小説の木々19年11月

道の向うの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていた。その緑の中でしとどに濡れた泰山木の花が、目のさめるような白さで咲いていた。雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのであろう。昭子は、胸を衝かれていた。泰山木の花は、美しかった。多く花びらが、恐れずに雨を享けて咲いている。車が走り交う小径の上で、その白さは堂々としていた。昭子もしばらく黙って梅雨に濡れる花を眺め、そして花と茂造を較べ見て、この美しさに足を止めるところをみると茂造には美醜の感覚は失われていないのだと思った。(「恍惚の人」有吉佐和子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

廃墟の白墨(遠田潤子)★★☆☆☆

株式会社光文社 初版第1刷 19年09月30日発行/19年11月09日読了

何だかいつものキレがない。おどろおどろしく書かれているが、単純な殺人事件で終わるのは興味が半減する。普通に生活することに憧れ、普通の生活をさせたかった白墨とミモザ。ミモザに少しだけ希望が残ったのはせめてもの救いか。「今までの人生で2のn乗ほどの分岐点があったと思っていたが、どうすべきだったのか、と考えても無意味や。この歳になってわかる。人生には選択肢などない。選択肢があったと思い込んで、自分を慰めているだけや」という言葉には考えさせられた。

私が失敗した理由は(真梨幸子)★★☆☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第2刷 19年10月10日発行/19年11月18日読了

いったい何を言いたいのか分からない。奇をてらったようにやたらと人が死ぬ。イヤミスの衰退をちゃかして、自らを出演させて遊びが過ぎる気がする。

死にゆく者の祈り(中山七里)★★★☆☆

株式会社新潮社 第1刷 19年09月20日発行/19年11月25日読了

初めの教戒師の死刑執行場面の立ち合いはショッキング。自白も物的証拠も揃い、自ら死刑判決に納得し、一般的な冤罪とは言えないが、誤解の上の冤罪とあれば明らかにしたいところだが。死刑執行命令が出てからの場面の急展開は、非現実的といえるほど、あまりに都合が良すぎる。