小説の木々10年3月

 このあたり一帯は、まだ武蔵野の名残があって、いちめんに耕された平野には、ナラ、クヌギ、ケヤキ、赤松などの混じった雑木林が至る所にある。武蔵野の林相は、横に匍っているのではなく、垂直な感じで、それもひどく繊細である。荒々しさはない」武蔵野の雑木林・・・である。(「張込み」松本清張)

不信のとき(上)(下)(有吉佐和子)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 06年6月25日発行/10年3月1日読了

 迷惑を掛けないからとマチ子は浅井の子を身篭る。しかし不妊と思っていた妻も十五年ぶりに懐妊した。男たちはうまく立ち回っていたはずだったが、歯車は徐々に狂い始め破滅へと続く。1968年の映画では浅井/田宮二郎、マチ子/若尾文子、道子/岡田茉莉子、マユミ/加賀まりこと、原作を彷彿させる俳優陣だなと感心。最後に浅井、小柳の二人の男は、女から手厳しく復讐され、なすすべもなく混乱する。男がやってしまったことに対するしっぺ返しだし、ここに女の怖さは特にない。なるべくしてなっただけで、メロドラマ的な物語りは少々平板な感じ。

六月六日生まれの天使(愛川晶)★☆☆☆☆

株式会社文芸春秋 文春文庫 第5刷 10年2月5日発行/10年3月4日読了


記憶を失った女と新たな記憶を蓄積する能力を失った男。ストーリーは無きに等しく、時間の騙し絵で450ページも読ませるのはしんどい。「確かに時折「アレッ?」と思う箇所がある。本の帯にある「読み直したくなる」ではなく「確認のために読み直さざるを得ない」で、これが騙し絵のヒントだが、「五十近くにもなって/まったく二十四にもなって、ベリーショートの髪だからどうせすぐ乾く/乾かすのに時間がかかる、マイルドセブンとライターを取り出す/喘息の持病があり煙草などは絶対吸えず」辻芳江が同じ時間軸に二人いる・・・「雪はまだ舞っていて、葉を落とした街路樹の枝に白い花が咲いていた」これはなんの花だろうか。「街路樹のプラタナスの葉が青々と茂っている」

スイートリトルライズ(江國香織)★★★☆☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 第13刷 10年2月20日発行/10年3月5日読了

スイートリトルライズ、甘い小さな嘘(しかも複数形、お互いのかな)。「不信のとき」よりよっぽどこちらのほうが怖い。「道をはさんだ向かい側に大家のうちがあり、大家のうちの庭には白い椿がさいている」夫は帰宅すると部屋に鍵を掛けゲームに没頭する。妻がお茶を入れると家の中でも携帯で電話する変な夫婦。「もしもあなたが浮気したら、私はその場であなたを刺す。大切なのは、日々を一緒に生きること」。そんな瑠璃子は矛盾は感じていない。「団地のレンギョウ見た?マンションの近くを歩くと、空気に金木犀の匂いがした」人は守りたいものに嘘をつく、あるいは守ろうとするものに。W不倫の夫婦は、夫(妻)だけを愛せたらいいのに・・・とお互いに思う。

楽園(上)(下)(宮部みゆき)★★★☆☆

株式会社文芸春秋  文春文庫 第1刷 10年2月10日発行/10年3月11日読了

前畑滋子は九年前の模倣犯の痕を引きずっていた。そんな滋子に亡くなった息子が予知能力があったのか調べて欲しいと依頼がある。火事にあった風見鶏(蝙蝠)の家と灰色の少女の絵はボランティアの青年の記憶であった。少年は人の記憶を見ることができた。徐々に隠された真実が明らかにされていく。ただし、模倣犯の現場である山荘の絵はついに誰の記憶か明らかにされない。梅の景色は一緒に行った水戸の梅林の母の記憶であった。「お母さん、頭の中に梅の花がいっぱいだよ。きれいだね。きれいだね。風のなかから囁き返す声が、確かに聞こえたと、滋子は思った」

