小説の樹々21年02月

郊外の学園都市には、苦労や不幸とは無縁の空気があった。駅前のロータリーから南に向かってまっすぐに延びる大通りの左右は老いた桜並木で、ほかにも松や楓や銀杏の緑が溢れていた。しかし、もし僕の見誤りでなければ、武蔵野の樹木の主役である欅が見当たらなかった。おそらく学園通りの桜を美しく咲かせるために、陽光を遮る欅を切ったのだろう。僕の育った養護施設は欅の森の中にあった。頭上に蓋を被せられたように暗鬱で、秋が深まれば降り注ぐ朽葉を、際限ない苦役のように集め続けなければならなかった。だから僕がその町のたたずまいを気に入ったのは、欅の大樹がないせいかもしれなかった。(「おもかげ」浅田次郎)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

野良犬の値段(百田尚樹)★★★★☆/ISBN978-4-344-03726-7

株式会社幻冬舎 第1刷 20年12月25日発行/21年02月20日読了

犯人たちは巧妙で強かだった。唯一、ローラ作戦でニアミスを犯したが、警察のミスで難を逃れた。後半が進むにつれて、この誘拐犯罪がうまくいって欲しいと願うのは誤りか。

心淋し川(西條奈加)★★★★☆/ISBN978-4-08-771727-3

株式会社集英社 21年02月20日発行/21年02月28日読了

短編連作。一つ一つに長屋に住む人達の人生があり、それらが絡み合う。臭い匂いが溜まり貧困者が集まる心淋し川沿いの裏長屋。「はじめましょ」が単純だが読んでいて心温まる。ある短編の出演者が他の短編に出てくるところが好もしい。