小説の木々9年6月

  樹木が出てこない小説が続いた。何も樹木が出てくる本を選んで読んでいるわけではないので当たり前だが、長い小説中1本くらい樹木が出てくるだろうと思ってもまったく出てこない本もあるということだけである。

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

文芸春秋 文春文庫 第25刷 09.03.15/09.06読了

 何の気なしに読めばありふれた、しかもTVドラマのような恋愛小説。サイドAは学生時代合コンで知り合った二人が付き合い始める。サイドBは就職し東京へ転勤、遠距離恋愛。サイドAとサイドB、乾くるみはミステリー作家、こんな甘いだけの小説なんか書かない
 「あれっ、そうだったかな」と、ときおりおかしな部分がある。これ以上はネタばれなので省略するが、帯にはこうある「必ず二回読みたくなる小説」。なお、この本も樹木は1本も出てこない。

かあちゃん(重松清)

講談社 第1刷 09.05.28/09.06読了

 いつもの重松節であるが、素直に読めばいい。「春は桜、初夏は藤とアジサイ、秋には紅葉で彩られ、その時季の週末のようなにぎわいを見せる」墓地に、二十六年間欠かさず墓参りをしていたのは、夫が運転する車で交通事故にあった上長の墓だった。その墓参りで母は倒れた。「線香立てには燃え残った線香が束になって残り、花立に活けられた花はまだ色鮮やかだった。菜の花がある。赤いのはモクレンだ」「ソメイヨシノの時季はもう過ぎていたが、青葉の茂る山には、淡いピンク色のしずくを散らしたように、ぽつりとぽつりとヤマザクラが咲いていた」話はここから伝わり始めた。
 「電話を切ったあとも、ベンチに座ったまま、花盛りのアジサイをぼんやり見つめた」育児と教職に疲れた佳代。「中庭のアジサイは今日もきれいに咲き誇っている。でも、これから少しずつ花は色あせてしまう。盛りを過ぎてもなかなか散らないのがアジサイだ。くすんで、萎びて、色が抜け落ちて白くなったあと、さらに枯れ始めても、アジサイの花はまだ散り落ちない。わたしがアジサイならば花はいまどきどのあたりの咲き具合なんだろう、と思う」
 皆がそれぞれ背負っている。「近くの木立でヒグラシが鳴きはじめた。夏は静かに終わろうとしていた」

てのひらの闇(藤原伊織)

文芸春秋 文春文庫 第11刷 07年12月1日/09.06読了

 「山手線に乗った。恵比寿で地下鉄に乗り換え、広尾でおりた。この季節、桜にはまだ早いが、現代の欠陥マンションにも一見の価値があるかもしれない」そのマンションで子供がベランダから落ち、通りかかった大学助教授が子供を受け止めた。これを偶然ビデオに収めた石崎会長はCMに使いたいという。しかし堀江はそれがCGによる作り物だと見破る。石崎会長は「感謝する」という言葉を残しその夜自殺する。
 「私は窓外に目をやった。副都心の明るすぎるほどの光景が眼下にひろがっていた。今日は春の日差しがやわらかく降りそそいでいる。きのう、桜はまだ蕾だが、そろそろ花を咲かせはじめているかもしれない」勧奨退職の身である堀江は残された時間で会長の自殺の真実を追い始める。
 「まぶしさに目を細めながら、あたりを見まわした。すぐそばに、まだ若い桜の木が一本、植わっている。それほど大きなものではないが、枝が頭上近くまでのびている。蕾はまだ開いていない。だが一週間さき、ちょうど私の退職とおなじころになれば、その姿を一変させているはずだ。やわらかい風が吹き、桜の枝がかすかに揺れた」

