小説の木々10年7月



創立してから何十年もの時が流れているこの高校は、校舎全体がくすんだ色をしている。にわかに華やぐのは桜の季節だけで、その時期もすでに終わっている。花をすべて散り落とした校庭の桜の枝には代わりに新緑が生まれ、青空の下で瑞々しい光を揺らせていた(「ナラタージュ」島本理生)

ナラタージュ(島本理生)★★★☆☆

株式会社角川書店 角川文庫 初版 08年2月25日発行/10年7月2日読了

 ナラタージュ 【narratage】とは、narration(ナレーション)と montage(モンタージュ)の合成語で、映画で多く回想場面に用いられ、画面外の声に合わせて物語が展開していく技法。「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう」これが純粋?工藤泉もずいぶんと勝手なものである。他人にとっては残酷である。そもそも恋愛は個人的なもので、自己中心的であるのだが。葉山先生にいたっては単に煮え切らない中年の浮気ではないか。
 「夕暮れはすぐに散ってしまい、目の前に深い冬の夜が訪れていた。長く広い川に沿って延々と植えられた桜の樹からはすべての葉が落ちて、最後の数枚が風に吹かれると川のほうに飛ばされてその流れに飲み込まれていた。手を伸ばせば、空気がぱりっと割れる音がしそうな寒さだった」

夜行観覧車(湊かなえ)★★★☆☆

株式会社双葉社  第1刷 10年6月6日発行/10年7月4日読了

 湊かなえの本は、「告白」「少女」「贖罪」と読んできたが、ストーリの展開に力点があり、一つ一つの文章が丁寧でない、直截的である。従って展開の面白さはあっても文章に余韻がない。本編は高級住宅街ひばりヶ丘の住人の羨望、傲岸、コンプレックスの中での、自らは気が付かない年齢それぞれの切れ方にあるわけだが誰も気が付かない。「どうしてこんなことになってしまったのだろう」「坂道病、普通の人が、おかしなところで無理して過ごしていると、だんだん足元が傾いてるように思えてくる」
 最近よく考えるのが「居場所」という言葉。家族も居場所ではないのか。

鉄の骨(池井戸潤)★★★☆☆

株式会社講談社  第5刷 10年1月7日発行/10年7月8日読了

 興味のある題材であったので一気に読んでしまった。公共工事に絡む難しい社会問題だし題材でもある。しかし最後に尾形のとった行動は非情で予想を裏切る程の荒療治だった。ここまでやるか、できるか。これに萌の心の揺らぎがオーバラップする。「母の涙を拭ってやる。子どもの頃平太が泣いていると母が涙を拭ってくれたように。母の顔に触れたのは、いったいいつ以来なのか、平太は思い出せなかった。りんご、ふと母が呟いた。おばあちゃんちの裏の畑にあるりんごの苗木、萬雑造さんに届けてちょうだい」

マークスの山 (上)(下)(高村薫)★★★★☆

株式会社講談社  講談社文庫 第12刷 09年10月26日発行/10年7月12日読了

 最初は文章が重くてなかなか進まなかったが徐々に圧倒的な迫力に引き込まれていく。気が付くと食事の時間も忘れ没頭していた。「マークス」とはなにか。残念なのは最後に浅野の遺書ですべてを明らかにする手法で、せっかく徐々に分かりかけていたのに遺書でしか謎解きができないところが歯がゆい。この遺書がなければすべて謎のままなのか。おそらくこの遺書では犯罪を証明することはできないだろうし、そもそも時効でもある。水沢が浅野宅に忍び込んだのは偶然か、そのとき水沢が遺書を理解し恐喝できるほどまともでありえたのか疑問(ひょっとしたら私が読み飛ばしたかもしれない)、水沢がどこまで正常でどこまでが異常か分からない。生きるも死ぬも意識にはなく、ただ「手前にもその向こうにも何もない。天空に浮かぶ富士山一つの姿を、水沢は今、見ていた」真知子との最後の約束だった。

あられもない祈り(島本理生)★★★☆☆

株式会社河出書房新書 第6刷 10年6月12日発行/10年7月16日読了

 「私は、言葉をなくして、見上げていた。あなたが、かすかに手を強く握って、ため息をついた。たっぷりと太い幹からグロテスクなほどに隆起した枝の先には、たっぷりと重たい花房がやどっていた。まんべんなく咲き乱れて、眩しい光のようだった。たった一本の茎と数枚の花弁からなる花たちを見下ろすように、素朴な可愛らしさとはほど遠い、暴力的官能的な美しさがそこにはあった」ナラタージュの続編みたいな物語である。この二人の名前が出てこない。「あなたの方が数段いろんなことをコントロールできているとのだと思っていた。だけど実際は、あなたはがんばりたがりの不安定な子供だ。こんなにも私たちが似ていたことに、どうして気がつかなかったのだろう」結局男と女は現実は見ず自ら出口のない迷路にいることを選び、そこから抜け出そうともしない。

照柿(上)(下)(高村薫)★★★☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 06年8月11日発行/10年7月24日読了

 高村薫の本はどうも重い。マークスの山の続編のように警部補合田が主人公であるが、合田(ゴウダ)である必要はない。事件性が異常でもなくミステリーでもない。拝島駅の人身事故、幼馴染の野田とそのかっての愛人美保子、駅で出会った美保子に惹かれていく合田。照柿の色に染まった、男2人と女1人の魂の炉。それぞれが、野田が勤める熱処理工場の炎、照柿(テリガキ)色に焼かれて徐々に狂って壊れていくようだ。「照柿、か。あれは、老朽化した炉の断末魔の悲鳴の色だ。それとも、俺の脳味噌の色か」
 「この時間が止まったら俺はどうするのだろうと自問してみたが、忙しく動き回るのを止めて立ち止まったとたん、居場所がないように感じるのはいつものことだった」達夫はこうして立ち止まれず、どうしようもなく破滅に突き進んだ。読み終えてホッとため息が出るような本です。

眠れぬ夜を抱いて(野沢尚)★★★☆☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 第12刷 06年9月25日発行/10年7月30日読了

 マイアミの銀行強盗に遭い事故死した大出類子。十年後、中河の売り出した清澄リゾートホームに移り住んだ進藤、山路。綿密に仕組まれた復讐の罠。人生のすべてを捨て、ここまでの大掛かりな仕掛けが必要だったかは疑問。テレビドラマにもなったが、まさにテレビドラマを意識したようなストーリーかな。清澄から失踪した進藤一家三人、山路一家三人はなぜか生き生きとしていた。与えられた廃屋を自分たちの手で住みやすく改造したり、少ない食材で夕飯のおかずを工夫する日々の中で輝きを手にしていた。「東京にいた頃よりも清澄にいた頃よりも遥かに家族らしい家族になれた。巣作りってね、女をどうしようもなく元気にさせるの」
これが崩壊直前に瞬時味わった家族の暖かさだった。