小説の木々9年8月

  始めは小説に出てくる木を拾い、それを中心に読書メモとしていたが、だんだん趣が変わってきた。出ればメモをしてその部分から感想を書くが、出てこないこともあるので難しい。最近は読み物に困ることがある。そんなときのガイドが芥川賞と直木賞で読む前から一定のレベルにはある。ただし、芥川賞は新人登竜門的作品で作品が若い。娯楽としては直木賞だろう。今はちょっとハードボイルドミステリーの藤原伊織にハマっている。次から次へと流れが変わっていくようだ。

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

シリウスの道(下) (藤原伊織)

文芸春秋社 文春文庫 第4刷 08年8月15日/09年08月読了

 辰村とその女上司立花の会話。「今週末にでもまたふたりで飲みにいきませんか」「また私の膝枕で眠りたいわけ?」「そう。あれはすごく寝心地がよかった」「でも、よだれでスカートに染みができちゃうのはどうだろう」「最初からスカートを脱がせていれば、その心配はないでしょう」彼女はドアのノブに手をかけたところだった。「うん、それはわるくない考えかもしれない」といった。そして無邪気な子どもの表情でふりかえった。「非常にいいアイデアかもしれない」こんな洒落た会話も藤原伊織の持ち味。幼馴染と広告代理店のコンペが縦と横糸で交差するが、脅迫状の件は少し尻すぼみ感がぬぐえない。表題のシルウス。「あれからすべては変わったが、あの輝きはどんな人間の思いも無視し、変わることはないだろう」。

文芸春秋社 文春文庫 第9刷 09年2月15日/09年08月読了

 昭和60年第9回すばる文学賞受賞作。広辞苑を読むのが好きな10歳の女の子、後妻の母を「新しいママ」と呼び、なつけないマリ。勉強を教えるのではなく心の病を治す家庭教師の僕が、ダックスフントの創作寓話を話し、マリは次第にその話に引き込まれ何かが変わっていく。寓話がいよいよ次回が最終回頃、「新しいママ」が駅で足がもつれホームに落ちた。マリは「ママ」と叫び一瞬の躊躇もせずにホームに降り母を抱き起こす。僕がマリを殺したのだろうか。
 「店の向かいにもどってきたとき気がついた。一本の樹木が植わっている。ルノーが衝突した立木だ。いまはみずみずしい、若い葉を茂らせている。それがケヤキであることをはじめて知った。幹の中央に目がいった。樹皮が一ヶ所大きく傷ついている。果肉に不器用なナイフをいれたような傷。それは誰かが十歳のときにうけた傷のようにも見えた」
 「世界はだいたい千個くらいの真理から成り立っている。ジクソーパズルみたいなところがある。で、笑顔と信頼は隣同士のかけらなんだ」

七夕しぐれ(熊谷達也)

光文社 光文社文庫 初版第1刷 09年6月20日/09年08月読了

 少しシリアスなものが続いた。熊谷達也は、私が膝の半月板損傷で入院した折読んだ「邂逅の森」が最初であった。圧倒的な自然の大きさに感動し、映画化するなら高倉健だなと思ったものだが、今回の「七夕しぐれ」はまったく趣を異にした少年のひと夏の忘れ得ぬ人達。
 「ヒマラヤ杉の木漏れ日の下、言われるままに芝生の上で車座になった」僕とユキヒロ、ナオミの三人。大人達の心無い差別、それに端を発した学校でのいじめ、先生の無理解。よく他にあるようないじめと違うのは仲間がいたこと。「学校が退けてから西公園にある市民図書館へとまっすぐ向かった。すでに花びらが散り、緑がまぶしくなりつつある桜の木に埋もれるようにして、西公園の片隅に市民図書館は佇んでいた」三人は反撃を企てた。
 そんなセピア色の思い出のようなお話でした。

隠花の飾り(松本清張)

