小説の木々14年09月
小兵衛の声にふと見上げると、いつの間にか赤い花を散らした椿の森だった。樹の丈が高すぎて、新太の目には満開の花が目に入らなかったのだ。椿が大木になることを、新太は知らなかった。石段の頂に、小体なな茅葺の山門があった。くぐった先は一面の椿の庭だった。みっしりと土を被う苔の上のそこかしこに、真紅の花が散り敷いていた。「新太郎様」自分の名前だ。答えられずに唇を噛むと、満天の赤い花が涙でにじんだ母はきっと、椿の森に佇んで見送っているだろう。いつしか風は止み、西日があかあかと山道を照らしていた。椿の森が雑木林に変わるあたりで、新太は足元に落ちた大輪の花を、そっと懐に入れた。(「椿寺まで」浅田次郎)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
そこへ行くな(井上荒野)★★★★☆
株式会社集英社 集英社文庫 第1刷 14年7月25日発行/14年09月05日読了
いじめで足を骨折した泉が入院したいた総合病院に母が入院した。日ごとに衰弱する母と、日ごとに回復する泉の中で龍は無意識ながらも何かを掴もうとしていた。一度は母が亡くなったこと、泉と知り合いになったことを級友からいじめの対象にされるかもと恐れた龍は、泉を学校まで送る決心をする。解説にある「匿名性」から「有名性」の転換、「匿名性」の綻びは、本篇を読んでいてなんとなく落ち着かない気持ちもでもあった。
鬼畜の家(深木章子)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 14年4月159日発行/14年09月11日読了
鬼畜とは、もとは仏教用語で、仏教の概念である「餓鬼畜生」の略語で、人を人とも思わないような残酷な行為、また性的行為を含む非道な行為をする人間を指して言うようになった。教唆を含め6名の縁者が殺されていくが、悲惨さはあまりない。むしろラストの逆転劇に重きを置いた感じ。殺人がなければ比較的ありそうな家族像である。
刑事の約束(薬丸岳)★★★☆☆
株式会社講談社 第2刷 14年5月12日発行/14年09月14日読了
この人らしい刑事もので、一線級ではないが一味違う刑事、夏目。事件の表にある真実で終わることなく、裏に隠された真実に丹念に迫る。「気にかかる」ことを安易に納得せず解明していくさまは「相棒」の右京を思い起こさせる。また、隠された真実も必ずしも公にするとこに拘ってなく、「被疑者死亡」はまさに、「それを知ることで多少なりとも救われる人だけがその真実をわかればいい」という解決も味があっていい。
去年の冬、きみと別れ(中村文則)★★★☆☆
株式会社幻冬舎 第2刷 13年10月25日発行/14年09月17日読了
参考に書評を読むと賛否両論。無実の罪で死刑宣告を受けた写真家を中心に絡まる人間関係の中で、この男を小説にしようとする作家が徐々に真実に迫っていく。一瞬を写真に切り取ることに執念を燃やす写真家は蝶の写真で一度賞を受けたが、写真に撮ると本物より写真のほうがより本物になっていく感覚、人形師が人形を作ると本物より、より本物になっていく感覚はどこか狂気じみて見える。これは欲望なのか、憎悪なのか。
水の柩(道尾秀介)★★★☆☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 14年8月12日発行/14年09月19日読了
平凡であることに嫌気が指していた少年が、気が付かないうちに実は普通でない環境にいた。敦子がまさにダムから飛び降りようとしていたそのとき少年は敦子を引き戻す。数十年も家族に嘘を言い続けていた祖母の嘘がばれる。三体の人形をダムに捨てることで、一人は乗り越え、一人は忘れ、気が付くとそれなりに成長した少年がいて、救われる気持である。蓑虫がもぞもぞ動いている。
五郎治殿御始末(浅田次郎)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第3刷 14年9月10日発行/14年09月22日読了
武士の面目はつらいもの。桜田門外の変で主を暗殺された武士が十三年もの長い間追い求める。時代はすでに仇討禁止令が出されており、主家もなく、今更誰に義理立てするわけでもない。しかし、そこから抜け出せないでいた。浅田次郎風のほっこりする終わり方である。
隣に棲む女(春口裕子)★★★☆☆
株式会社実業之日本車 実業文庫 初版第93刷 14年8月20日発行/14年09月25日読了
女性に限らずどこにでもありそうな話。嫌な女のサンプルだろうが、「おさななじみ」でちょっと息抜きできた。
柚子の花咲く(葉室麟)★★★☆☆
朝日出版社 朝日文庫 第8刷 14年9月10日発行/14年09月29日読了
勧善懲悪的で、すべて良しという感じ。ホットはするが物足りないのは何故か。悪役も出演役者が徐々に絞られてわかりやすい。教育が大事なことはわかるのですが。大衆娯楽作品の趣か。