小説の木々15年07月
車に乗り込むと、写真館まで二分とかからなかった。白い花をこんもり被った百日紅の木のあるふるめかしい店の前には猫の額ほどの駐車場があり、きゅうきゅうとタイヤを鳴らしながら車を入れると、中から丸顔の奥さんが出て来て四人を迎え入れた。・・リビングの本棚の中段の、一番よく見えるところには幸夫の人生でおそらく最初で最後となる家族写真が飾られている。ずいぶん時期がずれてから、さんざん考えた末、あの百日紅の写真館の主人に頼んで、焼き増してもらったものであった。そのとなりに夏子の写真をそっと立てかけると、吹き込む風に乗って、どこからかピアノの演奏が聞こえて来た。・・幸夫は、そして初めて、他の誰のためでもなく、また、悔恨からでもなく、ただ妻を思い、泣いた。(「永い言い訳」西川美和)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
雪冤(大門剛明)★★★★☆
株式会社角川書店 角川文庫 初版 11年4月25日発行/15年07月02日読了
登場人物が限られる中おのずと絞られていくが、隠蔽と自己犠牲が絡む無理繰りのどんでん返しである。何故主題が太宰治の「走れメロス」か、最後に分かってくる。死刑廃止/存置、冤罪と死刑、考えさせる事案ではあるが、個人的には刑罰が改心期待の場ではなくむしろペナルティと思えば、安易に死刑廃止を支持する気にはなれない。死刑廃止と冤罪は別の議論。
朝が来る(辻本深月)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 第1刷 15年6月15日発行/15年07月03日読了
特別養子縁組制度について初めて知った。中学生だったひかりが幼稚な自分だけの考えから徐々に落ちていき終には犯罪にまで手を染める過程は、そばに誰かがいればと思うが如何ともし難い。最後の締めくくりの救いの手はタイミングも方法も綺麗すぎ、急に軽くなって中途半端。
告解者(大門剛明)★★★☆☆
株式会社中央公論新社 中公文庫 初版 14年8月25日発行/15年07月06日読了
罪火、雪冤に続いて読んだが、今回のテーマは更生。これは難しい問題。刑罰は更生目的ではなくペナルティとすれば一体いつどこで更生するのか。そもそも被害者遺族は加害者の更生を一律に望んでいるとは思えない。社会復帰する以上再犯は許されないが、受け入れることもまた難しく、再犯率は決して低くない。一般論では解決などできないだろうし、罪を犯した者は一生社会復帰はできないのか、といわれてもまた解がない。
MEMORY(本多孝好)★★★☆☆
株式会社集英社 集英社文庫 第1刷 13年9月25日発行/15年07月08日読了
「MOMENT」「WILL」はまだ終わっていなかった。お互い分かってはいても、相変わらず隙間風のように相反する微妙な関係が続く。それでいてほのぼのと爽やかな風も吹いているようだ。最後は時を経てお互いやっといるべき処に収まったということか。
レアケース(大門剛明)★☆☆☆☆
株式会社PHP研究所 PHP文芸文庫 第1版第1刷 14年01月22日発行/15年07月11日読了
生活保護の結構シビアな問題を背景にしたにしては、まったく生活保護の問題に迫っていない。そもそもねずみ小僧など出す必要があったのだろうか。話が犯人捜し、ねずみ小僧探しにだけなって、問題のピントはズレてしまった。期待外れの一作である。
確信犯(大門剛明)★★☆☆☆
株式会社角川書店 角川文庫 初版 14年09月25日発行/15年07月16日読了
「確信犯」の意味をもう一度見直した。そもそも負けるような裁判にしたのが検察の失敗。物証もなく少年の目撃情報だけでの状況では無罪判決もやむを得ないだろう。もう少し丁寧に捜査をすべきであった。それはともかく、連続殺人の動機、犯人像が弱すぎる。これは本書主題の「確信犯」ではないので、奥深さを出そうとしたのだろうが、妙に緊張感がなく散らばった。ねずみ小僧の挿話は余分。
リバース(湊かなえ)★★☆☆☆
株式会社講談社 第1刷 15年05月19日発行/15年07月18日読了
確かに3人は、ビール一杯でバタンキューとなる広沢に飲ませ、車で迎えに行かせたが、出発時にはしっかりしていた。珈琲にしても事故の原因かもしれないがこれも事故の範囲。それ程の憎しみでもなく、「人殺し」と回りに吹聴したり、ホームから突き落とすほどのことか。過去を遡り広沢の人となりを偲ぶのはいいが、事故の範囲でミステリー仕立てにするほどでもない。
MOMENT(本多孝好)★★★☆☆
株式会社集英社 集英社文庫 第31刷 15年6月6日発行/15年07月21日読了
本書は再読。死ぬ前にひとつ願いが叶えてくれる必殺仕事人の噂。生とか死を突き詰めるような深刻な話ではなく、心温まる話として読んで行くが、第4話は少し異質で本物が帰ってきて、珍しく神田が熱くなった。底辺にしっかり存在感をおく森野のキャラが好ましい。
永い言い訳(西川美和)★★★★☆
株式会社文藝春秋 第1刷 15年2月25日発行/15年07月25日読了
家族が突然の事故で世を去る。残された者達は、その喪失感からどうやって乗り越えていくのか。ところが幸夫には喪失感も現実感も湧いてこない。幸夫は同じ事故で亡くなった友人の家族に入り込む羽目となったが、そこになぜか初めて自分の居場所を見つける。だが所詮他人であり、そこも去る。「人生は他人」、幸夫は他人の中で自分を見つめなおすこととなり、そこでやっと妻のために泣く。人それぞれの立ち直り方。
雪舞(渡辺淳一)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第4刷 14年11月5日発行/15年07月28日読了
水頭症で2,3年の命の幼児に、危険な手術をするか否かは、医長も含め医学的に断念したが、野津は医長が学会で不在の時、手術が自らのヒューマニズムと信じ決行する。これは明らかに独りよがりであるが、主眼はこの表層的な葛藤ではない。むしろ子供の死を願っているのではないかと思えるような、裏に静かに粘りつくように野津を見つめる冴子の瞳に魅入られていく。