新潮社 新潮文庫 第11刷 08年10月25日/09.06読了

 ほとんど寝たりきりのおばあちゃんの深夜のトイレの世話をすることで、コウコは熱帯魚を飼うことを許された。その水槽のモーター音でおばあちゃんはコウコと同じ頃の自分に戻っていき、まるで姉妹のような話を始めた
 「遊んでいて、ほかの子供たちといっしょに、農道の脇で驚くほどたくさんの野苺を見つけたことがある。あそこにはなんて涼しい風が吹いていたことだろう」「もう初夏だもの。さわさわと、青い楓の葉を揺らして風が吹きぬける」しかし、私は心の中で呟いた、もう二度と決して山本さんのことをコウちゃんと呼べない。
 「椿か山茶花かよくわからないけれど、貧相な白い花が咲くよ、毎年」「あれは私が植えたの」そうした二人の目の前でむごいことが起きる。最後のエンジェルフィッシュが死んだ。「おまえにもかわいそうなことをした」「コウちゃんは悪魔にもかわいそうだって言う?」「いいんだよ、さわちゃん。姉妹じゃないか」さわちゃんは嬉しそうに泣き笑いした。
 そうしたことがあって、数日後さわちゃんは眠るように亡くなった。

楽隊うさぎ(中沢けい)

新潮社 新潮文庫 第12刷 08年6月10日/09.06読了

 多感な中学生時代、全国大会を目指す吹奏楽部に入部した克久。その周りで起こる様々な出来事。もう忘れて久しいあの頃の感動というものでしょうか。克久が花の木公園に住むうさぎを見つけたのは中学校の入学式まであと二週間になった頃。うさぎは克久の気持ちの中に住み込んでくる。「こぶしの花が咲き終わろうとしていた。桜は蕾を用意しながら寒い風に震えた」
 「花の木中学の四方を囲むフェンスに絡んだ薔薇の蕾が膨らむ季節になると、克久にも音の粒というものが見える気がした」「その年初めて、気温が三十度を超えた日、克久は日直だった。花の木中学のフェンスの薔薇は丸くて小さな青い実を葉のかげから覗かせていた」
 当番でゴミを燃やしている克久に田中さんが話しかけてきた。「独り言を言うように言って、学校のフェンスに巻きついた蔓薔薇の実をむしった」田中さんは県大会を最後に吹奏楽部をやめた。「この子はブラバンをやめたくなかっただんだと気づいた。空に上る煙を眺めてから、田中さんのむしった蔓薔薇の実を踏みつけた」
 「いつの間にか、花の木中学を囲むフェンスに蔓薔薇がいっぱいに花をつける季節になっていた」時間は恐ろしい勢いで流れていた。昨年の秋、先輩の有木が、今じゃなければできない演奏がある、と言った言葉の意味を克久は温かな生き物の身体を抱き締めるように解った。

カラフル(森絵都)

文芸春秋社 文春文庫 第7刷 08年5月10日/09.06読了

 今NHKで放送中の「風に舞いあがるビニールシート」で第135回直木賞を受賞した森絵都。死んだ魂が浮遊してると「おめでとうございます。抽選に当たりました」と、輪廻の輪に戻るチャンスを与えられた僕のファンタジー。
 「ひどく生々しい話をする父親の頭上では、糸杉の枝葉が風に揺れ、ときおり鳥がさえずっている」僕の魂は真(まこと)の身体を借りて、どうしようもない最悪の真の家にステイした。しかし、どうしてだろう。あれほど嫌だった小林家の人びとが、「僕のなかにあった小林家のイメージがすこしずつ色合いを変えていく。角度次第ではどんな色だって見えてくる」
 惜しむらくは、途中で結末が見えてしまう。「僕は僕の世界に戻るため一歩踏み出した」

プラスチック・ラブ(樋口有介)

