小説の木々14年11月

小兵衛の声にふと見上げると、いつの間にか赤い花を散らした椿の森だった。樹の丈が高すぎて、新太の目には満開の花が目に入らなかったのだ。椿が大木になることを、新太は知らなかった。石段の頂に、小体なな茅葺の山門があった。くぐった先は一面の椿の庭だった。みっしりと土を被う苔の上のそこかしこに、真紅の花が散り敷いていた。「新太郎様」自分の名前だ。答えられずに唇を噛むと、満天の赤い花が涙でにじんだ母はきっと、椿の森に佇んで見送っているだろう。いつしか風は止み、西日があかあかと山道を照らしていた。椿の森が雑木林に変わるあたりで、新太は足元に落ちた大輪の花を、そっと懐に入れた。(「椿寺まで」浅田次郎)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

空白の戦記(吉村昭)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第331刷 14年5月5日発行/14年11月4日読了

史実と丁寧な取材をもとに書かれていることが分かる。苛酷さは戦場でも戦場でなくても、男であっても女であっても変わりはしない。戦時はすべてが異常であったが、それが戦争。「特攻作戦は、人命軽視の悲惨な戦法である。しかし、指揮者を責めることがあっても、命令に従って突入していった多くの隊員の死を蔑むなどということは断じて許されない」

物語のおわり(湊かなえ)★★★☆☆

朝日新聞出版 第1刷 14年10月30日発行/14年11月8日読了

ミステリー作家と言われているが本編は非ミステリーで個人的にはこちらの方が好きである。20枚ほどの短編小説が不思議な縁で北海道で人から人に渡っていく。一緒に北海道旅行をすることは偶然ではないにしても、その小説が戻ってくるのはあまりに偶然が過ぎる。また、せっかくそれぞれが自分なりの未来を創って行くのに、きっちりとハッピーエンドな結論を出し、ホームドラマにしてしまうのは味気ない。

笹の船で海を渡る(角田光代)★★★★☆

毎日新聞社 第1刷 14年9月15日発行/14年11月12日読了

学童疎開、結婚、夫、子供、家庭、いじめ、姑、近しい人達の死、友。左織は学童疎開の頃の曖昧な記憶に引きずられ、気が付くということをしてこなかった。何も自ら決めず流れに任せ、それに疑問も持たず、気が付くと一人だった。どこで失敗したのだろうか、そもそも失敗だったのだろうか。いつも風美子に劣等感と猜疑心を持ちながら、振り向けば唯一の友だった。なんでも積極的にこなしていく風美子を配したことで一層対比される。でも独りよがりか、左織は誰に責められるでもなく普通だった。これが幸せ、あるいは、不幸せか。普通の人の人生はこんなもの、と思うのだろうか。それでも何かザラザラする気持ちが残る。何よりそれぞれの人々の微妙な相互の距離感の表現が良かった。
「同窓会をしようと思う、その気持ちが左織には理解できなかった。ぜったいに会いたくないというのではない、でも、会っていったいなんになるのだろうという思いがあった。疎開していた時期のことはすでに遠い記憶だが、思い出そうとすれば、できる。なつかしいと思う気持ちもある。けれど、そのことについてだれかと話したい、なつかしさを共有したいとはまったく思わなかった。その後のみんながどうなったかもさほど知りたくない。風美子と銀座のデパートで再開するまで、疎開していた日々は遠い過去になっていた。ほとんど消えかけていた」

パレートの誤算(柚月裕子)★★★☆☆

祥伝社 初版第1刷 14年10月20日発行/14年11月14日読了

市の社会福祉課の課員が殺人に巻き込まれるのは現実離れしているが、貧困ビジネスは実際にあることだろうし、生活保護受給者のいくらかは不正・不適切受給であることも、また、事実だろう。特に低賃金で働く人より生活保護を受けた方が収入が多いとなると本末転倒で、働きはしなくなるのも当然。かといって社会が救わなければならない人がいるのも、生活保護を受けながら自立を目指す人がいるのも事実。最後にかすかな希望を示しているが、これを書かないとあまりに理不尽さだけが残るという作者のジレンマだろうが、理不尽に突き放してもよかった。

ロスト・ケア(葉真中顕)★★★☆☆

株式会社光文社 第3刷 13年4月5日発行/14年11月16日読了

「長寿国であることを漠然と良いことのように感じていたが、それは大いなる誤解だと気付いた」身に詰まされる物語であり、社会派ミステリーと呼ばれるジャンルだろう。単に許されないということは容易だが、果たして現状、いやむしろ将来にも、解がない。フィクションなので、ノンフィクションでの問題提起などと堅苦しく考えずに、面白く読めた。

悪意のクイーン(井上剛)★★☆☆☆

株式会社徳間書店 第2刷 14年6月20日発行/14年11月18日読了

イヤミスと呼ばれるジャンルで、最近こうしたイヤミスを手に取ることが多い。普通に交際しているご近所、普通の人に潜む悪意のようなものを抉り出すような。構造が簡単で意外性はない。転落の速さ、容赦なさは感じる。

絶叫(葉真中顕)★★★★☆

株式会社光文社 初版第1刷 14年10月20日発行/14年11月22日読了

終章で事件がすべて片付くところだが、唯一綾乃が真実に近づいたものの結局たどりつけず、まんまと取り逃がすことになるラストが未消化感があっていい。ある日、人がいなくなっても騒がれず探されもせず忘れられていく社会はいかにも恐怖である。ここまでやったのに小振りのボストンバックに詰めた金は数千万円か、もっと貪欲に金を持ち逃げするものではないか。「必要な資金は十分ある」というのは矛盾する。また、お守りのメモ用紙は40年も前のもので、書き換えたものは科捜研なら偽物と足がつくのではないだろうか。

戻る男(山本甲士)★★☆☆☆

株式会社中央公論社 中公文庫 第 刷 12年3月26日発行/14年11月30日読了

タイムスリップ物は主人公同様結構好きな方だが、「やられた」という感じでもなく、タイムスリップして面白い事が起こるでもない。最後にはまこしやかに、あの過去があって今がある、と、過去を変えることには消極的で、タイムスリップの言葉に期待外れ。