行/11年2月21日読了


二冊目だがなかなかいい、amazonで他も購入した。ただ、インタビューして淡々と書き進めるだけだが、何気ない人生の断面に迫るものがある。しみじみと良いですね。

喜びは悲しみのあとに(上原隆)★★★★☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎アウトロー文庫 初版 04年3月10日発行/11年2月24日読了

 最初の「小さな喜びを糧に」は読み続けるのさえ辛い。それぞれの人生が見えるが、それをどう読むかもまたそれぞれ。救いがあるような、それとも限りない絶望か。おそらく、この先にこそ何かあると感じさせる。