小説の木々16年12月

藤井寺の本堂のそばにある藤棚を見て、香代子は大きく息を吐いた。感嘆と無念が入り交じったような、長い溜め息だった。「もう少し早い時期に来たかったわね。満開の藤は見事だったでしょうね」寺の名の由来にもなっている藤棚は、すでに花の時期を過ぎ、葉だけを茂らせていた。雨に濡れた葉も目に鮮やか美しいが、香代子の言うとおり、たくさんの紫の花で彩られる境内は、多くの人の目を惹きつけたであろうと思う。咲き乱れる藤の花を見てみたかったと思う傍ら、開花の時期でなくてよかったとも思う。藤棚を見ているうちに、古い記憶が蘇ったからだ。(「慈雨」柚月裕子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

みかづき(森絵都) ★★★★☆

株式会社集英社 第62刷 16年10月19日発行/16年12月03日読了

公教育に反発し、熱い思いで塾業界の黎明時期を駆けぬけた悟郎と千明、その反発で公教育に身を投じた蕗子、教育業界には行かないと明言していたが結局ボランティアで教育世界にはまり込んだ一郎。親子三代で進む道は三者三様で少しづつ違うが、教育に情熱を傾ける意気込みはどこか同じである。世の中は数パーセントの少数エリートが作り出し変えていくことは事実であり、国家的発想で行うエリート教育もしかり、平均点底上げもしかり、それでも落ちこぼれは発生し、その救済も必要になるが、そこは正規分布の世界である。救済をすることで一部を救えても残るのも現実だが、それでも救おうとする努力には心が洗われる気がする。かように教育の平等は奥が深く難しい。

慈雨(柚月裕子)★★★☆☆

株式会社集英社 第1刷 16年10月30日発行/16年12月08日読了

警察官として生きるか、人間として生きるか。退任した元警察官が現職時代冤罪を見逃した負い目を、四国八十八カ所を回りながら捜査に協力する。個人的には事件の経緯より、実際に二人して巡った身としては、次々に現れる遍路旅が懐かしく思い起こされる。

サイレント・ブレス(南杏子) ★★★★☆

株式会社幻冬舎 第1刷 16年09月10日発行/16年12月24日読了

アメリカの精神科医で終末期研究の第一人者エリザベス・キューブラー・ロスが唱えた、人が不治の病に直面したとき、最初は自分が死ぬのは嘘だ「否定」し、つぎになぜ自分が死ななければならないのかと「怒り」、さらに死なずにすむための「取引」を試み、やがてうちのめされて何もできなくなる「抑うつ」の段階を経て、最終的に死を「受容」するに至る心のプロセスを「死を受容する五段階」 。また、仏教の教えには死への苦悩の対処として、まず「死に至る原因と闘う」段階があり、それが無理なら「死を受容する」段階へ移り、さらにそれも困難なときは「受容できない自分を受容する」ことによって真の心の安寧が得られるという。こんな本を読んでいるとき、12月11日、妻は逝った。