小説の樹々20年07月
自分の務めを果たし、ようやく手に入れた明るい庭に、母親はトネリコを植えた。大きく育てて家のシンボルツリーにするのだと喜んでいた、けれど母親の期待を背負ったトネリコは小さいまま、弱い風にも細い枝を不安定に揺らす。「この木はハズレね」母親は業者を呼び、トネリコをあっさりと引き抜いてしまった。母親にとって期待に添えないこと、それもただ成長する、そんな当たり前のことすらできないトネリコは何の価値もなくなる。トラックの荷台にゴミのように放り込まれた痩せたトネリコを見送るぼくを尻目に、すぐに新しいトネリコが植えられた。(「流浪の月」凪良ゆう)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
家族じまい(桜木紫乃)★★★★☆
株式会社集英社 第1刷 20年06月10日発行/20年07月01日読了
5人の女性の短編連作。「墓じまい」は最近の新聞でもよく見かける言葉だが、「家族じまい」とは。「ふたりを単位にして始まった家族は、子供を産んで巣立ちを迎え、また二人に戻る。そして、最後にひとりになって記憶も散り、家族としての役割を終える」どこででも繰り返されてきた、また、繰り返されていくことだ。認知症を患ったサトミを中心に、娘、夫、行きづりの人、それぞれも微妙な距離感が、なんとなく座り心地が悪くて、それがお互いの不安定感を醸し出していい。
流浪の月(凪良ゆう)★★★★☆
株式会社東京創元社 第7版 20年04月10日発行/20年07月06日読了
自らも罪の意識はあったのだし、その後の周りの反応も理解できる。理解していないのは無頓着で楽天的な更紗だけ。しかし、その無頓着さが唯一の救いであった。愛情とは言えず、友情とも言えず、他人がどう思おうと、互いに必要としたのは支え合うことだったのだろうか。世の中に一定数いるネット誹謗者はここでも無責任な正義感ぶった悪意を撒き散らす。いつか罰を与えないといけない。
十二人の手紙(井上ひさし)★★☆☆☆
株式会社中央公論新社 中公文庫 改版9刷 20年05月13日発行/20年07月08日読了
書簡を繋げることだけで小説が書けることは分かった。経緯は理解できるし、その隙間は読者が想像で補うことができる。趣向としては面白い。しかし、肉筆で手紙を書いたことがあるのだろうか。こんな長い文章を手紙では書けないし、また、もう少し要領よくまとめる。便箋が数十枚になってしまう。最後の人質にしてもゆっくり文章をかける余裕もないはず。ここの話が浅いので、ドンデン返しと言っても奇をてらった受け狙いに見える。
旅に出るゴトゴト揺られて本と酒(椎名誠)★★★☆☆
株式会社筑摩書房 ちくま文庫 第1刷 14年03月10日発行/20年07月16日読了
旅、酒、本の題名に惹かれて買ったが、どうも内容が違う。とてつもなく好奇心が旺盛で凝り性の著者が、遺憾なくその才能を発揮する。これはこれで面白いが旅愁がない。
いのちの停車場(南杏子)★★★☆☆
株式会社幻冬舎 第1刷 20年5月25日発行/20年07月20日読了
最後の章の父を看取る場面がすべて。日本には安楽死がない、というか法がついていけない。尊厳死はあってもいいと思うが。「早くよくなって、またドライブしたり、家でご飯を食べたりしようね」なんでもなかった日々が、いかに貴い時間であったことか。父は嬉しそうにうなずき、静かに目を閉じた」
スイスでは合法になっているが、日本では法で許されてはいない。ただし、次の4つの条件があると、不問(不起訴)になることもある。①耐え難い肉体的苦痛があること②死が避けられず死期が迫っていること、③肉体的苦痛を除去・緩和する他の方法がないこと、④患者の明確な嘱託、意思表示があること。
告解(薬丸岳)★★★☆☆
株式会社講談社 第1刷 20年4月20日発行/20年07月24日読了
たった一度のミスで人生が狂った。家族が壊れ、姉の結婚は破談になり、自分もまともな生活に戻れない。こんなことってあるよな。それに今のネット社会は悪意に満ち、消されずいつまでも追いかけてくる。それでも立ち直れるかは一人の力では難しい。「告解」とは、キリスト教用語で、神のゆるしを受けるために,権限を授けられた司祭にたいしてみずからの罪を言いあらわす行為を意味する。懺悔し罪を明らかにすることで許されることを願う。被害者の父もそうだった。