小説の木々9年7月
始めは小説に出てくる木を拾い、それを中心に読書メモとしていたが、だんだん趣が変わってきた。出ればメモをしてその部分から感想を書くが、出てこないこともあるので難しい。最近は読み物に困ることがある。そんなときのガイドが芥川賞と直木賞で読む前から一定のレベルにはある。ただし、芥川賞は新人登竜門的作品で作品が若い。娯楽としては直木賞だろう。今はちょっとハードボイルドミステリーの藤原伊織にハマっている。次から次へと流れが変わっていくようだ。
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
遊戯(藤原伊織)
講談社 講談社文庫 第1刷 09年05月15日/09年07月読了
連作短編の「回流」が終わると「未完となりましたことをご了解願います」と書かれている。藤原伊織は2007年5月17日これを絶筆として逝去。
「『すると帰らないってこと?きみは約束を破ろうとしている?』『そういうことになりますね』みのりは微笑し、蛍光灯のスイッチに手をのばした。雪が降ったという話は真っ赤な嘘だと告げながら、みのりが冬の陽射しにあふれる窓を開け放ったのは、翌朝のことになる」
なかなか洒落た終わり方だった・・・合掌!
終末のフール(伊坂幸太郎)
集英社 集英社文庫 第1刷 09年06月30日/09年07月読了
8年後に小惑星が地球に衝突して地球は全滅する。それから5年、諦めからか不思議と小康状態となった世の中で、仙台の同じ団地に住む人々が日々を生きる姿を描く。
「中央には桜の木が植えられていた。南方の市街地を眺める恰好で、ベンチが十個も並び、それに座って景色を楽しむことができる。団地ができたばかりの頃は週末ともなると、ヒルズタウンの住人たちが、ひっきりなしに公園にやってきた」その公園も今はほとんど人はいない。
「葉の落ちた枝は剥き出しの血管のようにも見えて、それを広げる欅はグロテスクだったが、見ようによっては色っぽくもある」自殺をした和也が小さい頃凧を公園でなくしていた、その糸が欅に絡まっているのだろうか。20年も前のこと、残っている筈もないが、老夫婦は欅を見上げる。
「道の先には杉林があり、不気味な様子に満ちていたため足を踏み入れるのにためらいがあった。けれど、後先を考えずに入った。踏み均された細い道がある。早朝の陽射しが木々に隠れて薄暗い。背の高い杉の木が揺れ、地面に交錯する影が震えるように動く」そこで見つけたのは二人の幼子の前から消えた母親のマフラーだった。
あと3年と区切られた人生だが、それでも人は生きていく。死に至る五段階の人間心理、まもなく死ぬことが信じられず(否認)、なぜ自分が死ななければならないのかと怒りを周囲に向け(怒り)、次にどうにか生き続けることはできないかと何かにすがろうとした(取引)のち、死という現実の前に何もできなくなり(抑鬱)、最後にそれを受け入れる(受容)。
数日後、本棚にこの単行本を見つけ「しまった」と思ったが、以前の読後感がなかった。一度読んだ本は数ページ読めば読んだ記憶があるのだが。
鷺と雪(北村薫)
文芸春秋社 第2刷 09年07月15日/09年07月読了
141回直木賞受賞作。昭和初期の華族の令嬢の謎解き物語といえば元も子もないが、これが物語を軽いものにしてしまった。
「残った白い朝霧が、煙のようにたゆとう風情に誘われ、別荘の裏手の、樅の林に足を向けた。樅は、太さも様々なら、直立するものもあり曲がって立つものもあり、それぞれに個性を主張している」軍人若月との出会い、凶事を予感させるブッポウソウの鳴き声。
「大きなブナの木の枝が中から張り出し、涼しい日陰を作っている。そこに塗り壁を背にして立たされた。しんと静かだ」深山幽谷でなければ鳴かず、里に降りることさえ稀という、あの鳥が今昭和十年夏の夜の大東京を渡っていく。
英子は若月に時計を贈ろうと考え、服部時計店に談話をする。しかし電話出てきたのは若月だった。誤って電話を掛けた先は首相官邸。「だがこれからは、この冷え冷えとした白い窓を、いつまでも生きた思い出として抱いて行くだろうと予感した。その年、昭和十一年、二月二十六日のことだった」
ここで2.26事件を出す必要性が分からない。
刻まれない明日(三崎亜記)
祥伝社 第1刷 09年07月20日/09年07月読了
この作家の作品は「となり町戦争」「失われた町」「バスジャック」を読んだ。本書は「失われた町」の続編だが、それにはあまり拘泥せずに、10年前ある町の住民3,095人が消えたとこをそのまま受け入れて読むのがいい。時間ができたらまた「失われた町」を読み返すつもりである。
「五月の陽光が、間近な夏を知らせるように強く降り注ぎ、楠の若葉ごしにくっきりとした陰影を道に描く」「中央図書館は、かってはこ街を治めた領主の居城跡に建っていた。建物を取り囲む樹齢百年を越える大きな楠も雨に濡れ、若葉の緑もくすんで見える」
すでに今はない図書館から貸し出される本の貸し出し記録、ラジオ局に届く今は居ないはずの人たちからのリクエスト、今はないはずの鐘の音、来るはずのない人のために空けてあるレストランの席、走るはずのないバスのテールランプ。季節は春、蝶の姿は珍しくない、けれどもその蝶は、くつもの季節を越えて飛び続けているかのように羽はぼろぼろだった。自ら潰える運命は分かっているのだろう。覚えておくこと、これは天童荒太の「悼む人」にもあったテーマである。
