小説の木々13年08月
この時期は、オヤグマギの人びとも順繰りに手伝いに来て、遠い畦に人の姿がいくつも点々と散らばっており、男性の白い鉢巻と女性の被る手拭いの黄色や桃色が、土の黒と淡い草の色のなかをゆっくり動いている傍らを、やがて学校へ行く子どもたちの姿が通り過ぎていくのです。私は冬眠から覚めた灰色熊のように何度も何度も目を見張り、眺めます。東京で小石川の茫洋とした桜を眺めたのとは違う、未だ冷たい空気と薄い光の膜のような日差しと、畦や田んぼに散る手拭いの楽しげな色の、津軽の春です。(「晴子情歌(上)」高村薫)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
かばん屋の相続(池井戸潤)★★★☆☆
株式会社文芸春秋 文春文庫 第14刷 13年2月15日発行/13年08月02日読了
おりしも、TV番組「半沢直樹」が好調とか。銀行と中小企業、資金繰りが引き起こす悲喜交々。銀行組織の内部を暴く小説としては現在池井戸潤が絶好調というところか。銀行という巨大な組織の特殊性、矛盾も垣間見える。特徴は分かりやすく爽快な勧善懲悪。
ひなた弁当(山本甲士)★★★★☆
株式会社中央公論新社 中公文庫 第3刷 13年6月5日発行/13年08月03日読了
こんな話がたまにはあってもいい。中高年のリストラ、そこから這い上がる物語だが、誰もがリストラ地獄から抜け出せるわけでもない。だが、一つの成功例で、「だから何?」という疑問もある。リストラされたほうが良かったなどという言葉は安易に楽観過ぎる。今どき地方都市にしても、野草も川魚も鰻までこんなに採れる場所がどこにあるか。でも、こんな話があってもいい。
凍花(いてばな)(斉木香津)★★☆☆☆
株式会社双葉社 双葉文庫 第1刷 13年2月17日発行/13年08月04日読了
真梨幸子風。バランス感覚を失った明らかにメンタルな病。「人間は表と裏がある紙みたいなものじゃないでしょ。月みたいに表に見えているところと裏側になっているところがあるだけで、ぜんぶ丸く繋がっているんだよ」
無垢の流域(桜木紫乃)★★★☆☆
株式会社新潮社 初刷 13年7月30日発行/13年08月08日読了
直木賞受賞後第一作とあるが、発売予定は直木賞発表前だから厳密にはそうではない。いつもの北海道東岸の湿った空気の街。確たるものを持ち得ない旅行者達がそれぞれの方向へ彷徨っている景色である。皆がそれぞれに危うく、ギリギリでバランスを保っているような心模様である。そんな中に異分子的な純香が現れ、誰もそれと気付かず、池に小石を落としたように静かに波紋が伝播していく。そして、またこのまま続いていく、みんな旅行者。旧書名「モノトーン」の方が良かった。
東慶寺花だより(井上ひさし)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第1刷 13年5月10日発行/13年08月12日読了
軽い読み物。駆け込み寺としての東慶寺の仕組み分かって面白い。江戸時代には女性が強かったというのも頷ける。
がん 生と死の謎に挑む(立花隆)★★★★☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第1刷 13年8月10日発行/13年8月15日読了
二人に一人が癌になり、三人に一人が癌で亡くなる。そして癌発生のメカニズムも、もちろん根絶治療も現段階ではなく、さらに数十年以上、あるいはもっと時間を必要とする。という現実を見定めて解説する立ち位置は評価に値する。しかし、読めば読むほど人間本来の生命力であり同時に癌の生命力でもある癌の強かさに驚かされる。
ようこそ、わが家へ(池井戸潤)★★★☆☆
株式会社小学館 小学館文庫 第4刷 13年8月11日発行/13年8月16日読了
池井戸作品は単純明快、勧善懲悪、痛快で楽しい。妻の趣味、息子の就職、自分の会社の不正、ストーカーが絡み合い、見えない敵に家族が恐怖を募らせる。一般家庭に盗聴器にも驚かされるが、見えない敵への決め手は防犯カメラ。そのうちこれが必須になるかもです。
橘花抄(葉室麟)★★★★☆
株式会社新潮社 新潮文庫 13年5月1日発行/13年8月20日読了
あるところは藤原周平を思わせ、あるところは吉川英治を思わせる、また、葉室自身の境地もうかがわせ、盛り沢山の時代劇である。こうした作品を読むと、ときに時代劇もまんざらではないと思う。杉江がいう「ひとは会うべきひとには、会えるものだと思っております」(P219)は、森信三の「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。しかも一瞬早過ぎず、一瞬遅すぎない時に」からだろうが心に残る言葉だった。
ファミレス(重松清)★★★☆☆
日本経済新聞出版社 第一刷 13年7月22日発行/13年8月25日読了
ドタバタ喜劇にしているのは笑いあり、涙ありの作風狙いか。どうも好きになれない。妻が本に挟んでいた離婚届を偶然見つけてしまった宮本さん。聞くに聞けず悶々とする。妻が介護で京都に戻り、結局離婚する武内さん。再婚し今では母、夫婦、連れ子と総菜屋をうまく切り回している小川さん。浮気をして事故に遭い生徒の母親、妊娠したが相手の男が真面目に働くといったら分かれた娘。内容は結構シリアスな設定なのだが。しかし、人それぞれで本に結論を求めても仕方ない。
晴子情歌(上)(高村薫)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第二刷 13年5月20日発行/13年8月29日読了
いつもながら高村薫の作品は読み進むペースが遅い、が、それでも我慢して読み進めると、ジワジワと味が滲み出てくる。上巻はそれでも状況説明が多く、巻頭に家系図が出てくるのも分かる。この家系図で、美奈子と彰之が何故点線で描かれているか、物語の先を予感させる。
みんなのうた(重松清)★★★☆☆
株式会社角川書店 角川文庫 初版 13年8月25日発行/13年8月30日読了
重松節だが、内容は誰も容易に解けない矛盾だらけ。でもこうした波は誰も悪くない、誰も止められない。