小説の木々9年10月

  日本の森は表情が豊かだ。小さな島国だが、南北およそ3000キロと長い由実状列島であり、気候帯は亜熱帯から亜寒帯まで分布する。加えて標高3000メートル級の山々がそびえ、山襞が深い。南北に長い水平分布と、山岳の垂直分布があいまって、日本の森は懐が深く、豊かな表情を持っている。森は人を癒す。森はそこにある。

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

理由(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第6版 04年12月15日発行/09年10月読了

 99年第120回直木賞受賞作、最近読んだ直木賞作品がいずれも期待外れだったのに比べ、宮部みゆきのミステリーは違った。荒川区の高級マンションで一家四人が殺される。事件を中心に相互に関係のない人達が、近かったり遠かったりしながら放射状につながっている。すでに事件は解決し、ルポのインタビューによるドキュメンタリー形式で徐々に核心に迫っていく解説が、単なる解説ではなく、事件に関わるそれぞれの家族を描いていく。

火車(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第60版 09年6月15日発行/09年10月読了

 93年山本周五郎賞受賞作。火車が「生前に悪事をした亡者を乗せて地獄に運ぶ火が燃えている車」。クレジットカード地獄の狭間に落ちたもう一つの地獄を、休職中の刑事本間が突き詰めていく。「気の早い暦の上ではもう春のはずだが、少なくとも、公園内の草木は、まだそのことを知らされていないようだった。ポプラ並木は、ほっそりとした枯れ枝を無数にのばして空を指し、ほら、まだそこに木枯らしが吹いていると告げるように、てっぺんのあたりがかすかに揺れている。赤く枯れた欅の林のなかで、手をのばせばつかめそうなほど近くを飛びすぎてゆく烏に出会ったが、あれも春の伝令ではあるまい。厚着をしすぎている」

息がとまるほど(唯川恵)

文芸春秋社 文春文庫 第1版 09年9月10日発行/09年10月読了


独身の30代の女性を描く恐ろしい物語、これって以前読んだ本と同じテーマ。「私は綺麗だ。私は頭もいい。私は、私にふさわしい男を選ばなくてはならない義務がある。浅子は鏡に向かって呟いた。そうよ。大塚ぐらいのレベルの男で満足してちゃいけないのよね。『もちろんじゃない。だって浅ちゃんは特別な人、神に選ばれた女の子だもの』褒め称える左智の声が、闇の中からやけに力強く浅子の背を押した」厳しいなー。欲望なのか、見栄なのか。知らずに奈落の底に落ちていく。

樹をめぐる旅(高橋秀樹)

宝島社 宝島文庫 第1版 09年8月20日発行/09年10月読了

 「博多の中心地から北東へ十キロメートルあまりのところに、わずかに突起する変哲のない山がある。標高367メートルの立花山。麓には住宅開発の波が押し寄せる都会の森だ。ところが、森へ踏み込むと樹齢300年を越えるといわれるクスノキの巨木が立ち並ぶ」九州人のAさん、知っていますか。北は北海道釧路湿原のハンノキから南は沖縄県の西表島のマングローブまで全国の樹を巡る。2004年に「週間日本の樹木」という連載ものがあり、その再編集版。人をこれほどにもひきつけ、畏怖するのが樹木の魅力なのだろう。

枯葉色グッドバイ(樋口有介)

文芸春秋社 文春文庫 第4版 07年12月15日発行/09年10月読了

 「だいぶ日が陰って、イチョウの黄色い葉が無人のテニスコートに散っていく。ビルの向うは段丘状の住宅地、そこに小さな空がのぞいて、風が吹くたびにイチョウやケヤキの枯れ葉が舞いあがる」物語は一家三人の殺害の場面から始まる。何かがない、と思っていた。たまたま次に読んでいる本も一家三人の殺害が出てくる。本編は、殺害に関わる凄惨、恐怖、陰湿、そんなことを感じさせない。元刑事でホームレスの椎葉が、二つの事件をすべてを一人で推理、解決していく、スーパマンか?椎葉と女刑事吹石と残された高校生の美亜の会話が軽妙で救い。「花壇も植え込みも見えない庭に、どこかからイチョウの枯れ葉が舞い落ちる」

模倣犯(一)(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第18版 08年11月20日発行/09年10月読了

