小説の木々10年4月
「このあたり一帯は、まだ武蔵野の名残があって、いちめんに耕された平野には、ナラ、クヌギ、ケヤキ、赤松などの混じった雑木林が至る所にある。武蔵野の林相は、横に匍っているのではなく、垂直な感じで、それもひどく繊細である。荒々しさはない」武蔵野の雑木林・・・である。(「張込み」松本清張)
深紅(野沢尚)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第25刷 09年9月1日発行/10年4月1日読了
小学校の修学旅行で突然家族が事故に会ったと家に帰される奏子(かなこ)。深夜タクシーで東京に戻る間、行き詰る緊張感の中ではっきりと単純な事故ではないことを気づかされる。奏子だけが修学旅行で生き残り、両親、弟二人の家族4人が殺された。その四時間はトラウマとして奏子を苛む。加害者にも同じ年の娘・美穂がいた。八年後、二十歳になった奏子は美穂に近づき殺人を唆す。恨み、憎しみなのか、それで何が報われるのか。「キス、していいかな」そう言って二度と会うこともないことを予感しながら、美穂はついに父親が家族を殺した生き残りの娘だと知らぬまま去っていった。
ボトルネック(米沢穂信)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第6刷 10年3月6日発行/10年4月2日読了
ボトルネック「瓶の首は細くなっていて、水の流れを妨げる。そこから、システム全体の効率を上げる場合妨げとなる部分のことをボトルネックと呼ぶ。全体の向上のためには、ボトルネックを排除しなければならない」パラレルワールドで、別の世界に飛んだリョウ、自分のいない世界、そこで知った事。「窓に寄ってみると、カーテンの色も庭の様子も、ぼくの知るものと大きな違いは見られなかった。狭い庭に植えられた山茶花は、花の季節が終わりかけている」最後にやっと気が付く。自分がボトルネックだったということ。「道路の途中に、木が生えている。ほとんど葉を落としたイチョウが道の上に枝を伸ばしている」このイチョウさえも。徹底的に自分を否定され、最後までこたえる。
弁護側の証人(小泉喜美子)★★★☆☆
株式会社集英社 集英社文庫 第8刷 09年12月13日発行/10年4月4日読了
見事に嵌められた。アレッ??そんな・・・。「教会の前庭のとげなしにせアカシアが、四月のそよ風に葉という葉を揺すっていた」ヌードダンサーの漣子(なみこ)はこうして御曹司の杉彦と結婚した。「朽ちかけていたテラスの甃(いしだたみ)の割れ目に顔をのぞかせている雑草や、前庭の車道に陰を落としている栗の木のそよぎなどが彼女は好きだった。なにげなく視線をそらせて、小径に枝を差し伸べている紫陽花の一輪をなんということもなしに指先でいじった」彼女はすることがなかったが平穏に日々が過ぎていった。「井戸ばたにひときわ近々と枝をさしのべている一本のまるめろの梢をながめた」そして事件は起きた。「フランス扉のわきに、身を忍ばせるのにちょうどいいエニシダの茂みがあるのです」真犯人もそこに身を潜めていた。後味は悪くない。(しかし、元の職業に戻らなくても財産はもらえるだろうに?)
存在という名のダンス(上)・(下)(大崎善生)★★★☆☆
株式会社角川書店 角川書店 初版 10年1月30日発行/10年4月8日読了
大崎善生と聞いて読み進めるとこんな本も書くのかと少々面食らった。ファンタジーである。笛吹き男が村の子供130人を連れて行ってしまうグリム童話を下敷きにして、長崎五島列島でのキリシタン弾圧、ナチス、ヒムラーのユダヤ人虐殺、日本兵による樺太での大量殺戮。恐怖と憎悪の化身であるヘテスを12歳の小学生宗太が3人の戦士とともに滅ぼすストーリー。「原っぱの端に大きな蝦夷松が立っていて、その陰に隠れた。周りにはオンコやナナカマドの雑木が、小屋を取り囲み覆いつくすように鬱蒼と茂っていた」針葉樹林のある北海道岩見沢。「海岸線を這うように作られた町を、白樺の原生林がぐるりと取り囲んでいる。そこは牧場の片隅で、大きな樫の木と牧草を俵形に固めた草ロールに囲まれ、どこからも目に付きにくい恰好の隠れ場所だった」宗太は施設を抜け出し、函館の病院に入院している父に会いに行く。大崎善生でなければまず手にしていないジャンルであるが、結構楽しめ一気に読んでしまった。
凍(沢木耕太郎)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 08年11月1日発行/10年4月10日読了
