小説の木々11年03月

JR四ッ谷駅の二番線ホーム、新宿寄りに大きな枇杷の木がある。一年中濃い緑の葉が繁っていて、初夏には黄色の実が房のようになる。木戸礼治(60歳)は立ち止まって眺めては、これまで何度となく心なぐさめられてきた。初めてこの枇杷の木を見たのは、十八年前のことだ。(「にじんだ星をかぞえて」上原隆)

天使のナイフ(薬丸岳)★★★★☆

株式会社講談社 講談社文庫 第8刷 10年8月23日発行/11年3月3日読了

 憎しみの連鎖、思わず先日見たTVドラマの「遺恨」を思い出した。しかし、この小説にはさらに裏があった、連鎖を助長する陰の力。「やり切れなさに空を仰いだ桧山は、その場に立ちすくんだ。金網の向こう側に屹立したユリノキの大木が、外の俗世や子供たちの生活を脅かすものを睨みつけて、学園を守っているように感じた」
 別の意味で私の地元の地名が頻繁に出てくる。ここの中学校まで出てくる。電車の経路はまったくよく知ったものだった。

にじんだ星をかぞえて(上原隆)★★★★☆

朝日新聞出版 朝日文庫 第1刷 09年6月30日発行/11年3月5日読了

 それぞれの人生というべきか。人それぞれで、それぞれに辛い。しかし、その中にさえ、僅かにしろ明るさが見え隠れするのが救いか。
「マンションの入り口を雪柳の白い花が覆い、春の風に揺れていた」

いちばん初めにあった海(加納朋子)★★★☆☆

株式会社角川書店 角川文庫 第18刷 10年5月15日発行/11年3月7日読了

 最初はよく分からなかったが、読み進めるに従って徐々に全体が把握できた。その結果、ほんのりと印象が残る、そんな作品。2編が最初は楠次ぎは金木犀と、樹が重要な役割を担っている。「なんやえらそうぶって、世界中を見下して、こんな古い立派な木をパセリにしてしまうんやから」と麻子は言った。だから千波は「パセリの木にお別れ言いにいくの」という言葉が分かる。思い出したのだ、忘れてはいけないことを。数千年も生き続ける生物なんて木しかない。

空の中(有川浩)★★★☆☆

株式会社角川書店 角川文庫 第10刷 10年5月15日発行/11年3月10日読了

 物語は面白いのだが、映画のE・Tのように漫画チックで。第一出演者がみんないい人ばかり。読むほどに恋愛小説みたいで、全体的に浅い感はぬぐえない。

福袋(角田光代)★★★☆☆

株式会社河出書房新社 河出文庫 第2刷 10年12月30日発行/11年3月22日読了

 震災で本を手にする余裕もなかった。私も以前の生活に戻るにはもう少し時間が要りそうである気持ちの中で久し振りに読んだ。角田光代の本はどこでもありそうな話の中にジワーッと怖いものがある。
 「ひょっとした私たちはだれも、福袋を持たされてこの世に出てくるのではないか。福袋には、生れ落ちて以降味わうことになるすべてが入っている。希望も絶望も、よろこびも苦悩も、笑い声もおさえた泣き声も、愛する気持ちも憎む気持ちも全部入っている。福と袋に書いてあるからってすべてが福とは限らない。袋の中身はときに、期待していたものとぜんぜん違う。安っぽく、つまらなく見える。他の袋を選べばよかったと思ったりする。それなのに私たちは袋の中身を捨てることができない。いじいじと身につけて、なんとか折り合いをつけて、それが肌になじむころには、どのようにしてそれをてにしたのだか忘れてしまっている。安っぽいものもつまらないものも、それはただそこにある」

雨にぬれても(上原隆)★★★☆☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎アウトロー文庫 初版 05年4月30日発行/11年3月24日読了

 書評の余地はない、ただじっくりと読むだけである。著者はこう言っている。「新聞の隅っこに載っていて、朝食を食べながら読んだ人がふとコーヒーカップを宙で止めるような文章。そしてその文章が心に残り、その日一日人に対してやさしい気持ちになるようなもの」
「この道を泣きつつわれのゆきしことわが忘れなばたれかしるらん」

闇の底(薬丸岳)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第2刷 10年5月27日発行/11年3月26日読了

 前回の「天使のナイフ」同様幼児性犯罪者の難しいテーマである。推理小説ではないから、男(サンソン)が誰かは読み進めるに従い容易に判明する。ただこの男の行動が正義であるか悪かを判断することは出来ても割り切れなさが残る。私刑廃止論も然りであろう。最後にとった長瀬の行動は・・・

深追い(横山秀夫)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮社文庫 第12刷 11年2月25日発行/11年3月28日読了

 普通であれば見過ごすことに、いずれももう一つの深読みが真実を深堀する。人間心理の奥底の計り知れない深さか。
「坂を上り詰めると、茜色の光を浴びた青桐が、ゆったりと葉を揺らしていた」