小説の木々18年09月
それから、たとえば裸の木。山に遅い春が来て、裸の木々が一斉に芽吹くとき。その寸前に、枝の先がぽやぽやと薄明るく見えるひとときがある。ほんのりと赤みを帯びたたくさんの枝々のせいで、山全体が発光しているかのような光景を僕は毎年のように見てきた。山が燃える幻の炎を目にし、圧倒されて立すくみながら、何もできない。何もできないことが、かえってうれしかった。ただ足を止め、深呼吸をする。春が来る、森がこれから若葉で覆われる。たしかな予感に胸を躍らせた。(「羊と鋼の森」宮下奈都)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
じっと手を見る(窪美澄)★★★★☆
株式会社幻冬舎 第1刷 18年04月05日発行/18年09月05日読了
いつも富士山が見え、ショッピングモールしかない中央沿線の片田舎。街から出ない海斗、街を出て行き舞い戻った日奈、街にしばらく居座りまた出て行った真弓、取材できて気紛れで街を通り過ぎた宮澤。何がそれぞれの人にとって大切なものだったのか。この街を中心に、街を出、また街に戻り人が交錯し、人が死に、また生き直し、時が流れていく。なんとも切ない物語である。
あの日、陽だまりの縁側で、母は笑ってさよならと言った(水瀬さら)★★☆☆☆
株式会社アルファポリス 初版 18年06月30日発行/18年09月06日読了
なんとも文章は平易で内容も平易。出演者はみないい人ばかり。感動、感激を殊更狙ったような可愛い作品。底の浅さが見え隠れする。
パラレルワールド(小林泰三)★★☆☆☆
株式会社角川春樹事務所 第1刷 18年07月18日発行/18年09月11日読了
少しだけ異なる別の世界を実体験する裕彦も有り様が今一つはっきりしない。かといって殺し屋まで出してドタバタに仕上げることもなかろう。パラレルワールドの不思議世界がこなれていない気がする。
指の骨(高橋弘希)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮文庫 第1版 17年08月01日発行/18年09月11日読了
戦争を知らない年代が書いたことにちょっと驚き。戦争の悲惨さはこれだけではないが、一場面として読む。インパールにしろガタルカナルにしろ、当時の日本の陸軍は戦場を読めていなかった。
手のひらの音符(藤岡陽子)★★★☆☆
株式会社新潮社 新潮社文庫 第7刷 18年07月15日発行/18年09月13日読了
いい話ではあるが、伝わってこない、私が鈍感になったか。水樹の家庭、信也の家庭、堂林の家庭、それぞれの不幸はそれぞれの形であるが、その中でも健気に生きていく姿は見える、見果てぬ夢の捨てていない。ただ、何か物足りない。
火のない所に煙は(芦沢央)★★★☆☆
株式会社新潮社 第4刷 18年07月30日発行/18年09月18日読了
怪異な現象を人づてに聞いてまとめた五話。人為的な作為は明らかにしているが、怪異現象はそのまま流している。これだけなら何ということもなく、面白くもないが、最後に締め括りで話を締めて、なんとか纏めている。
活版印刷三日月堂/星たちの栞(ほしおさなえ)★★★☆☆
株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第13刷 18年07月24日発行/18年09月20日読了
ほっこりしたいい話である。パソコンにはない活版印刷のキレというか、自己主張というか文字が浮かんでくる気がする。もちろん商売にはならないから衰退したのだが。この活版印刷を通じて、川越の街、川越が近いからもあるが親しみも感じる。 続きが読んでみたいと思い、2-4編を注文した。
活版印刷三日月堂/海からの手紙(ほしおさなえ)★★★☆☆
株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第1刷 17年02月05日発行/18年09月25日読了
人の悩みをほのぼのとした印刷物で溶かすような、いい話である。仕事の依頼でもなく、人づてに次から次へ繋がる三日月堂に、いつもガラス窓から活版の文字が圧倒的な重量をもち静かに客が来るのを待っている。みなそれぞれに悩みを抱え、弓子と一緒に乗り越えていく。今は動いていない大型の印刷機が動き始めるような気がする。
活版印刷三日月堂/庭のアルバム(ほしおさなえ)★★★☆☆
株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第1刷 17年12月05日発行/18年09月26日読了
終に今まで動かなかった大型印刷機が動き始める。ぼちぼち注文も来てそこそこ営業はでき始めたが、商売としては覚束ない。活版印印刷のブームというがブームもいずれ廃れる。文化財みたいなものである。しかし、できるうちはやっていくのだろう。三日月堂を中心に、川越の蔵通りを背景として、人々が繋がっていく短編連作が心地よい。
気になる表現が二カ所あった。P195「母とふたり、園芸用の大きなハサミで小枝を刈り始める。じょきじょき音を立てて小枝を切るのは意外と楽しかった。」園芸バサミで小枝を切るとき、「じょきじょき」とは言わない。この擬音はおかしい。P197「丸い実のついた棗にすることにした。棗の実は食べられる。いまはまだ若いが、秋になれば赤くなり、食べられるようになる。」棗の実は黄緑、赤、暗赤色と変わる。「赤くなり」は暗赤色、赤褐色くらいが実際の色に近く、「赤い実」というのは少し異質。
活版印刷三日月堂/雲の日記帳(ほしおさなえ)★★★☆☆
株式会社ポプラ社 ポプラ文庫 第1刷 18年08月05日発行/18年09月28日読了
いよいよ完結編で、帯には”感動のラストに号泣”とあり、少し期待したが、安直な恋愛小説になってしまって、期待外れ。「街の樹の地図」は本当に売っているなら一部欲しいと思う。28日埼玉医大に行った帰り、電車を待つ間川越駅のホームに坐り本を開いた。P150に「駅に入り、ホームにおりた」と書かれてあり、本と実際の行動が同期した。以前読んだ「僕の妻と結婚してください」でも同じことを経験した。