新潮社 新潮文庫 第24刷改版 21年2月21日/09年08月読了

 「離れた街道では、地対空ミサイルを木の葉や草の下に積んだ大きな軍用トラックが何台も楡とポプラの並木の下を通過した」

 松本清張の短編集である。有名なゼロの焦点、砂の器等々はまだ読んでいない。短編集は比較的気楽に読めるからいい。3,600万円の現金をトランクに持っているのに電話をする100円玉がなく他人のおつりに手を付ける伴子。若い元恋人が結婚する滝子の前夜アパートに来た。熟睡していた男の首には腰紐が巻かれる。

いまだ下山せず(泉康子)

宝島社 宝島文庫 第1刷 21年8月20日/09年08月読了

 久々のノンフィクションである。「雪に埋まった樹林帯をまわりこむと視界が開けた。うずたかい大デブリが対岸まで押し寄せ、岳樺が砕けて散っている」
 1986年12月28日、槍ヶ岳をめざして縦走に出かけた3人の男たちが、予備日を過ぎても下山せず遭難が懸念された。彼らはどこに消えたのか。「6月27日の九時三十分ごろ、長島は一ノ沢雪渓を離れ、高巻き道への夏梯子を上りはじめた。視点が高くなたところで、念のためにと思って、今登ってきた雪渓を振り返った。朝日を浴びてピカッと光るものが目に入った」第一の発見である。しかし、山の経験が豊富な彼らが、何故入ってはいけないとされる冬の沢に下りたかは謎のままである。
 「天空にそびえ立つ白い槍/頂から走り下る荒ぶる谷々/そこへ続く長い尾根の道/人がこの世に現れる前に刻みあげられた地球の顔。一年前、捜査のために登ってきたものがしたように、兄もまた、声もなく、そこに立ちつくした」

風の柩(五木寛之)

徳間書店 徳間文庫 初刷 21年8月15日/09年08月読了

 「さほど荒れた感じはなかったが、やはり年月を経た古庭に共通の、ものさびした気配が霧のようにただよっていた。苔むした露岩や、背後の深い針葉樹の林など、かなり厚みを感じさせる造りである。滝口の左に、見事ないちいの巨樹が左右に屈曲した枝をのばしていた。それが島村の目には、なんとなくうずくまった黒い生き物姿のように見えた」
 「風の柩」は富山八尾町の風の盆が下地であるが短編のせいか物語が希薄すぎる。「さかしまに」は一種謎解きだが軽い感じは否めない。「帝国陸軍喇叭集」はワンポイントのキワメもの。「深夜美術館」も謎解きだが、う~ん、ですね。どうも迫ってくるものがない。五木寛之ってこんなもんだったかと少々不満。
 「窓の外にはプラタナスの葉が激しく揺れ、針のように光る雨が降っていた。いよいよ本格的な梅雨が訪れてきたようだ」

終の住処(磯崎憲一郎)

文芸春秋社 文芸春秋 第87巻第11号 09年9月1日発行/09年08月読了

 いつもはハードカバー本を買うのだが、芥川賞は期待外れが多いので今回は文芸春秋を買った。
 「西の空のいちばん奥深いところにはまだ濃く丸い月が残っていた。両側から
交互にケヤキの若葉が重なり合う、誰も歩いていない遊歩道を、姿は見えない何者かに先導されるようにして彼は進んでいった。植え込みのアジサイは深い緑の葉を保ち、ほとんど朽ちかけてはいるものの梅雨のころの薄紫色の花まで残していた」
 結婚という人間の人生のある意味での虚構の空しさとアンニュイ(退屈/倦怠)を描いているのだろうが的が定まらない。(石原慎太郎評)十一年も会話をしない夫婦、男は自らの人生を意識していないうちに、まるでなるべくしてなったようなところへ追い詰められていく。
 「荒々しく掘り起こされたまま放置された休耕地の湿った土は月面のごとくどこまでも延々と灰色で、地平線近くには死神たちの葬列のような真っ黒なポプラが並んでいた」

