小説の木々15年11月

珠生が五年ぶりに実家に戻った日、庭の千島桜がいくつか咲き始めていた。爆撃で失った家を再建する際に、父が泣きながら植えていた樹だ。太平洋戦史が根室の町に残した傷跡も、復興の名の下に薄れつつある。歳月は十五年ぶん木々の年輪を増やしたが、同時に人と人のあいだにも細かい溝を刻んでいる。日本でいちばん遅い桜も、一週間ほどで満開になる。五月の風は冷たいが、北の桜は葉陰で咲くのでしぶとく花弁を持ち続ける。(「霧ウラル」桜木紫乃)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

破獄(吉村昭)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第51刷 12年06月10日発行/15年11月04日読了

破獄不可能と思わせる牢獄を4回に亘り脱獄する佐久間は、囚人達の間で一種の神格化されるのも理解できる。なにより物理的な面だけではなく、計画的に看守を心理的に追い詰めて環境を整えるのは実に見事という他はない。しかし、脱獄の話もさることながら、看守を含め政府の配給が一人2.3合なのに、囚人には6合とは、矛盾を孕みつつ、戦争時代の世相を反映した背景が興味深い。

不毛地帯1(山崎豊子)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第10刷 09年10月25日発行/15年11月13日読了

読み進めるのが辛くなる十一年に及ぶ理不尽で過酷なシベリア抑留生活であった。日本に引き上げて部下の就職斡旋後、畑違いの商社で第二の人生を始めた壱岐が、今後どうなっていくのか大変興味をそそられる導入部分である。

不毛地帯2(山崎豊子)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第8刷 09年10月10日発行/15年11月17日読了

商社マンとなった壱岐は、防衛庁の次期戦闘機選定で元参謀の洞察力、人脈、推進力を発揮して功績をあげる。ただ表面的な行動だけではなく、商社と裏金、政治の関係も知ることとなる。商社と参謀時代の共通点を見出し、次のイスラエル・アラブ戦争ではいかんなくその情報力を発揮するものの、7年で常務に上り詰めた社内立場が人事上の苦しみを生み出す。千里との関係が危うい。

不毛地帯3(山崎豊子)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第2刷 09年03月20日発行/15年11月20日読了

世界経済を相手に苛酷な商社マン生活を続ける壱岐であるが、社内の派閥、確執が自由な活動を阻む。今回は自動車であるが、一筋縄ではいかなず、壱岐はアメリカに追いやられる。抑留生活の間も苦労を掛けた佳子が亡くなり、千里との間にも壁がなくなり、なるべくしてなる。壮大なビジネスマン物語になってきた。

不毛地帯4(山崎豊子)★★★☆☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第7刷 09年10月05日発行/15年11月24日読了

商社活動は脱繊維の方針に従い、世界規模で自動車産業へと発展していく。社内改革は一筋縄ではいかない。日本が第二次世界大戦に突入した物資が正に石油で、商社が石油にまで手を出すのは一か八かで博打に近い。シベリア抑留から帰って、亡くなった戦友を思うことと、国益を思うことが生き残った壱岐の思い。政治の裏にも手を染め、一途に石油確保に突き進んでいく。

不毛地帯5(山崎豊子)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第8刷 09年10月10日発行/15年11月25日読了

クライマックスは辞表を出し、大門の勇退を迫る場面。既に入社の際の約束である組織作りは終え、若い部下達が後を背負っていく。シベリアの白い不毛地帯と商社時代の熱い赤い不毛地帯も石油を掘り当てたことで、大門とともに社から辞することで終わる。谷川元大佐の遺志を継ぎ、第三の人生に向かう壱岐は、生き残ったものの使命を果たしていく。壮大な人生であり、映画化には当てはめる役者が思いつかない。