小説の木々11年10月

今年も四月がやって来た。東京の四月はいつからか、晴天の空さえそう青くない。桜の開花は子供の頃の記憶よりずっと早く、花びらは桜色というよりは白に近い。うすぼんやりした日差しの、東京の空。・・・あと五分だけ、ここで街を眺めていよう。歩道橋の下をゆきかう車や、傘に埋まる歩道がにじんで見える。あと五分もすれば、頬に伝うあたたかい雫も冷えるだろう。(「ネロリ」山本文緒)

傍聞き(長岡弘樹)★★★☆☆

株式会社双葉社 双葉文庫 第1刷 11年9月18日発行/11年10月1日読了

 題名そのものに大きなヒントがありながら展開が読めない。長岡弘樹の他の本も読んでみたくなった。

草すべり(南木佳士)★★★☆☆

株式会社文芸春秋 文春文庫 第1刷 11年9月10日発行/11年10月3日読了

 「生きる」という言葉が瞬間をあらわし、「生きている」が状態を示しているのだとすれば、「生き延びる」は歩んできた道のり。高年齢登山の気持ちが分かります。「コブシの花、三十年間住んでいる佐久平、千曲川、そして、背景のすべてを占める浅間山。近景から遠景へ視線を移してゆくと、これらを描写しようとする行為のすべてが、絵も写真も言葉も、すべては無意味なのではないかと思えてきて、心地よい虚無感にうながされるまま首を垂れた」と思い、ぬる燗にした酒を傾ける。

アカペラ(山本文緒)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第2刷 11年8月15日発行/11年10月6日読了

 「プラナリア」以来だったかと思う。なんだか不思議な世界。必死には生きていない、だから何なのと。「あと五分だけ、ここで街を眺めていよう。歩道橋の下をゆきかう車や、傘に埋まる歩道がにじんで見える。あと五分もすれば、頬に伝うあたたかい滴も冷えるだろう」

ユリゴコロ(沼田まほかる)★★★★☆

株式会社双葉社 第8刷 11年9月15日発行/11年10月10日読了

 「私のように平気で人を殺す・・」という手記で一挙に緊迫感が出る。ちょっと非日常的だが、不思議な魅力にひかれ、読み始めてから一気読みに近い。その緊張感は想像もしていなかった最後の展開でガラリとひっくり返された。が、なんだ、そうだったのかと、なぜか反面ホッとした結末だった。すぐ「痺れる」を買いにいった。

犯人に告ぐ/上(雫井脩介)★★★★☆

株式会社双葉社 双葉社文庫 第12刷 11年5月10日発行/11年10月13日読了

 劇場型犯罪に対して捜査が行き詰った神奈川県警がとった手段は、劇場型捜査。宮部みゆきの作品にも似た手法があった。県警内部の情報漏洩、階層世界、巻島の家族模様も並行させながら、犯人が唯一犯したミスから、すれすれのはったりで捜査は最終局面に入った。これが現実的か否かは小説の世界だから問題にするまでもなく、十分に楽しめた。

境遇(湊かなえ)★★☆☆☆

株式会社双葉社 第12刷 11年10月9日発行/11年10月14日読了

 同じ境遇だったから親友なのか。幼い頃の境遇が同じでも、かたや何不自由なくお嬢様で育ち、県会議員の奥様で、人気絵本作家。だからといって、出生の秘密を喋れと幼児誘拐までするか。結果も早々にみえてしまうし全体的にミステリーにしては底が浅い。

痺れる(沼田まほかる)★★★☆☆

株式会社光文社 第2刷 11年9月15日発行/11年10月18日読了

 沼田まほかるの短編集。短編集にこそ面白さのエッセンスが表れるというが。「TAKO」の落ちはちょっといただけない、もう一工夫ほしいところ。「林檎曼荼羅」は痴呆症となった母の錯綜した意識がよく表れている。「ヤモリ」はやっぱりやっちゃったという感じ。何気ない日常に潜む恐怖。


陽だまりの偽り(長岡弘樹)★★★☆☆

株式会社双葉社 双葉文庫 第1刷 08年8月20日発行/11年10月21読了

 自分緒痴呆を知られないために狂言強盗をでっちあげる父親、母親の出世のために刑事責任を問われない13歳の息子に交通事故の罪を被ってもらう、父親が息子が暴行を受けたことに気が付かずに通り過ぎた事実を隠すために防犯ビデオを消そうかと悩む。いずれも冷静になれば無理がある心の迷い。

夜明けの街で(東野圭吾)★★★☆☆

株式会社角川書店 角川文庫 第18刷 11年9月30日発行/11年10月24日読了

 難事件をしぶとく解き明かす話が多い中で、時効の15年間も騙し通せるほどのもの事件だったか。最初から自殺なら刃物の方向が違うだろう、警察の詰めが甘すぎで、自殺の疑惑さえない。最後まで耐えて待つ妻の態度が残る。不倫・浮気を戒める作品か。

線の波紋(長岡弘樹)★★★★☆

株式会社小学館 初版第1刷 10年10月4日発行/11年10月27日読了

 あとから考えるとチラチラ途中に伏線も見られる。「誰かが誰かを傷つける、そんな事件の裏側にはときに誰かが誰かを守ろうとする物語が潜んでいる」というキャッチコピーが後半になってやっと分かってくる。

時を刻む砂の最後のひとつぶ(小手鞠るい)★★★☆☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 11年10月10日発行/11年10月28日読了

 最初の一編はどうも違うようだが、あとは連作短編になって短編が繋がっていく。それだけ最初の一編は座り心地が悪い。この作家の本は初めてだと思う。推測できる所は思いっきり削ってあったり、書く所は思わせぶりにコッテリ書いてあったり。女性の成せる業か。人生プラマイゼロ、「私たちが夢をひとつ実現するたびに、かならず失われていくものが、ひとつある」

あなたに、大切な香りの記憶がありますか?(阿川沙和子他)★★★☆☆

株式会社文芸春秋社 文春文庫 第1刷 11年10月10日発行/11年10月29日読了

 嗅覚は記憶中枢の近くにあるという。匂いの記憶が思っている以上に深く人の心に残っている。少年の頃の夏草の匂い、遊んで帰ってきて、汚いからと叱られても、思わず干した布団に顔を埋めた時の匂い、彼女が帰ったアパートでセータに残った残り香。重松清の「コーヒーをもう一杯」の言いにくい時の砂糖をかき混ぜるカチャカチャという間合い、高樹のぶ子の「何も起きなかった」のメールの恐怖。アンソロジーの面白さを楽しんだ。