東京創元社 創元推理文庫 初版 09年6月26日/09.06読了

 はじめて手にする作家である。中身はともかく枯れた公孫樹のブックカバーが気に入ったので買った。樹木の表現が多そうだ
 家出した水江を連れ戻そうと南生子は木村に説得を頼む。「舗装路に舞う欅の落葉を踏んで僕が言う。マクドナルドを出たところでコートを肩にかけ、短い髪をふって、南生子がタータンチェックのマフラーをぐるっとまく。寒い空に桜の枯葉が舞い、山手通りを宅配便のトラックが忙しそうに遠ざかる」「水江が元気ならそれでいいよね」「元気そうで良かった」「それでいいさ」夜はもっと寒くなって、明日は雪がふるらしい。
 「彼女が見つめていた白い花を、ふと思い出す。出口に近い植え込みにほかの木とまぎれ、二メートルほどの高さに小さい花を咲かせている。昨日もこの公園を通ったはずなのに、その花のことを、ぼくはまるで覚えていなかった。ライラック、別名リラ」車内の音が凍りながら拡散し、彼女の視線と彼女のリラの匂いが、ためらわず僕を束縛する。「あなた、疲れるでしょう」。
 「雨はやんでいて、咲き始めた紫陽花に蜜蜂が寒そうに飛んでくる。薄日が射しただけなの紫陽花の花萼は、正直に色をます」腕を水平にのばしたわきの下から、甘酸っぱい汗が匂ってうっすらと赤面する。
 「クルマがやっと通れるほどの道を左にまがり、檜葉垣ぞいにすすむと、突然さびれた平屋があらわれる。垣根の竹は腐って体裁をくずし、まばらな椿も枯れたように萎縮している」大したイベントもなく、今年の夏が水に流れていく。
 「年寄りが鳩に餌をやっている。西日が社の影を長くひき、枯れた公孫樹の葉がアイスダストのようにふりそそぐ。」「あたしが彼氏のことを聞いたら、寛子がプラスチック・ラブと答えたの」「プラトニック・ラブだろ」「あたしも聞き直した。そしたら寛子は、にゃっと笑ってあとは何も言わなかった」
 8つの短編集だが、やけに透明感のある作品だった。

贖罪(湊かなえ)

東京創元社 初版 09年6月15日/09.06読了

 空気がきれいだけが取り得のような小さな田舎町。校庭でバレーボールをして遊ぶ5人の小学生。そのなかのエミリが、知らないおじさんに連れて行かれ殺される。だが四人は四人とも犯人の顔を覚えていないと言う。子を亡くした母は、残った四人に「犯人を捕まえて、そうでなければ償って」と四人に言った。
 子供たちに何ができただろう。残された四人はそれぞれの暗い穴倉の中で時効を迎える十五年間を過ごし、悲劇的な結末を迎える。
 しかし、徐々に真実が明らかになっていく。償うべきは子供たちだったのだろうか。ところで、湊かなえの「告発」「少女」もそうだが、ミステリゆえか少々直截的なところがあって余韻がない。ちなみに樹木は1本も出番なし。

ドラママチ(角田光代)

文芸春秋社 文春文庫 第1刷 09年6月10日/09.07読了

 「寺の塀の内側に、見事な花をつけた木々が続く。枝という枝にみっしりとついた花は、塀を覆い隠すようにあふれている。こぼれるような大ぶりの花で、着色したように鮮やかなピンク色である。『すごいね、これ』思わず言うと、老婆はふりかえり、『八重桜。みごとでしょう。桜より一ヶ月ほど遅いんだね』と得意げに笑った。」
 デートは買い出しになり、ディナーは夕ごはんになり、王子さまは蛙になり、それがきっと私のドラマなんだろう。私はふりかえらずに、四番腺ホームへと走り下りる。橙色の電車が、五月の陽射しに背を光らせてホームにすべりこんでくる。ほんの少しの変化を待ち望む女たち。

光文社 光文社文庫 第2刷 09年6月30日/09.07読了

 「園内に歩を進めると、児童遊園のイチョウやナンキンハゼの木々の葉がわずかに色づいているのが分かる。平日の昼間とあって小さな子供を連れた母親の姿がちらほら見える程度だが、遊園から池の方へ目をやると、秋の日差し中、周遊道散歩したりジョギングしたりしている人々で堀端はそれなりに賑わっていた」九州博多の大濠公園である。「美奈は再び口を噤んでほとんどしゃべらなかった。山中の木々はすでに色づき始めており、その美しい紅葉に目を奪われたためもあるのだろう」美奈は夫と別れる決心をして九州に来た
 「もしも、私があなただったら、こんな私のことを置いていったり絶対しない」何をして欲しいのか、何をしたいのか、自分の気持ちを正直に押し付ける言い分でもある。