どれくらいの愛情(白石一文)★★★☆☆

株式会社文芸春秋  文春文庫 第3刷 10年1月30日発行/10年3月14日読了

20年後の自分に宛てた手紙を岬は読む。同じような想定の小説があった。確か重松清の「なぎさホテル」だったか。二十年前の自分は真摯に今の自分に語りかける。「岬はその作文を二度繰り返して読んだ。途中からは頬を涙が伝うに任せてい」二十年前の自分を裏切りたくない。「桜ハイツの横の更地に青々とした葉を茂らせたクスノキがあって、その大きな木の方から聞こえてくる。蝉時雨と照りつける太陽、頬や首筋を撫でる夏の熱い風」正平が少し語気を強めてそういうと、不意に晶(あきら)の顔がくしゃくしゃに歪んだ。

悪女について(有吉佐和子)★★★☆☆

株式会社新潮社  新潮文庫 第62刷 09年9月15日発行/10年3月19日読了

「せめて庭に花を沢山植えましょう。草花もいいけど花の咲く木もいいわね」可憐で宝石が似合う女実業家富小路公子、彼女を知る27名がそれぞれの彼女を語るが、同じ彼女なのかと錯覚する。実業家としての力と女性の武器を駆使して、公子は巨額の富を手に入れ、ついには謎の死を遂げる。死んだ彼女を責める人もいるが、なお賛美する人もいる。騙されていることさえ気が付かない男もいる。宝石の本物と偽者が暗示するが、27の証言は、彼女にとって本物と偽者があったのだろうと思う。

がらくた(江國香織)★★★☆☆

株式会社新潮社  新潮文庫 初刷 10年3月1日発行/10年3月22日読了

「海からの風が椰子の葉を揺らし、ざわざわと音をたてる」表題の「がらくた」とは何を言うのか。「古いぼろい日本家屋で、でも庭は広くて夏みかんの木などがあった」一ヶ所だけこの言葉が出てくる。「思い出の品ですものね、ママが口をはさみ、さやかさんは手元のグラスに視線をおとした。ゆっくり揺らして、白ワインをまわす。『がらくたばっかりよ』そして言った。淋しげに微笑んで、でも、なんだか誇らしげに」それぞれがそのとき貴重と思っていたものが、所詮すべてガラクタなのか。「マンションの植え込みには、明るいれんぎょうが、ふっさりと垂れて咲いている」ドロドロ感がなく、むしろ淡々と日々の生活が営まれる。人は人を所有できるが、独占はできない。こうした柊子(シュウコ)の気持ちを理解するのは難しい。「雪柳のしげみ、姫りんごの木が一本と、沙羅双樹の木が一本、棚に這わせたスプレー咲きの薔薇」それでもどうしても独占したいと望むなら、望まないものも含めたすべてを所有する以外にない。果物はジャムにしたほうが『とっておける』とも。

警官の血(上)(下)(佐々木譲)★★★★☆

株式会社新潮社  新潮文庫 第4刷 10年2月20日発行/10年3月26日読了

 今年の直木賞受賞作「廃墟に乞う」よりこちらの方が面白い。親子三代にわたる警官の血、祖父の事故死、父の殉職、和也は40年後にその真相に辿り着く。「窓の外には、樹形の整った庭木が緑の葉を広げている。芝生の庭の先はカラマツの林だった。風はそのカラマツの林の向うから吹き抜けてくるのだった」上野谷中を中心とした下町の駐在警官になることを望んだ祖父と父。早瀬は言う「罪は相対的なものだ」和也は経済犯罪の被疑者検挙に向かい、祖父の遺品のホイッスルを吹く。

千年樹(荻原浩)★★★★☆

株式会集英社  集英社文庫 第1刷 10年3月25日発行/10年3月28日読了

 樹高28m、幹回り12.4m、樹齢推定千年のクスノキの巨樹の周りで起こった昔と今、人と人を物語る。まさにこのホームページで求めているテーマである。大変面白く読めた。しかし、「木が人を癒す、たぶん、それは嘘だ」そもそも人は木に癒されると思っているが、木は人のことなんか考えちゃいない。そこには長い時間があるだけ。