小説の樹々20年03月

道の向うの塀の中から大きな樹木が葉を繁らせていた。その緑の中でしとどに濡れた泰山木の花が、目のさめるような白さで咲いていた。雨だから、傘をさせばつい下を見て、泥にぬかるんだ道ばかり眺めて歩くものであるのに、茂造は濡れることには頓着なく、傘をかまわず上を向いて歩いて、雨の中で豪華な咲き方をしている花を認めたのであろう。昭子は、胸を衝かれていた。泰山木の花は、美しかった。多く花びらが、恐れずに雨を享けて咲いている。車が走り交う小径の上で、その白さは堂々としていた。昭子もしばらく黙って梅雨に濡れる花を眺め、そして花と茂造を較べ見て、この美しさに足を止めるところをみると茂造には美醜の感覚は失われていないのだと思った。(「恍惚の人」有吉佐和子)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

永遠の1/2(佐藤正午)★★★☆☆

株式会社小学館 小学館文庫 第2刷 17年8月7日発行/20年03月10日読了

自分と瓜二つの男が同じこの街にいるらしい。何人もの人から、時には肉親からも間違われる。世の中には自分と似ている人が三人いると言われるから、あながちあり得ないことではない。しかしどうやら悪い奴のようで、似ていることで災難にあう。次はどんな災難に会うかと思う。500頁もの長編だが、山谷はあまりなく、読み切るのに少々苦労した。

ラヴレター(岩井俊二)★★★☆☆

株式会社KADOKAWA 角川文庫 第25版 18年5月20日発行/20年03月17日読了

元々は同姓同名の男女が同じクラスにいるという極めて希な偶然から起こった。どうもストーリーもドタバタで、文章で描くより映像のほうが良かったかもしれない。三回忌の(2年)前から、死んだ男から乗り換えた博子にも薄情さを思うし、実は初恋の樹の替え玉だったような樹にも違和感を覚える。
<追伸>中山美穂主演のビデオで観た。想像通り映画のほうがメリハリもあり良かった。題名のラヴレターが何かもすんなり入ってくる。ただ、やはり三回忌前から付き合っていたのは拙速でその必要性も分からない。ここは博子も気づいてはいるがも、秋葉の一人思いのままのほうがよかった気がする。

ナミヤ雑貨店の奇跡(東野圭吾)★★★★☆

株式会社KADOKAWA 角川文庫 第56版 19年5月20日発行/20年03月22日読了

元来こうしたタイムスリップ的な話が好きである。33回忌の日、1日だけ復活したナミヤ相談窓口は郵便受けと牛乳箱で過去と未来がつながった。最後の白紙相談のやり取りは秀逸。ビデオを見て興味がわき、文庫本を買って読み直した。なぜ丸光園の関係者なのかは種明かしがあった。

春、死なん(紗倉まな)★★★☆☆

株式会社講談社 第1刷 20年2月25日発行/20年03月27日読了

数年前に妻を亡くした男、息子夫婦と二世帯住宅に住むが孤独で、AV雑誌を買ってきては自慰に耽る。老いと性、嫁と孫娘とは見えない壁が立ち塞がっている。死体に黒い貝がこびりつく話から自分の周りにも貝がびっしりとつく様が見えてくる。「縛りつけられるのは、もうやめにしませんか」大きく変わるわけではないが、何かが変わり、少しだけ先が開けたように聞こえる