小説の木々17年02月

藤井寺の本堂のそばにある藤棚を見て、香代子は大きく息を吐いた。感嘆と無念が入り交じったような、長い溜め息だった。「もう少し早い時期に来たかったわね。満開の藤は見事だったでしょうね」寺の名の由来にもなっている藤棚は、すでに花の時期を過ぎ、葉だけを茂らせていた。雨に濡れた葉も目に鮮やか美しいが、香代子の言うとおり、たくさんの紫の花で彩られる境内は、多くの人の目を惹きつけたであろうと思う。咲き乱れる藤の花を見てみたかったと思う傍ら、開花の時期でなくてよかったとも思う。藤棚を見ているうちに、古い記憶が蘇ったからだ。(「慈雨」柚月裕子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

いなくなった私へ(辻堂ゆめ)★★★☆☆

株式会社宝島社 宝島社文庫 第5刷 16年08月05日発行/17年02月05日読了

また生き返りの内容であり、この時期に二冊続いた。こんなことでも起きてくれないか、ファンタジー的な「輪廻の泉」にもどこかで期待するところがあり、まだ解約していない携帯も電話がかかってこないか、街でこちらを見る人がいないかきょろきょろする。カルト集団や動機の安直な殺人にはやや辻褄合わせの違和感を感じるが、なんとかまとめている。すでに二人は死亡届が出ており元に戻れず、戸籍もないが、本題ではないのでどうなるかはあまり考えなくてもいいのかもしれない。

がん消滅の罠(岩本一麻)★★★☆☆

株式会社宝島社 第1刷 17年01月26日発行/17年02月14日読了

末期がんが消滅する、と聞いただけでも、なぜと思わざるを得ない。癌の発生、消滅をコントロールしリビングニーズを逆用した詐欺まがいの行為。ただこれは余興で、実際は社会の中枢をコントールすることが主目的で、娘の死から主題へが曖昧になり、リビングニーズ詐欺より社会性が薄れ、かなり無理筋の感がある。もう少しにビングニーズ詐欺を掘り下げてもよかったのでがないかと思う。

たった、それだけ(宮下奈都) ★★★★☆

株式会社双葉社 双葉文庫 第1刷 17年01月15日発行/17年02月20日読了

たったそれだけのこと、それができなかった後悔。誰にでもありそうな思いである。もっと話をすれば良かった。もっと素直になれば良かった。もっと謙虚になれば良かった。

仮想儀礼(上)(篠田節子) ★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 11年06月01日発行/17年02月28日読了

喰いはぐれた二人がインチキな新興宗教団体をビジネスとして立ち上げる。しかし運も幸いし、世の中はこれほど病んでいるのかと思うほどこれに救いを求める信者が集まる。宗教の姿を除けば精神修養、道徳教育の教場だが、やはり仮想空間のビジネス。詐欺まがい、脱税まがいの裏社会はあった。見方を変えると喜劇さえに見える。