 墨田区の公園のゴミ箱から女性の右腕とハンドバッグが発見される。犯人はテレビ局に犯行声明を告げる、右腕はハンドバッグの持ち主の古川鞠子のものではないと。捜査は徐々に行き詰っていくが、犯人が何度目かにテレビ局へ電話したときミスを犯し、二人説が浮かび上がる。そんなとき、群馬県赤井市でトランクに男の遺体を載せた車が事故を起こし、浩美、和明が死ぬ。浩美のマンションからは白骨化した遺体が出てきて、「神無きこの国に、しかし今この瞬間だけは、神の鉄槌が振り下ろされた音を、人々は聞いていた」

模倣犯(二)(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第17版 08年11月20日発行/09年10月読了

 浩美は、幼いころから姉の亡霊に悩まされていた。付き合っていた明美と群馬県赤井市にあるバブルの廃墟、通称「お化けビル」にいくことから歯車が狂い始める。浩美は錯乱の中、ここで二人の女性を殺す。小学校から友人ピースに助けを求め、それが連続女性誘拐殺人という暗い奈落の底に落ちていく。他方、愚鈍だが幼馴染の和明は、偶然浩美がテレビ局へ電話するのを聞き、浩美に疑いをもち彼を救おうと決心する。

模倣犯(三)(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第17版 08年11月20日発行/09年10月読了

 連続女性誘拐殺人のシナリオは浩美が頼りにする幼馴染のピースが作っていた。一緒に実行してきた浩美とその関与を知り浩美を助け出そうとする和明、自殺を装い殺そうとする浩美と、浩美を信じて疑わない和明。浩美はなぜ連続殺人に走ったか、何故和明は浩美を放っておけかないのか。そんな中での自動車事故は、犯人が浩美、和明二人説で決着がついたように見せた。「ピースの表情が緩んで笑みが広がった。やがて彼は声を立てて笑い始めた」

模倣犯(四)(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第17版 08年11月20日発行/09年10月読了

 浩美の犯行は間違いが、和明の犯行は物証も無く依然謎のままだが、世間も犯人が浩美と和明にほぼ特定され、ルポライター滋子が書いた本は爆発的に売れる。兄の無罪を主張する由美子は錯乱状態となり、そんなとき兄の友達だったという網川と名乗る男が現れる。「君の兄さんとか友達には、僕、ずっと”ピース”って呼ばれていたからね」。網川は和美の無罪を主張するため「僕が本を書く」と宣言する。

模倣犯(五)(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第15版 08年2月20日発行/09年10月読了

 一躍時代寵児となった網川は、ついには邪魔になった由美子も自殺に追い込む。札幌の女性の証言、和美無罪となる唯一の物証になるだろう深夜の電話相談の記録、拾われた浩美の携帯電話、徐々に捜査網は狭められていく。しかしぼろを出さない網川にも弱点があった。網川は人にプライドを傷付けられるとすぐにカッとなり、ついにテレビの前でこう絶叫する。「僕はサル真似なんかしない。絶対にしない」 
 何故捜査陣が注意しないのかと思っていたこと、テレビ局への二人の電話の主従関係の矛盾と蕎麦屋の和明の行動制約は、網川が和明無罪説として取上げるために作者はわざわざ暖めていたようだ。ただ、刑事の武上が娘にインタネットであるサイトを調べるよう依頼するところで、娘がお父さん宛てにメールが来ているという。しかも内容までいう。インターネットも使ったことが無い父にメールが来ることはありえないことで、著者はおそらくこの頃はメールを使ったことが無かったのでないか。

再会(重松清)

新潮社 初版 09年10月20日発行/09年10月読了

 「親父は中庭のベンチに座って、葉を落とすポプラの木を見上げていた。親父はポプラを見つめたまま、東京のわが家の様子を訊いてきた。僕も、散り落ちるポプラの葉を目で追いながら、大輔と柚美の近況をぽつりぽつりと伝えた」家族ってどうしてこんなにコミュニケーションがお互い下手なんでしょうね。割り切れないことが増えていく。大人になるってそんな割り切れない余りを蓄えておく場所が増えること。とことん切ない物語です。 

魔術はささやく(宮部みゆき)

新潮社 新潮文庫 第71刷 08年11月15日発行/09年10月読了

 一見無関係な三人の女性の自殺が繋がる縦糸、夫・父が横領の罪を負い失踪した母子の横糸。その交点にいた守が走る。「満開の春の、桜の匂いの下だった。吉武の肩に桜の花びらが落ちてきた。あの日の冷たい雨ではなく、暖かい陽の光と桜の花に包まれた場所で、日下啓子が彼を見ていた。そして、ゆっくりと頬をほころばすと彼にむかって軽く頭を下げた。見も知らぬ男が彼女の子供に向けたくれた賛辞に感謝して」あの日の冷たい雨とは、吉武がこの母子の夫・父をひき殺した日。