小説の木々19年12月

道の向うの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていた。その緑の中でしとどに濡れた泰山木の花が、目のさめるような白さで咲いていた。雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのであろう。昭子は、胸を衝かれていた。泰山木の花は、美しかった。多く花びらが、恐れずに雨を享けて咲いている。車が走り交う小径の上で、その白さは堂々としていた。昭子もしばらく黙って梅雨に濡れる花を眺め、そして花と茂造を較べ見て、この美しさに足を止めるところをみると茂造には美醜の感覚は失われていないのだと思った。(「恍惚の人」有吉佐和子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

あしたの君へ(柚月裕子)★★★☆☆

株式会社文芸春秋 文春文庫 第2刷 19年11月15日発行/19年12月03日読了

家庭裁判所の調査官補の成長を見つめた作品。家裁調査官という職業は初めて知った。児童問題と家庭問題という悩みの多いやっかいで面倒な調停を調査し、真実に沿った解決に資する。そうはいってもすべて解決とはいかないだろうが、真摯に向き合う調査官補の悩みは尽きそうにない。

犯人に告ぐ3(雫井脩介)★★★☆☆

株式会社双葉社 第1刷 19年08月25日発行/19年12月24日読了

まったく犯人の糸口さえ見つからない。そこでネットを使った劇場型捜査で犯人との接点を探る。犯人がよほど自信家、プライドの高いことを前提としての賭けである。信頼と裏切りが交錯しわずかに信頼が保たれた。

教場0(長岡弘樹)★★★☆☆

株式会社小学館 小学館文庫 初版第1刷 19年11月11日発行/19年12月27日読了

教官風間の慎重冷徹な目が光る。ダメと思われた新人が、まがりなりにも風間イズムを感じ成長していく様がなんとも清々しい。

活版印刷三日月堂(ほしおさなえ)★★★★☆

株式会社小学館 小学館文庫 初版第1刷 19年11月11日発行/19年12月30日読了

前作4冊を読んでこの5冊目。三日月堂の発祥、大本がここにあった。ここまで引っ張ってきたのは少々ずるい気もするが、丁寧に書かれてきたあとも見える。「人生は選択の連続だ。選んだもの、選ぶしかなかったもの。どういう事情であれ、日々何かを選び生きていかなければならない。そのたびに選ばなかったものが、背中にまとわりつき、重くなっていく。夢が大きければ大きいほど、選ばなかった、選べなかったものも大ききなる。夢ばかり見ていたころから遠く離れて、選ばなかった、選べなかったものだけがふくらんで、それを背負って歩いている。(ひこうき雲)」の文章に当たり、先月読んだ廃墟の白墨の一説が浮かんだ。