永遠の仔(一)再開(天童荒太)

幻冬舎 幻冬舎文庫 初版 04年10月5日発行/09年09月読了

 9月になった、すっかり秋めいてきた。天童荒太の5部冊を読むことにした。
 「鈍重な獣がうずくまった印象だった山々が、明るい緑に浮かび上がり、山肌のそのここに色を散らした山桜や、アケボノツツジ、シャクナゲ、コブシなどの桃色や白い色も、光を受けて輝き始めた。周囲のどこよりも天に近い場所だった。彼方の暗雲のなかでは、音のない稲妻が光り、頭上には太陽が照り付けていた。三人は岩の峰から降りた。いまから人を殺すつもりだった」

 十七年後、決して偶然ではなく、優希と二人の男は再会する。会わずにはいられなかった。
 「優希は、土手に歩み寄り、コデマリの白い花々の壁をこじ開けるようにして、入っていった。優希は、立ち上がって、砂も払わず、海に向かって歩き始めた。帽子を取った。シャツのボタンも外す。服は要らない。光の中に溶けてゆくのだから」頭の中で何も感じない・・・何も覚えていない・・・と繰り返す。

永遠の仔(二)秘密(天童荒太)

幻冬舎 幻冬舎文庫 5版 09年2月20日発行/09年09月読了

 「ガクアジサイが咲き始めた/月桂樹が植えられている。つい最近まで、黄緑色の花が咲いていたが、いまはもう枯れ、小さな実がつき始めていた/椿の植え込みに囲われた休憩所のベンチに、笙一郎あ腰を下ろしていた。サルスベリの木の陰で、かすかな風を感じながら、目を閉じている/ナツツバキが白い大輪の花を咲かせはじめた/ミカンの木々は、高くなってきた日差しを受けて、緑の葉がつやのある輝きを返している/登山道の両側にはフタリシズカの白い花、のアザミの赤紫、カタバミの黄色い花々などが、そこここに咲いていた。麓付近には、梅や桜が植えられていたが、すでに花は散り、梅は緑色の大きな実をつけている。桜は、黄緑色の葉が風に揺らいで、木漏れ日を柔らかく乱した/頂上付近になると、ウラジロガシと呼ばれる樫林があり、暖温帯林なのだと教師から説明があった。ほかには、モミやツガなども育っている/幹は太いままで上に伸び、枝に分かれて、さらに広がり、濃い緑色の葉を茂らせていた。高いところの葉は、日の光を受け、黄緑色に透けて見える/周囲には、バニラに似た甘い香りが漂っている。ベンチの背後の植え込みに、クチナシの花が咲いていた」随分樹木を引き合いに出している。
 優希の弟聡志は、姉の過去の秘密を探ろうとした。子どもに熱湯のシャワーを浴びせ虐待した女が殺される。「一階の台所の窓が割れ炎が吹き出してくる。白煙と黒いすすが家全体をおおってゆく。炎は、白煙を貫いて、壁伝いに這い上がり、屋根のあたりで赤い渦を巻いた」

永遠の仔(三)告白(天童荒太)

幻冬舎 幻冬舎文庫 5版 07年12月25日発行/09年09月読了

 「一定の間隔でサルスベリの木が植えられている。つるつるとした幹から、葉の茂った枝が伸び、三、四センチ程度の濃い桃色の花が咲き始めていた/人けのない遊歩道の、両側の植え込みには、細い葉の茂った低い木が並んでいた。淡い紅色の花が咲いている。キョウチクトウだろう。ほのかに甘酸っぱい香りがする/病棟と塀のあいだに植えられたサルスベリが、強風に揺れ、濃い桃色の花も吹き散らされている」
 優希の弟聡志は、多摩川の女性殺し、自宅への放火、母親殺しの嫌疑を掛けられ警察から追われる。優希、笙一郎、梁平の三人はそれぞれに暴力的、性的虐待の過去を持っていた。