小説の木々17年09月
公園の銀杏の葉は、最初に来た頃は緑色をしていた。それからしだいに黄いろく、そして鮮やかな黄金色に染まり、まもなく地上へ落ちた葉が目立つようになる。雪が訪れて落葉を覆い隠し、黒い枝ばかりの林を際立たせるまでそれほど時間はかからなかった。窓の外の景色を眺め終わるころ、部屋はガスストーブの火で暖まった。(「夏の情婦(二十歳)」佐藤正午)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
夏の情婦(佐藤正午)★★★☆☆
株式会社小学館 小学館文庫 初版第1刷 17年08月13日発行/17年09月01日読了
中編5編、なんとも終わり方が話の途中でプツンと切れるように余韻が残り、印象的である。 一般的には女誑しのプレーボーイ物と言われる、このような話も書くんだとこの作家のちょっとした意外性もあった。表題作「夏の情婦」は別れても拘泥せず、愛だとか恋だとかいわず、まるで日課のように淡々とした時間と情景である。ちょっと気に入った文章があった。「味はさっぱりとして申し分がなく、だいいち料理ができあがったあと流しの付近がきれいに片付いているのがぼくの趣味に合う」
鏡の花(道尾秀介)★★★★☆
株式会社集英社 集英社文庫 第1刷 16年09月25日発行/17年09月07日読了
短編連作の形をとっているがそれぞれは独立した話。しかし同じ役者が同じ配役で別々のシナリオを演じているような奇妙な混乱を誘う。まるでパラレルワールドを覗くような気持ちになる。構成がいい。それぞれに愛する肉親を失い、そのやるせなくどうしようもない欠落感に襲われる。個人的に今の気持ちに沿っていて秀逸である。
滑落遭難(羽根田治) ★★★☆☆
株式会社山と渓谷社 ヤマケイ文庫 初版第2刷 15年11月25日発行/17年09月09日読了
私自身山で二回転倒したことがある。顔を擦って出血したこと、カメラを壊したことはあったが、転落にならなかったことが幸いであった。いずれも下り斜面でそれほど危険なところではなかったが、足が引っ掛かり「アッ」と思った時には転んでいた。リュックがあると思いの他踏ん張りが効かない。あと一度、岩から岩へひょいと飛び移った時、危うくバランスを崩しそうになったことがある。間違って入れば数メートル下の岩場へ転落していた。もう場所も覚えていないが、今でもその時の「ヤバイ」と思った浮遊感の瞬間を覚えている。山は怖い。そんなことを思い起こさせる。ただドキュメントなので、レポートを読んでいるような感じで、もう少し臨場感が出せればもっと良かったが。
八月十五日に吹く風(松岡圭祐) ★★★★☆
株式会社講談社 講談社文庫 第1刷 17年08月09日発行/17年09月12日読了
アッツ島の玉砕、キスカ島の脱出は知っていたがこうしてまとまったものは初めて目にする。かなりの幸運、偶然に助けられてはいるが、木村司令官のリーダシップは見事である。当時の大本営日本軍の実態、陸海軍の軋轢、日に日に悪くなる戦況を考えれば、この脱出劇は奇跡に近い。戦時にもこうしたことを考えた人がいたのはわずかでも救いである。また、これを日米双方の非戦闘員の第三者的目を通してみていて、その米国人があのドナルド・キーン氏であることは史実として興味深い。ただ解説に政治的思想を披歴するのは頂けない。
狐狼の血(柚月裕子) ★★★★☆
株式会社KADOKAWA 角川文庫 初版 16年08月25日発行/17年09月20日読了
広島県暴力団抗争、映画「仁義なき戦い」を彷彿させる一発触発の世界。大上の存在は法治国家にとって悪だろうが、社会正義にとっても悪だろうか、と思わせる。社会を変えるほどの力ではないから、一地方の一刑事のささやかな抵抗と言ってしまえばそれまでだが、確固たる生き様には興味を惹かれ面白く読んだ。
あの日のあなた(遠田潤子) ★★★☆☆
株式会社角川春樹事務所 ハルキ文庫 第1刷 17年05月18日発行/17年09月20日読了
遠田潤子の本は全部さらっていたと思ったが、初めて見る題名でありカバーだし、それほど吟味せずネットで購入した。裏表紙を見ると「お葬式」の文庫版だという。単行本のときの題名が文庫になるとき、ときおりこうした紛らわしい題名変更がある。気が付かなかった、すでに読了でパスする。
Y(佐藤正午)★★★☆☆
株式会社角川春樹事務所 ハルキ文庫 第19刷 17年08月08日発行/17年09月25日読了
昔からこうしたタイムスリップ物は好きであるが、過去に遡るループはいつ始まったのか、タイムスリップしたとき元々いる自分とはどうなるのか、曖昧である。細かいところはいいとしても、もう一度あのときに遡りやり直したい願望は多かれ少なかれあると思う。この物語では同じストーリーではなく微妙に違っているところがミソか。