小説の木々18年10月
それから、たとえば裸の木。山に遅い春が来て、裸の木々が一斉に芽吹くとき。その寸前に、枝の先がぽやぽやと薄明るく見えるひとときがある。ほんのりと赤みを帯びたたくさんの枝々のせいで、山全体が発光しているかのような光景を僕は毎年のように見てきた。山が燃える幻の炎を目にし、圧倒されて立すくみながら、何もできない。何もできないことが、かえってうれしかった。ただ足を止め、深呼吸をする。春が来る、森がこれから若葉で覆われる。たしかな予感に胸を躍らせた。(「羊と鋼の森」宮下奈都)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
思い出が消えないうちに(川口俊和)★★★★☆
株式会社サンマーク出版 初版 18年09月25日発行/18年10月01日読了
「伝えなきゃいけない想いと、どうしても聞きたい言葉がある」この帯の文言は身に詰まされた。いくら過去に帰っても現在は変えられない。それでも過去に戻るのか。単なる自己満足なのか、それでも行くのか。私にも伝えられなかった言葉、聞きたい言葉があった。もしこんな喫茶店があればだが・・・
最後の「著者時田ユカリ」はいただけない。皆が読んだ本で今まで著者が知った人なら、話題として出ない訳がない。最後に懲りすぎて滑ったとしか言いようがない。
コーヒーが冷めないうちに(川口俊和)★★★★☆(再読)
株式会社サンマーク出版 第4刷 16年01月05日発行/18年10月03日読了
映画化されたので、久しぶりに映画を見たいと思い、本棚から数年前に読んだこの本を持ち出し再読した。すっかり内容を忘れている。映画は映画なりに脚本で原作を離れた箇所があるが、それはそれでいいと思う。コンセプトは、現実は変わらない、でも未来は変えることができる。
時限感染(岩木一麻)★★★☆☆
株式会社宝島社 第1刷 18年09月21日発行/18年10月08日読了
構想から実行までの周到なトリックであった。それが分かっても本人が認めなければトリックであったと立証もできないところまで考えていた。同時に薬剤行政に対する批判である。バイオテロの恐ろしさを痛感する。最初の南教授の猟奇的殺人は、必要だったのだろうか。
長いお別れ(中島京子)★★★★☆
株式会社文藝春秋社 文春文庫 第1刷 18年03月10日発行/18年10月17日読了
他人事ではなく、辛い話である。人格をなくしていき、それでも生きていく。私が生まれ頃男性の平均寿命は70歳ちょっと、女性は70歳半くらいだった。医療技術が進み、政府もいろいろやっているが長寿国日本はいままで経験したことがない領域に入ってしまった。幸福と長寿はイコールではない。辛い話ばかり多すぎる。
神はサイコロを振らない(大石英司)★★★☆☆
株式会社中央公論社 中公文庫 第8刷 18年09月15日発行/18年10月22日読了
想定は面白いが、登場人物が多くその関係も複雑で、しかも話が豊富であちこち飛ぶので非常に分かりにくい。巻頭に登場人物紹介があるのがその証左。もう少し話題を絞るか、人物をハイライトするか、分かり易くしてほしかった。量子力学上の計算とはいえ、何故加藤教授は402便に注目したのか、起こるメカニズムもわからないが、それはこの際眼を瞑って。神の悪戯か、十年後に戻ってきた遭難者たちが、家族再生のきっかけを与える。もっとじっくり読んでみたい気もする。
こころ痛んで耐えがたい日に(上原隆)★★★☆☆
株式会社幻冬舎 第1刷 18年08月05日発行/18年10月25日読了
新刊が出るのを、もう書くのを止めたのかと思うほどずいぶん待っていた。今回のは少し温い気がする。それでもそれぞれの話に著者の穏やかでするどく、じっと見つめる視線を感じる。