小説の木々11年06月
写真集を集めたコーナーで次々と本を取り出し、サンゴ礁に棲む生き物や、山や、森林を眺めて、しばらく時のたつのを忘れている。降雨の風景ばかりを撮った一冊が特に気に入って、何度も繰り返し見入る。ページの間から雨のにおいが立ち上ってくる。樹木やアスファルトを打つ雨滴のざわめきに包まれていると、そのまますうっと写真の街へ入り込んでいけそうな錯覚に襲われる。永遠に雨が降っているそこでは、ものの輪郭はすべて柔らかい銀色に煙っている。(「彼女がその名を知らない鳥たち」沼田まほかる)
黄金の服(佐藤泰志)★★★☆☆
株式会社小学館 小学館文庫 初版第1刷 11年5月15日発行/11年6月1日読了
ロルカの詩の一節「僕らはともに黄金の服を着た」は「若い人間が、ひとつの希望や目的を共有する」こと。何かをするために生きているのか、あるいは、何かをしたことで生きているということなのか。無為な青春の日々にその何かを問いかけているようだ。
臨場(横山秀夫)★★★★☆
株式会社光文社 光文社文庫 第6刷 09年4月10日発行/11年6月2日読了
終身検視官と言われた倉石調査官。警察組織の論理を無視し、ひたすら現場に臨み、無念な死を遂げた者からのメッセージを丹念に冷徹に読み取る。部下には厳しくも人情味ある型破りな警察官だが、同時に自らも長くないことを悟っていた。「十七年蝉」、永嶋調査官心得の心の奥にあった朱美への思いを「手放してやれ、死人だって自由はある。そろそろ逝かせてやれ」と言って、本人さえ気付かない長かった死者への蟠りを解き放とうとする労りであった。
戻り川心中(連城三紀彦)★★★☆☆
株式会社光文社 光文社文庫 第3刷 09年8月20日発行/11年6月5日読了
凝りに凝った展開を含んだ推理小説だが、三人称の事件説明で、まるで本番をせずに種明かしだけやる奇術をみているようで、盛り上がりがなく歯痒い。自分一人がトリックを知っている、あるいは、分析、推察し、「どうだ読者よ、すごいだろ」のような独りよがりな思いが感じられた。
文章は丁寧語で大正の退廃を醸し出すことに成功しており、自然への観察がきれいで、どこかで引用したいと思う。
迷宮(清水義範)★★☆☆☆
株式会社集英社 集英社文庫 第2刷 11年4月13日発行/11年6月9日読了
一方的に好きになって愛を完成させるには殺すしかないと結論付け、それが私の愛の形だと言って憚らない。実に迷惑な話である。しかし、そんな理屈が理解されるわけでもなく、何故殺したのか追求される。潜在的な小説からのヒントがその殺人を引き起こしたとする虚構に引き釣り込もうとする。だから何だ。
あの空の下で(吉田修一)★★★☆☆
株式会社光文社 光文社文庫 第1刷 11年5月25日発行/11年6月15日読了
ANAの機内誌「翼の王国」連載であったもの。私はJAL派ではなくANAはだから、一度は眼を通したかもしれない。軽い読み物である。「結婚って好きな人とするんじゃなくて、嫌いじゃない人とするほうがいいんじゃないかな」
天使の耳(東野圭吾)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第58刷 11年3月15日発行/11年6月17日読了
交通事故の悲劇ですね。特に死者もでない交通事故は、警察でも重大に扱ってくれず、少ない目撃者頼りで、責任を取らせる事は難しい。しかし事故の被害者にとっては重大なこと。マナー違反の運転にはやりきれなくなりますね。だから自ら復讐を企んだ。
一命(滝口康彦)★★★★☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 11年6月15日発行/11年6月20日読了
「異聞浪人記」は以前仲代達也主演で「切腹」という名で映画化されカンヌ国際映画祭にも出展された。今回も市川海老蔵主演でカンヌ国際映画祭に出展される。この作品以外にも、武士社会の不条理とその運命に弄ばれる人達が在った。解説にある「武士道」と「士道」の違いは考えさせられる。しかし、あまりに日本人的というか、その底流はいつの世にもある。
彼女がその名を知らない鳥たち(沼田まほかる)★★★★☆
株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 第2刷 11年6月10日発行/11年6月23日読了
確かに十和子(とわこ)も陣治(じんじ)も不愉快極まりなく、しかし徐々に意外な終章へ進んでいく。これから十和子はどう生きていくのかが分からない。「爽やかに笑うというのは、顔のどこかに、笑いに占領させない部分を少し残しておくことだ」面白かったですね。
旅する力(沢木耕太郎)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮社文庫 第1刷 11年5月1日発行/11年6月27日読了
二十代は二十代の、五十代は五十代の旅がある。それは同じように見えても同じではない。「ひとりバスに乗り、窓から外の風景を見ていると、さまざまな思いが脈絡なく浮かんでは消えていく。旅を続けていると、ぼんやり眼をやった風景の中に、不意に私たちの内部の風景が見えてくることがある。そのとき、それが自身を眺める窓、自身を眺める旅の窓になっているのだ。ひとり旅では、常にその旅の窓と向かい合うことになる」「重要なのはアクションではなくリアクション、何が起こったか、何を見たかではなく、それを旅人がどう思ったか、感じたかである」三木清の「人生論ノート」にあった「旅で出遭うのは自分自身である」という言葉が蘇ってきた。
別れの時まで(蓮見圭一)★★☆☆☆
株式会社小学館 初版第1刷 11年5月28日発行/11年6月28日読了
帯に「その秘密に触れなければ、ずっと愛し合えていたはずだった」とあるが、これには疑問。伊都子も美人で高慢で鼻持ちならない。時効になった事件を追う公安警察の執念と野望は分かるがもう少しクールに書いて欲しかった。また最後の司法調書は意味が分からない。最後の事件調書はなんだろう、被疑者を通告したから松永が調書を取られるのか、しかし調書内容はとても事件調書とは思えない内容だし。
いねむり先生(伊集院静)★★★☆☆
株式会社集英社 第4刷 11年5月30日発行/11年6月30日読了
宮仕え最後の本がこれになった。ほのぼのと色川武大の人柄が滲み出る本である。五月蝿い事は言わず淡々と、サブローが立ち直っていく。「関東平野はこの風で夏を迎えるのだろう。子供の声に似た風音はすぐ後方でしていた。振り向くと、神社の石塀のむこうに大きな欅の木が聳え、枝がたわむたびに音を上げていた。生きものが鳴くような音だった。子供の声に似ていたのは、たっぷりと葉をつけた枝が競い合って音を立てていたからだった「よく晴れた朝だった。雲ひとつない夏の空は澄みわたって気持ちがよいほどだった。朝の駅の近辺は早朝のせいか人の往来がすくなかった。駅から真っ直ぐ皇居に続く道を眺めていた。道の両サイドに銀杏の樹がゆたかな緑色に揺れ、皇居に続く道が真緑色の透視図のように浮かび上がっていた。」