小説の木々14年06月
ふと、闇の中にかすかな芳香がただよっているのを感じた。道にそった塀の中に梅の樹があるのだろうか。寒気のことにきびしい冬で、桃も花ひらいていい時節なのに、まだ蕾のままだという。が、ようやく寒さもゆるみ、夜気が春めいている。大事を明後日にひかえているのに気持がくつろいでいるのは、酔いだけではなく春らしい夜気のせいだ、と思った。(「桜田門外ノ変(下)」吉村昭)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
盲目的な恋と友情(辻村深月)★★★☆☆
株式会社新潮社 発行 14年5月20日発行/14年06月01日読了
「恋愛というは、彼女がしているあんな”ありきたりなこと”ではなく、私と茂美のような”特別な、かけがえのないこと”だ。」と傲慢にも思う。綺麗である事がそれほど特別なのか。ついにこの呪縛から逃れられない。「あの子は、私の春だった。誰にも愛されない、私の、明けない冬の時代に訪れた、春だった。私を親友だと、呼んでくれた。」と、独占欲のため、一度は作り上げた架空の塔を自ら崩す親友。たった一人の女が美しいという理由だけで引き起こす無残さなのか。
暁の旅人(吉村昭)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第4刷 12年7月2日発行/14年06月04日読了
オランダ医官ポンペに本格的に西洋医学を学んだ良順は、漢方医を尻目に、徳川家の奥医師まで勤める。幕末の動乱期には、徳川への忠誠のため、会津、米沢、庄内へと幕府軍につき、榎本武揚とともに蝦夷の地に行きそうになったが、土方歳三の勧めで江戸に戻り、数年の謹慎から釈放される。ここからあれよあれよという間の出世で、江戸に戻ったあとは駆け足のように新政府の中で高級官僚に上り詰め、物語の付け足しのような感じがする。艱難辛苦の蘭方医の物語が、徐々に鼻持ちならない出世物語に変貌するが、子を亡くし寂しい晩年はその陰の部分だろうか。
代償(伊岡瞬)★★★☆☆
株式会社角川書店 第3版 14年5月30日発行/14年06月08日読了
前半(少年時代)は、ザワザワ、ゾワゾワと虫酸が走る思いでページを進める。巧妙で悪知恵の働く達也は大人になっても何も変わっていなかったどころか更に磨きさえ掛かっていた。本間事件では無罪を主張し、隠し持った確実なアリバイで、圭輔を弁護士生命さえ危うくさせ完膚なきまでに打ちのめす。寿人(ひさと)と圭輔は少年時代の逃げ腰を反省するかのように、警察権もなしに達也の深層に迫る。中華料理店で道子、達也の悪事を暴いてから警察に知らせに行ったが、いかに達也が保釈中とは言え逃亡の危険がなかったか。達也は秀秋殺人の際も13歳、門田、本間も殺人教唆はあっても実行犯は道子だし、果たしてこの悪魔のような男にどこまで法の裁きを与えることができるか、少々不安と疑問を残して終わる。
ケモノの城(誉田哲也)★★★☆☆
株式会社双葉社 第1版 14年4月2日発行/14年06月10日読了
グロテスク。似たような事件があったが、ここかまで書かれると読むのにも辛抱が必要になる。「学習性無力感」(1967年セグリマン、長期間、回避不能な嫌悪刺激にさらされ続けると、その刺激から逃れようとする自発的な行動が起こらなくなること)の典型であるが、その出口は、闇の中。最期麻耶と幸枝の供述の違いに深層の闇を見る「藪の中」である。
三陸海岸大津波(吉村昭)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第10版 11年4月25日発行/14年06月12日読了
この本が最文庫化されたのが平成16(2004)年、吉村氏が亡くなったのは平成18(2006)年。明治29年の大津波、昭和8年の大津波、昭和35年のチリ地震津波、昭和43年十勝沖地震津波等を経験した早野氏が吉村氏に語ったという言葉。「津波を、時世が変わってもなくならない、必ず今後も襲ってくる。しかし、今の人たちは色々な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」。それまでの津波で大きな被害を被った宮古市田老地区には、万里の長城と呼ばれた全長2,433m、海抜10mの防潮堤もあった。しかし、平成23(2011)年3月11日、東日本地震に伴う大津波は、その防潮堤を軽々と越え、2万人弱の死者を出した。もちろん何の対策もしていなければさらに死傷者は増えていただろう。自然を前にした人間の無力さををまざまざと知る。謙虚に考えれば、想定外などという言葉はむなしく、津波に続く原発事故に対しては、福島に原発を造ることは誤りだった。
株式会社新潮社 新潮文庫 第12版 10年2月25日発行/14年06月18日読了(上)
株式会社新潮社 新潮文庫 第15版 10年10月 5日発行/14年06月19日読了(下)
御三家の一つ、水戸藩でこれほどまでに改革派と門閥派の内紛があり、幕府との確執があったとは知らなかった。上巻で、何故、脱藩した水戸藩士が井伊大老を襲ったか分かる。襲撃はものの3分、それも決して格好の良いものではなかった。暗殺後、京都に兵を出すと約束した薩摩、鳥取は動かず、東西呼応した計画は失敗した。下巻の逃亡生活、追い込まれていく様は緊張の連続である。暗殺からたった8年で幕府が倒れた事実も見過ごせない。すでに世界は日本が鎖国を続けられる時代ではなかった。また、井伊直弼しか開国するほどの実行力を持った人もいなかった。それらが組み合わされて時代が流れていったということか。
星々たち(桜木紫乃)★★★☆☆
株式会社実業之日本社 初版第1刷 14年6月15日発行/14年06月28日読了
それぞれ別な話だが、底辺に塚本千春がいて連作ものだと分かる。母咲子、その子千春、孫のやや子。3人がどこか同じ性分を持って生きていく。3人が3人とも、こんな人生、それでも、いいじゃないかという。「案山子」で保徳が塚本という名の女性を「千春」と名付けるのはやや飛躍しすぎ。
貌孕み(板東眞砂子)★★☆☆☆
株式会社文藝春秋社 文春文庫 第1版 13年9月10日発行/14年06月29日読了
嘉津間が見てきた魔界が現代のことで、その視点は興味深いが、最後の「妖魔」に至っては支離滅裂。すっきりと閉めたいところである。