小説の木々13年10月

  かろうじて残る緑といえるものは、校庭のはしに植えられた、桜の木だけ。それも異様に貧弱だ。ひょろりとのびる枝先に花はぱらぱらとさいているが、入学式を盛りあげるのはとうてい無理だ。「桜がわびしいでしょ。わたしが来たときは立派な桜並木だったんだけどね。まわりの家から、大きくなりすぎてじゃまだし、倒れたら危ないし、落ち葉が迷惑だって苦情が出てね、切り倒したのよ、みんな。だからこの桜は、去年植えられたばかりなの」(「きみはいい子」中脇初枝)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

思い出トランプ(向田邦子)★★★★☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第81刷 12年3月15日発行/13年10月4日読了

普通の家族、夫婦、サラリーマンの心の奥にしまいこまれた弱さ、狡さ、後ろめたさを見せる。直木賞対象にはなっていないようだが、「ダウト」はだれにでもありそうな後ろめたい心模様。短編もなかなかいい。

雪のチングルマ(新田次郎)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第4刷 13年7月5日発行/13年10月7日読了

大衆読み物である。山の遭難事故は結果論的に言えば怒るべくして起こるものだが、好き好んで起こす人もなく、一体誰がそれを回避できるのか。事後の多くの論評は空しい。これほど常に死をまじかにしてやるスポーツもない。

きみはいい子(中脇初枝)★★★★☆
株式会社ポプラ社 第1刷 12年5月20日発行/13年10月10日読了

「べっぴんさん」「うばすて山」が悲しく切なく。「よせあつめの町、よせあつめの家、よせあつめのこども、よせあつめの(先生)」。それでも「きみは悪くない、きみはいい子」と言ってくれる。

失恋(鷺沢萌)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第7刷 05年2月25日発行/13年10月20日読了

恋心が感じた喪失感とちょっとした挫折感。微妙な心模様である。「記憶」の不誠実な男心が分かっても離れられないものか。

そこのみにて光輝く(佐藤泰志)★★★☆☆
株式会社河出書房新社 河出文庫 初版 11年4月20日発行/13年10月21日読了

達夫、千夏、拓児。それぞれの個性をうまく出ている。それぞれが運命的に出遭い、流れに逆らうでもなくある時は甘んじ、ある時は抵抗し、それでも淡々と前へ進む。

ドキュメント生還(羽根田治)★★★☆☆
株式会社山と渓谷社 ヤマケイ文庫 初版 12年2月5日発行/13年10月23日読了

自身、低山/ハイキング登山をするし、現に冷やりとした事もあるので身に詰まされる。3,000m級の山であれハイキング程度の山であれ遭難は起こりうるし、生と死を分けることもある。気をつけなければならないと思う。続けて「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか」を読んでみたい。

わたしをみつけて(中脇初枝)★★★★☆
株式会社ポプラ社 第1刷 13年7月13日発行/13年10月24日読了

前作と同様桜の樹がない桜ヶ丘の病院での話。准看護師の弥生は、「いい子」にしていることが自分の生きる術と信じ、自己を喪失しながら生きてきた。藤堂師長が見失っていた、見ないようにしてきた自分に気付かせてくれた。自分一人で生きてきたのではない、こんな自分でも誰かが見守ってくれていた。そこにはやっと他人を見守れる自分がいた。

トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか(羽根田治他)★★★★☆
株式会社山と渓谷社 ヤマケイ文庫 第2刷 13年2月5日発行/13年10月26日読了

この遭難事故はTVでみた記憶がある。原因が疲労凍死くらいしか知らなかったが、低体温症と山の恐ろしさをまざまざと感じさせる。北海道とはいえ2,000m級の山で7月の夏の盛り。当然だが生還者だけからのインタビューが中心だが、非常に科学的に推察を試みている。中高年登山を行うものは必読の書である。

虚空の登攀者(佐瀬稔)★★★☆☆
株式会社中央公論社 中公文庫 第4刷 11年3月30日発行/13年10月29日読了

世界三大北壁の冬季単独登攀者である長谷川恒夫の生涯である。人並み以上の山登りの実力を備え、数々の実績を残した男。先日谷川岳の資料センターにも長谷川が使った山道具が飾られていた。話には聞いていた「第二登おめでとう」事件は、拘りは分かるが、あきらかにやりすぎ。長谷川にしても森田にしても完璧なエゴイストで寂しがり屋。そんな長谷川もついにヒマラヤの頂上には登れなかったのは、波が去ったような運命的なものさえ感じる。遭難当日もナジールの言うように朝早く出ていれば、と思うが、これが運命とうものか。