小説の木々11年04月

JR四ッ谷駅の二番線ホーム、新宿寄りに大きな枇杷の木がある。一年中濃い緑の葉が繁っていて、初夏には黄色の実が房のようになる。木戸礼治(60歳)は立ち止まって眺めては、これまで何度となく心なぐさめられてきた。初めてこの枇杷の木を見たのは、十八年前のことだ。(「にじんだ星をかぞえて」上原隆)

猛き箱舟・上下(船戸与一)★★★☆☆

株式会社集英社 集英社文庫 第7刷 07年2月6日発行/11年4月4日読了

 上下あわせて1,200ページの大作。一流の男になりたいと香坂は隠岐に近づき、何とかの隠岐の下で働くことになり、ともに西サハラで戦う。しかし戦闘の末待ち受けていたのは囮という役回りだった。何度も死線を彷徨い、収容所に閉じ込められ処刑を待つ身となってしまう。「アスファルトの道路は平坦な大地を南に向かってまっすぐにつづいている。道路際にはぽつりぽつりとアカシアの樹木が生え、雑草が緑色をなしている」刻々と色が変わる果てしないサハラ砂漠を舞台した壮絶な冒険というべきか。
 しかし、下巻は色合いを変え、囮として残され次々とまわりの人を殺されていく香坂はついに復讐の鬼と変わる。なぜ上巻の最初に隻腕のテロリストの死が出てくるか判明する。「陽はすでに西の彼方に沈み、残光があたりを茜色に染めていたのだ。前庭に植え込まれた深紅のバラがその残光に黒ずんで見えた」

漂砂のうたう(木内昇)★★★☆☆

株式会社集英社 第2刷 11年1月30日発行/11年4月9日読了

 この前に読んだ猛き箱舟にされて読書速度が落ちてしまったか。言わずと知れた第144回直木賞受賞作。明治維新から取り残され、武士の家を飛び出し根津遊郭の立番(たちばん、呼び込み)として働く定九郎。「こいつらぁ(金魚)、生簀ん中でしか生きていかれんのじゃろうか」といった賭場の仕切り約だった山公(やまこう)は「生簀を出る」といって西南戦争へ行った。定九郎は「生簀を出ることが自由だとすれば、自分はきっと、何度となくそいつを掴み損なって死んでいくのだろう」と思う。一度は花魁の小野菊への謀略を機に遊郭から出奔するが、我知らず思惑に抗って遊郭に戻ってしまう。「どんなにシンとしたところでもね、動いているものは必ずあるんですよ。海だの川だのでもさ。水底に積もっている砂粒は一時たりとも休まないの」そう言ったポン太は小野菊と静かにゆっくりと確実にある策略を進めていた。少しずつだが定九郎にもかすかに流れる漂砂のように精神的な自立の心が生まれてくる。「椿の花が首ごともげて、廊下に落ちる。花弁が散り、毒々しい黄色の花粉が、拭き掃除を終えたばかりの床面にへばりついた。定九郎は恨めしげに、壁に掛かった一輪挿しを見上げる。椿の朽ち方は、いちの世も不吉だ」

13階段(高野和明)★★☆☆☆

株式会社講談社 講談社文庫 第23刷 09年3月23日発行/11年4月11日読了

 江戸川乱歩賞というが素人探偵が確定した死刑囚の冤罪をたった3ヶ月の期限で晴らすのだがかなり無理がある。光造形システムで三上の指紋を凶器を入れたビニール袋と印鑑に付着させることができるのは今までにない試みであるが。「天使のナイフ」「さまよえる刃」個人的復讐に走ったものは多いがここはもっと冷静にその真理分析が欲しいところ。死刑制度の是非は考えさせられる。

天使の眠り(岸田るり子)★★☆☆☆

株式会社徳間書店 徳間文庫 初刷 10年7月15日発行/11年4月16日読了

 状況説明が多く物語性に乏しい。十三年振りに会った亜木帆一二三(あきほひふみ)は人が違っていたが、私を「しゅうさん」と呼んだ。一二三しか知らない呼び方だ。調べていくと二人の夫が何者かに殺害されていたが、一二三には完璧なアリバイがある。ミステリー仕立てだが起伏に乏しい。「桜並木がみごとで、花が疎水に覆い被さるように枝を伸ばしていて、ピンクのトンネルが鮮やかだったが今は枝だけだ」

不倫純愛(新堂冬樹)★☆☆☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第3刷 11年1月25日発行/11年4月17日読了

 たまには柔らかいものをと不倫と純愛という相反する題の本を手にした。新堂冬樹は始めて、この作品は今年2月に映画化されているらしい。根は「藤十郎の恋」に似たもので、次作品に行き詰った新進作家が浮気と不倫を仕掛け、それを書き物にする。引ったくりから真知子を救うのも偶然に過ぎると思ったが、これも元々芝居と分かる。最後の落ちにしても流れが安易すぎだが、これがなければ単なる昼メロ。これで得た情報で書く作品が果たしてデビュー作を越える評価を得るのか。

動機(横山秀夫)★★★☆☆

株式会社文藝春秋 文春文庫 第31刷 10年5月10日発行/11年4月19日読了

 最後に真実が、深淵が待っている。その予兆は何気なく前もって披露され、これが確信へと変わるあたりはいつも通りうまい。最初に読んだ「半落ち」はどこか中途半端な気がしたが、短編の方が短い分中身が濃い気がする。「テッセンの一枝が風韻を高めていた。闇に襲われた心に、ふっとテッセンの蕾が浮かび上がった」

第三の時効(横山秀夫)★★★★☆

株式会社集英社 集英社文庫 第12刷 09年12月7日発行/11年4月21日読了

 文句なしに「第三の時効」がいい。F県警本部の連作物であり、強行犯係の1班から3斑がしのぎを削り反目しときに協力しスリリングな展開を見せる。殺人は15年(今は違うが)で時効、海外逃亡の7日間でさらに第二の時効。では第三の時効とは。「理由もないのに、無性に熱くなった。家田って男を見ているうちに胸がムカムカしてきたんだ。こいつを許しちゃならないってさあ」退官前の老刑事がいう。