小説の木々14年04月

頭の内部が、空白になっていた。自覚症状がなく血色の良い弟が、癌の末期患者であると思いたくないが、醍醐氏の言葉だけに信じないわけにはゆかなかった。窓が光り、遠くで雷鳴がした。私は、窓ぎわの沙羅の樹葉が大きく揺れるのをうつろな眼でながめていた。・・弟が手術後一ヶ月で背中に痛みを感じるようになっているのは、決して切開痕の痛みではなく、その部分に異常が生じているとしか思えなかった。秋色が濃くなり、庭の沙羅の葉が朱色に染まった。近くの公園の池に渡ってくる鴨の数も増していた。(「冷たい夏、熱い夏」吉村昭)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

生存者ゼロ(安生正)★★☆☆☆
株式会社宝島社 宝島社文庫 第2刷 14年3月13日発行/14年04月01日読了

正体の見えないウィルスは恐ろしい、と、パンデミックに空恐ろしさを感じつつ読み進めたのだが。意識的とは言え、中央の指揮官の対応が漫画のように無能すぎ、反面、突然な現れる昆虫学者と自衛官の抜群の働きが超人過ぎて興をそがれる。しかし、ウィルスと思ったのが・・・

朱の丸御用船(吉村昭)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第4刷 11年5月10日発行/14年04月02日読了

「破船」と似た題材だが、御城米を横流しする悪事の巻き添えで、難破船から米を横領した村人たちに災厄が降りかかる。難破船からの取得物は海からの恵という考えが定着し、村人だけで秘密を共有してきた。しかし、今回は通用しなかった。自業自得と簡単に片付けられない貧困がその底にある。

闇を裂く道(吉村昭)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第10刷 11年7月5日発行/14年04月07日読了

つくづくトンネル堀というのは、過酷で自然に立ち向かう仕事である。「高熱隧道」でも十分それは伝わったが、今度は丹那トンネル7km強のトンネルであるが、黒部の山中とは違った苦難があった。多量の湧水、土砂、崩落、地震、これに加えて地域の環境・生活破壊。熱海口の崩落は死者16名を出したが、奥に閉じ込められた17名を8日振りに救出する場面は感動的である。戦後の新幹線計画は蛇足の感がありはしょりすぎ。書くならもっとじっくり書きたい題材である。

雪の花(吉村昭)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第18刷 14年2月20日発行/14年04月08日読了

歴史記録文学というのでしょう。天然痘を撲滅するため私財を投げ打って種痘を広めることに奔走する一町医の飽くなき戦いの日々である。

二重葉脈(松本清張)★★★☆☆
株式会社光文社 光文社文庫 初版第1刷 13年7月20日発行/14年04月13日読了

686ページはしんどい。企業破綻に伴う横領、中小企業の連鎖倒産という社会背景をバックにしているが、綿密に計画された謀略が徐々にその深層を露にしていく。派手さはないが、トリックの妙を一枚一枚ベールを剥ぎ取るように表に出していく謎解きミステリーである。

押入れのちよ(荻原浩)★★☆☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第8刷 12年6月10日発行/14年04月15日読了

表紙のからして幽霊ものだとは分かる。「押入れのちよ」は話が中途半端(もっともこれが「愛しの座敷わらし」になったか?)。「予期せぬ訪問者」などは単なるドタバタ。「木下闇」はクスノキの人間離れした不気味さが十分出ているが、20歳前後の男が6歳の女の子を家人に咎められず樹上10数メートルに持ち上げらるか疑問。期待外れ。

見えない橋(吉村昭)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第3刷 12年3月10日発行/14年04月20日読了

「夜の道」子宮癌に罹った母の死に対して不思議と現実味を伴わない思い、急ぎ帰った夜風呂場で喀血し始めて涙が流れた。モルヒネで中毒症状を来たした母の最期の壮絶な看護が痛ましかった。しかし、介護に疲れ疎ましくなった自分にも母への思いは消えなかった。「小刻みにふるえ、かすかな声を発してるその異様な物は、僕の体に不思議と暖かかった。病人のあの饐えたような臭いはしていたが、僕は、その体に母を感じていた」

冤罪死刑(緒川怜)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 13年10月16日発行/14年04月23日読了

死刑囚の絞首刑の様子をつぶさに表す。途中全体の筋に直接関係しない刑務官と刑事局長の挿話があるが、最後にその伏線の理由が分かる。タイトルは冤罪を被せて死刑にするという意味か。

戦艦武蔵(吉村昭)★★★★☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第77刷 13年12月15日発行/14年04月27日読了

壮大な無駄としかいいようがない。建造開始が昭和十三年だから、このときに航空機優勢の判断はできず巨艦巨砲主義に進んだのはやむを得ないのだろう。真珠湾攻撃、それに続くマレー半島カンタン沖での英国戦艦攻撃と航空機優勢の実証を見せた日本が、米国航空機で大和、武蔵を失うというのも皮肉である。戦争物というより日本人の技術力、物作りの歴史のように思われる。完成した時はすでに無用の長物と化し、終にその力を発揮することなく多くの人命とともに海の藻屑と消える運命は、時代の流れであったのだろう。

昭和の犬(姫野カオルコ)★★★☆☆
株式会社幻冬舎 第3刷 14年1月20日発行/14年04月29日読了

昭和という時代を、懐かしく色濃く出す。そばに犬がいた。これと言って取り立てて言うこともないほど平凡でチョット変わったイクの半生記は、大きな不満があるわけでもなく、苦労はあったがそれなりに。ほんのりする時の流れである。