小説の木々11年08月
川岸にそって道があり、道ばたには欅やイタヤ楓の巨木が立ちならんでいる。風よけの木だが、太い幹は、猥雑な町の喧騒が、村の方まで流れこむのを防ぐように、黒く、がっしりと立っている。水面に、うすい靄を這わせた川に、町の灯がこぼれている。灯のいろはある場所ではぼんやりと靄ににじみ、あるところでは浅い流れにとらえられて、きらきらと光っていた。町の背後の空に、夏の名残りのいろが消えかけていて、衰えた光が道ばたの木木の梢をうすく染めていたが、木の下の道はもう暗かった。(「夜の橋/泣くな、けい」藤沢周平)
夜の橋(藤沢周平)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 11年6月30日発行/11年8月2日読了
「夜の橋」「冬の足音」「泣くな、けい」、市井の女性を藤沢周平スタイルで美しく描いている。何も言わず味わいたいところである。
セカンドバージン(大石静)★★☆☆☆
株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 第5版 11年7月10日発行/11年8月4日読了
最近映画化した作品、確か主演は鈴木京香。なかなかはまり役かもですが。なにしろ偶然の出会いが多すぎる。社長の代役でシンガポールへ出張するとそこで行(コウ)に出遭う。行が引っ越してみればお隣さん。また、物語の最後、映画監督のインタビューにシンガポールへ行けば、また、失踪した行とばったり会う。17歳年下の行との間を一喜一憂するキャリアウーマンというところか。何がセカンドなのか読んで分かった。
猫鳴り(沼田まほかる)★★★★☆
株式会社双葉社 双葉社文庫 第1刷 10年9月19日発行/11年8月8日読了
本屋に平置きで積まれていたが、よくある動物好きの猫物語かなと暫く警戒して手にしなかった。「夕刊を取りに出たついでに、信枝は気の進まないまま声のする方へ行ってみた。日の長い季節独特の明るく青ずんだ夕暮れだった。とっくに花の終わったヤマボウシの枝がサザンカの生垣に被さるあたりの地面に、毛の生えそろったばかりの仔猫(モン)が一匹、進むでもなく退くでもなくよろばいながら、今ではひどく掠れてしまった声を振り絞って母猫を呼んでいた」ところが信枝は何度も何度もその「赤茶色で、なんだかヒキガエルみたいな」猫を捨てに行く。「ヤマボウシやソヨゴの植わった広くもない庭を領土」とした血気盛んな時代も過ぎ、「花梨の実が優しげなかたちに膨らんでくかたわらで、百日紅の黄色い葉が力なくたれている」頃モンも年老いてくる。藤治(とうじ)も既に信枝を亡くし、モンは日増しに弱っていくのを見続ける日々が続く。「暖かい晴天が続いた。庭はみずみずしい緑に覆われ、ヤマボウシの花が真っ白に咲いていた。」モンは死を迎えることは自然で当たり前のことだからと諭すように静かに息を引き取った。
ルパンの消息(横山秀夫)★★★☆☆
株式会社光文社 光文社文庫 第6刷 09年10月30日発行/11年8月13日読了
さすがに横山秀夫、期待を裏切らない。最後の時効1時間前は息も吐かせぬ展開である。惜しむらくはこの事件三億円事件とは別にして欲しかったところ。過去の時効事件が必要な伏線はあるが、三億円である必然性はない。熊の親子の童話がいい。
九月が永遠に続けば(沼田まほかる)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第5刷 11年8月6日発行/11年8月19日読了
「ハンドルに置かれたままの手の甲に、自分の手を重ねて一瞬握り締めてから、私だけすばやく車を降りた。そのときにはそれが最後になるなどとは思ってもみなかった」のっけから不穏な始まりである。そして夜息子にゴミを出してくるよう頼むが「そのまま、文彦は帰ってこなかった」なにか抗いがたい意図で操られているように、人はある方向に進んでいく。そんな本でした。「左手には柊南天や沈丁花のささやかな植栽があった」
下町ロケット(池井戸潤)★★★☆☆
株式会社小学館 第3刷 11年7月30日発行/11年8月21日読了
まるっきり勧善懲悪。特許問題、業績悪化、社員との軋轢、燃焼実験失敗等数々の問題を乗り越えて打ち上げを達成する。ストーリが明快・単純で結果を容易に予想できても、やはり最後の感動気分は素直にいい。小難しい本ばかりではなく、たまにはこういう本もいいな。
月光の夏(毛利恒之)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第16刷 09年5月25日発行/11年8月23日読了
長野に無言館という美術館がある。無言館は、戦没画学生たちの遺作となった絵画・作品・絵の道具・手紙などを収蔵展示している。数年前無言館の館長窪島氏の講話を聞く機会があった。窪島氏の訥々と話す芸術の華を咲かせることなく戦場で散った若者達の話に、会場は次第に静まり返り涙さえ浮かべるものもいた。月光の夏の話もこのとき聞いた。戦争の話は次の世代に伝えなければならない。
虚無(薬丸岳)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 11年5月13日発行/11年8月29日読了
刑法三十九条「心神喪失者の行為はこれを罰しない。心神耗弱者の行為はその刑を減軽する」重い問題である。どのような決着をつけるのか読み進めていたが、こういう結末にもっていったか。少年法といい死刑判決といい心神喪失者といい一概には決められない。「天使のナイフ」もそうであったが、共通するのはいずれも加害者の人権擁護であり、被害者は救われない。気に掛かるところは、人口の1%が罹る病気だと言いつつも、統合失調症と犯罪との関係を安易に書きすぎてはいないか。