チベット7,952mのギャチュンカン北壁、山野井夫妻だったからこそ生きて帰ってこれたともいえる相当タフな山岳物語である。凍傷で右足の指五本全部と左右の手の指5本を切断した山野井、二度の凍傷で手足18本の指を失った妻妙子。白髭橋病院の凍傷の権威である医者が「俺が手術をして、生きているのは長尾妙子だけだ」という。イギリスのダグ・スコットから電話があり、ギャチュンカンの登山についてこう言った。「ヤスシ、いいクライミングだったな」山野井にとって山を知り、山を愛するスコットからの言葉は、どんな賞や称賛よりも嬉しかった。ギャチュンカンから五年後二人は再びグリーンランドの標高差1,300mの岸壁に挑んでいった。「凄い」との一言である。
読み始めて気がついた。「しまった、この本は読んだことがある」家に帰り書棚を見ると確かに同じ文庫本があったが、再読することにした。
Railway Stories(大崎善生)★☆☆☆☆
株式会社ポプラ社 第1刷 10年3月21日発行/10年4月10日読了
大崎善生で買ったが、これほど期待外れもない。「芝生を取り囲むように、オリーブ、シマトネリコ、ミモザ、ヤマボウシ、月桂樹、ハナミズキ、モッコウバラなどを植えてもらった」この辺りの庭木はよく分かる。「数本の銀杏の木に囲まれてブランコと滑り台が、まるで義務のように置かれている」義務のように読んでしまった読者もいる。「さよなら、僕のスウィニー」はもう単に甘っちょろいお話だけ。「緑の大地にはポプラ並木が点在し、なだらかな丘の上にはラベンダーの大群が揺れていた」しばらく遠ざかりたい気分である。
永遠のとなり(白井一文)★★☆☆☆
株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 10年3月10日発行/10年4月13日読了
「小ぶりの山門をくぐると、石庭の隅に植わった梅の木が花をつけていた。三分咲きほどだが、ほのかな梅の香りが漂っている」小説を書くにもフッとあたりにある樹木に目を向けてもいいのではないか。あえて言わなくても季節が見える。「山道も中腹を過ぎると樟の巨木がそこここにそそり立ち、広げた枝葉で晴天の空を覆ってあたりをすっかり暗くしていた」誰が世の中、公平だなんて言ったのか。結婚と離婚を繰り返すあっちゃん。「花見のシーズンも今年は早々と終わり、センターのあちこちにぽつぽつと植わっている桜もみんな葉桜に変わってしまっている」自分だって、人生ってこんなもの。いつものことだが、少々理屈っぽい。長々と主張し余韻がなくなる。小説とすればあえて言わずにそれが伝わる方がいい。
櫻守(水上勉)★★★★☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第23刷 09年9月5日発行/10年4月18日読了
桜は染井ではなく、山桜であり里桜であるという。昔伊豆高原でみた染井の並木にうんざりした思いがよみがえる。「京でよくみた白いだけの染井吉野が弥吉には美しくみえて、また、その種の桜が、植えかえもよくきいたので苗圃から庭へこの種を重宝して運んだ。しかし、竹部にきいてみると、これは日本の桜でも、一番堕落した品種で、こんな花は、昔の人はみなかったという。本当の日本の桜というものは、花だけのものではなくて、朱のさした淡みどりの葉と共に咲く山桜、里桜が最高だった」「あれは花ばっかりで気品に欠けますわ。土手に植えて、早うに咲かせて花見酒いうだけのものでしたら都合のええ木イどす。全国の九割を占めるあの染井をみて、これが日本の桜やと思われるのはわたしはしんがいどすねや」弥吉は梅津(かいづ)の彼岸桜が咲く共同墓地へ埋めて欲しいと言って死んだ。そこは由緒ある共同墓地で他国に人間は埋葬できない。しかし弥吉がその桜を守っていたことを村人たちは知っていた。村人は快く弥吉をその墓地に埋葬した。「山の肌がしずかに浮いてくる。山はどこも楓や蔦の赤をちりばめており、絵具を散らしたような晩秋であった」読んでいるとその風景色が目に浮かび、音が聞こえるような綺麗な文章である。
破線のマリス(野沢尚)★★★★☆
株式会社講談社 講談社文庫 第12刷 04年3月15日発行/10年4月23日読了
警察の事情聴取を終えたグレーの背広姿の麻生は、駐車場で爽やかに口元を綻ばせた。たった2秒間の笑顔のあと、麻生のフルショットはゆっくりと意味ありげにフェーイドアウトした。この映像が放送されると麻生の人生は徐々に狂い始める。また、この映像を編集した瑤子もその後撮られる方の恐怖を味わいながら後戻りできない道を歩んでいく。肝心の弁護士や春名の死については明かされないまま緊迫した場面が続き、映像の真実性に疑問を投げかける。
誰かSomebody(宮部みゆき)★★☆☆☆
株式会社文芸春秋社 文春文庫 第11刷 09年12月10日発行/10年4月28日読了
どうも最初読んだ頃に比べ文章が温いというか切れがないというか。人物設定も必要性が見られない。作者だけ知っている過去の秘密を、2,3のヒントに幸運にたどり着き、結局一人にそのほとんどをしゃべらせるのは興ざめ。最後の姉妹の確執もこんなところでおまけにしかならない。むしろ事件を前に出して、ここからストーリが展開する方が良かったのではないか。今回は書くことがない。