小説の木々19年03月

比田さんは、小さな薄黄色い花をいっぱいつけた、低い灌木の小枝を折った。花はいい匂いがした。私は比田さんの手から小枝を取った。「なんて花?」「サビタ」と、比田さんは答えた。タともテともつかぬ発音をした。「押花をつくってやろう。うまいもんだぜ」帰りに気をつけて見ると、その花はあちこちにしろっぽく咲いていた。山城館の付近にもあった。私は比田さんが手折ったから、この花も眼につくようになったのだと思った。(「短編伝説(別れる理由)/サビタの記憶」原田康子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

流転の海第七部・満月の道(宮本輝)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 16年10月1日発行/19年03月08日読了

熊呉は事業を拡げる。しかし、昔の女に情を戻し、部下にもまた裏切られる。どうしてこうお人好しなのか。猪突猛進タイプで行動的だが経営の基本がなっていない。房江は麻衣子の意気投合し城崎で別の楽しみを見つける。伸仁は高校生になり受験に向かう。三者三様の方向ですれ違っていく。事業の眼先は効くが、肝心の人を見る目がない。房江と麻衣子の城崎の情景に癒された。

流転の海第八部・長流の畔(宮本輝)★★★★☆

株式会社新潮社 新潮文庫 第1刷 18年10月1日発行/19年03月14日読了

伸仁が二十歳になるまでは生きなければと言っていたその伸仁も高校生になり受験のシーズン。確実に年を取り、立ち上げた中古車業はなかなか軌道に乗らない。さらに手を広げた板金塗装会社も失敗する。浮気がばれ房江は自殺未遂を図る。どうも悪い循環に嵌ったようだ。不穏で波乱の潮目である。相変わらず世話好きで好人物なのだが手元不如意。生き直した房江が輝いてきた。

流転の海第九部・野の春(宮本輝)★★★★☆

株式会社新潮社 第2刷 19年02月10日発行/19年03月19日読了

著者が37年間かけて書き続けた「流転の海」を、1冊約1週間のペースで約2か月で読み終えた。宿命とはいえ、必ずしも順風満帆でもなく、息子が20歳になるまでは死ねないという願いも何とか果たした。何度も裏切られ、それでも多くの人を助けてきたこの人の度量の深さ、生き様には感じ入るものがある。葬式に思わぬ人々が駆けつけてきた場面は、涙腺が緩んだ。

だから殺せなかった(一本木透)★★★☆☆

株式会社創元社 初版 19年01月31日発行/19年03月25日読了

劇場型犯罪で犯人と記者が新聞紙上で討論する。犯人は理知的でその記者を選んだのにも明確な計画と殺意があった。しかし、殺そうとしたその瞬間思いとどまった。巡り巡って「禍福は糾える縄の如し」。作中で警察も踊らされたが、毛賀沢教授を犯人に仕立て上げるのはどうも証拠が揃い過ぎで些か幼稚。最後に真実を教える必要がなかったように思う。

いつかの夏(大崎善生)★★★☆☆

株式会社KADOKAWA 角川文庫 初版 19年03月25日発行/19年03月30日読了

2007年8月、名古屋で起きた凶悪な闇サイトOL殺人事件。ライターは遺族の協力で女性の子供のころから丁寧にその人生を追っていく。たまたまその時間、そこにいたからだけで、何故という理由もなく。改悛の情、更生の機会など空々しい。世界的に死刑廃止論はあるが、死刑は罪を償うものではなくせめてもの敵打ちだ。