小説の木々14年07月
「駿ちゃんが生まれたときにねぇ、おばあちゃんは、この木を植えたんだよ」庭の隅に二メートルほどのキンカンの木があった。青々とした葉をつけ、あちらこちらにオレンジ色の二、三センチほどの実がなっているのが見えた。中庭のはずれだったせいか、こんな木が育っていることに、初めて気付いた。雨上がりで、キンカンの濡れた葉が青く美しい。中庭を出た時、母は駿に、もいだばかりのキンカンを渡していた。駿は少し齧り、歯形のついたそれをなんだかぼんやり見ている。駿は母に笑いかけた。幼かった頃のままの、何の曇りもない笑顔だ。母はすべてを与えつくすかのような表情で駿を見る。母は次にいつ会えるか分からない駿の言葉やしぐさ、表情のすべてを、自分の胸に大切に刻みこもうとしているように思えた。(「青い約束」田村優之)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
死亡推定時刻(朔立木)★★★★☆
株式会社光文社 光文社文庫 第24刷 14年4月15日発行/14年07月01日読了
徐々に蟻地獄に吸い込まれるように、冤罪が作られていく姿が、それほど異常でもなく、空恐ろしさを感じる。また、控訴においても、裁判所が明らかにおかしいと思われる事柄に対して、初めから却下ありき姿で、こうも簡単に却下され、たった一人組織も金もない人間の弱さを感じる。起こりうる姿である。
平凡(角田光代)★★★★☆
株式会社新潮社 14年5月30日発行/14年07月03日読了
「もしあのとき」、果たして別の人生はあったのだろうか。人生の岐路に立ったなどと大袈裟でもなく、「お握りを作った」たったそれだけでドミノ崩しのように別の人生が分かれていく。考えても仕方ないことかもしれないが皆持っている気持である。
陸奥爆沈(吉村昭)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第28刷 13年7月5日発行/14年07月05日読了
戦艦陸奥爆沈のノンフィクション・ドキュメンタリー。昔、映画を見たような気がする。このときは確かスパイ説だったように記憶している。しかし、軍艦爆破、火災事件の多くが人的災害であることには驚かされる。また、ミッドウェイー海戦でもそうだったように機密と称して関係者を隔離し、国民に目を欺くどうしようもない日本軍の本質は如何ともしがたい。確かに敵国あるいは自国民に対して秘すべき機密はわかるが、自国民を欺く機密など何だろうかと思う。結局それが大本営発表につながる。
人質(佐々木譲)★★★☆☆
株式会社角川春樹事務所 ハルキ文庫 第1刷 14年5月18日発行/14年07月07日読了
人質事件とすればどうしても瀬戸口の共犯に説明がつかない。金を強請るのなら人質事件は必要だったか。もっともそれがこの小説の肝ではあるが。裏の強請事件を並行させて、「圧倒的な緊迫感」とあるが、残念ながらなんとも緊迫感に乏しい。
漂流(吉村昭)★★★★☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第54刷 13年10月30日発行/14年07月09日読了
無力な人間と、圧倒的で過酷な自然との闘い。昔の船乗りは凶暴な自然に対して命掛けの仕事だった。長平がたどり着いた無人島・鳥島ががアホウドリが飛来し、雨の多い島だったから、また生き抜く知恵も使いようがあったが、13年もの孤島生活は余程強い意志がないと生き抜くのは容易ではない。「無人島長平」、実際会った話。砂漠から改造飛行機で脱出した映画があったような。
青い約束(田村優之)★★★☆☆
株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第8刷 14年7月2日発行/14年07月11日読了
元の書名「夏の光」。もうどっぷり青春。友情、恋愛、疑惑、信頼、後悔・・・。ただ素直に読めばいいのではないかと思う。
春から夏、やがて冬(歌野昌午)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第1刷 14年6月10日発行/14年07月13日読了
妻と娘がいて仕事も一時は役員候補にも名前が挙がるほど順風満帆の人生が娘を事故死ですべてを失っていく。娘は当て逃げされ17歳で死に、妻は自死した。ヘッドホンをして携帯を使っていた跡があり、娘にも過失の疑いがあり、当て逃げの時効はすでに過ぎ、さらに自らも肺癌の宣告を受けすべてに救いがない。こうしてみると、ますみは貧しいDVを受ける娘だが、実は聖女ではなかったのか。
深海の使者(吉村昭)★★★★☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 新装版第4刷 14年3月5日発行/14年07月18日読了
今まで第二次世界大戦での潜水艦を扱ったものが少なく、その動きに長く疑問を持っていたが、ドイツUボートとに違い、大西洋と太平洋の戦略の違い、遠くはなれた三国同盟の交流等、その一端に触れることができた。潜水艦は隠密行動に真価があるが、如何せん、構造上被爆に弱いし水中速度が遅い。欧米のソナーの技術力発達も脅威であった。航空機の利用も日ソ不可侵条約に制約されたのも皮肉である。成功の確率の低い中で、多くの犠牲を出し、三ヶ月もの長期間をかけて日独間を潜行する潜水艦への鎮魂歌である。
告発者(江上剛)★★☆☆☆
株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 初版 14年6月10日発行/14年07月20日読了
合併銀行内での勢力争い、貸し渋り/貸し剥がし、スキャンダルと盛り沢山のようだが、いずれも底が浅い感じがする。また、関口の奮闘もやや爽やかさに欠ける。
地層捜査(佐々木譲)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第1刷 14年7月10日発行/14年07月22日読了
TVドラマの相棒を思わせる。二人の再捜査で浮かび上がった地上げ説、怨恨説。相談員の加納が隠し、水戸部をミスリードさせようとしている背景にある事実。時効案件は立件する証拠に乏しく難しいだろう。水戸部は半分情に流されそうだが、被疑者にどのような処罰を加えるかは警察・検察ではなく裁判所の仕事。分かった以上、それでいいと思う。
心に雹の降りしきる(香納諒一)★★★☆☆
株式会社双葉社 双葉文庫 第2刷 14年6月5日発行/14年07月27日読了
都筑刑事は一匹狼の悪徳刑事だが根は優しい。刑事には見聞きした事象だけに囚われない、その裏にあるものへの想像力が必要だと分かる。悲劇的な結末を想像したが、わずかに救われる希望を見せてくれる。
一応の推定(広川純)★★★☆☆
株式会社文藝春秋 文春文庫 第1刷 09年6月10日発行/14年07月29日読了
推理物の原点は疑問をもつことと想像力だと思う。人形のケースにしわがあった、人形の片目が完全に瞑らないことは最後まで引きずっている。疑問の原因は何かある。そんな気がした調査結果だった。
ドミソラ(うかみ綾乃)★★★☆☆
株式会社幻冬舎 第1刷 14年6月10日発行/14年07月31日読了
徹底的に黒子として尽くすことで喜びを感じる由羽だが、それは独善的な独占欲だった。二人と同化してやっと希望が見えた。