危険な斜面(松本清張)
文芸春秋社 文春文庫 第2刷 09年07月15日/09年07月読了
松本清張の短編はいつ読んでも濃いなと思う。
「庭はかなり広い。池も築山もあった。植え込みの木が多い。南らしく、棕櫚がはを空に広げていた」会社の金を持ち逃げし九州に自殺旅行に出た隆志。そのほか、夫と心中した付き添い看護婦を布団から退かし、自らが睡眠薬を飲む幸子。会長の妾を利用して出世する目論見が粉々に崩れていく秋場。なんだかどこにでもありそうな怖さを感じる。
テロリストのパラソル(藤原伊織)
講談社 講談社文庫 第29刷 09年03月29日/09年07月読了
「秋の陽射しはやわらかく、静かに降りそそいでいた。透明な光のなか、銀杏の落ち葉が平穏な世界を舞っている。なにも問題はないのだ。あらゆる人間にいっときそんなふうに思わせる陽射し。午前十一時の光が降りそそいでいた」このあと新宿中央公園で爆弾テロが起こる。
「一度だけ優子と遠出したことがある。秋だった。箱根まで日帰りでドライブした。山並みを紅葉が染め、芦ノ湖にその色が映っていた。私たちは湖面を見おろすベンチにすわり、その風景を眺めていた」「私は口を閉ざした。彼女が泣いていたのだ。その目から涙がひと筋、流れ落ちていった」優子が私の部屋から姿を消したのはそれから何日もたたないころだった。優子が姿を消した理由は物語の最後に分かるが、その爆弾テロで優子が死ぬ。今は中年のアル中のバーテンダーの島村は、否が応でも事件に巻き込まれていく。
「遊戯」ででてくるみのりとオーバラップする優子の娘の塔子は、作者のタイプではなかろうか。素敵な女性である。
雪が降る(藤原伊織)
講談社 講談社文庫 第19刷 09年01月19日/09年08月読了
「まだ早い午後だった。卓也は近所の公園にいた。大型の台風が近づき、ひどく強い風が吹く日だった。ざわざわ枝の揺れる木陰で、楠の幹を素手で何度も殴りつけていた」学校での出来事が卓也を凶暴な気持ちにしていた。そんな気持ちを忘れさせてくれた兵頭は、台風によりその運命を狂わしてしまう。
「この小さな木の名はなんというのだろう。ふとそう思った。そういえば、木の名前なんかに興味を持ったことはない。生家には広い庭があった。樹木もずいぶん植わっていた。なのに名前に疑問を持ったことは一度だってない。桜とか松みたいに平凡なものは記憶になかった。生い茂っていたあの樹木のどれも、おれは名をいい当てることができなかったはずだ」闇におおわれていく光景、そのなかに燃えあがる炎の色を一瞬堀江はたしかに見た。
ひまわりの祝祭(藤原伊織)
講談社 講談社文庫 第14刷 07年6月6日/09年08月読了
本編はハードボイルドな作品という。そもそもハードボイルド(hardboiled)とは、「堅ゆで卵」、文芸用語としては、反道徳的・暴力的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいい、アーネスト・ヘミングウェイの作風などを指す。藤原伊織の作品にはヤクザあり、銃撃戦あり、謎解きありで、裏表紙にはハードボイルドミステリーの傑作長編とある。
妻が謎の自殺を遂げ、すべてを捨ててアメリカに渡り、今は銀座の片隅で、「つるつるしたプラスティックのような」怠惰な生活を送る秋山。しかし、ファン・ゴッホの8枚目のひまわりを軸に、大きく仕組まれた渦に巻き込まれていく。何故英子は自殺したのか。8枚目のひまわりは本当に存在するのか。祝祭の炎は送り火の炎となって夜空を焦がす。
あの歌が聞こえる(重松清)
新潮社 新潮文庫 初版 09年7月1日/09年08月読了
「校門までは桜並木の道を進む。この一週間ほどの暖かさで、桜のつぼみはだいぶふくらんだ。再来週の入学式の頃には、一年生が満開の桜で迎えられるだろう。三年前の俺たちがそうであったように」重松清は一番揺れ動き、柔らかい時期の中学生、高校生を主題にする。
「その視線の先・・桜の木の陰に隠れるように、母ちゃんがいた。コウジは黙って、舌打ちをした。そして、ゆっくりと母ちゃんに向かって歩き出す。『コウジ!』俺は思わず叫んだ。『コウジ、殴るな!』長い付き合いだ。あいつの背中が怒っているのは、分かる。コウジの母ちゃんは、泣きながらコウジに抱きついた。やがて背中から、怒りが消えた」
桜並木の道に風が吹き抜けた。春の香りのする風だった。
シリウスの道(上) (藤原伊織)
文芸春秋社 文春文庫 第7刷 08年11月5日/09年08月読了
「幼いころ、冬はむしろ好きな季節だった。それも寒けりゃ寒いほどよかった。とりわけ晴れた冬の日が好きだった。裸になった樹木が抽象的な彫刻みたいに小枝をのばし、そのあいまをおちてくるやわらかな陽射しがあった。二十五年になる。おれたちがまだ十三歳だったあのころ、たったひとつのあの夜から・・いま冬はもっともいやな季節になっている」 明子、勝哉、そして祐介。あの夜の秘密が誰かによって暴かれようとしていた。
「テロリストのパラソル」で出てきた新宿のバー吾兵衛とヤクザの浅井が再登場する。酒とホットドッグしか出さない奇妙なバーだが、中年のバーテンダーであった島村は三年前に死んでいた。浅井がその店をつぎ墓守をしていると言う。これが不思議な味わいを出す。
祐介の女性上司である立花が祐介に言う。「あなたも荷物を抱え込んでいる。なにかを抱えこみ過ぎていると辛くならない?」今後の展開が楽しみである。