小説の樹々20年10月

夏の終わりの風が、桜の枝を揺らす。頭上の葉のざわめきが、子供たちの歓声を耳からつかの間遠ざける。夏が行く。もう何度と数えることはない。あと何度と思いを馳せることもない。さすがに私は・・・私は年を取りすぎた。なあ、お前はどうだ?寄りかかった桜の木を下から見上げた。桜は応えなかった。ただもう一度、枝葉がざわめいた。見上げた姿勢のまま目を閉じた。桜のざわめきがやみ、耳に子供たちの歓声が戻る。指導をするコーチたちの声も聞こえる。それを見守る親たちの声も聞こえる。ふと気配を感じて目を開けると、いつの間にか隣にいた。私は桜の木から体を離した。(「Good old boys」本多孝好)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

Gook old boys(本多孝好)★★★★☆

株式会社集英社 集英社文庫 第1刷 19年5月25日発行/20年10月01読了

子供サッカーを通じて8つの家族の話が綴られる。それぞれに微妙に家族間にすれ違いが見え、不安定さがただずむ。その覚束ない距離感がなんとも行き詰まる思いである。7話は話の構成はいいのだが、超常現象を持ってくるのは少し浮いてしまい、はもっと普通の話にして欲しかった。ソウタのゴールは入らないのもまた一つの話か。

白衣の嘘(長岡弘樹)★★★☆☆

株式会社KADOKAWA 角川文庫 第4刷 20年2月25日発行/20年10月11日読了

短編がゆえに、ワンポイント・トリックになりがちで、話に深みが無くなる。どうしたことか、事件を引き起こした人が皆善人ばかり。「涙の成分比」は、涙の成分の塩類が、感情により成分比が異なり、怒りの涙は塩辛いとか、面白い着眼点であった。

灯台からの響き(宮本輝)★★★★☆

株式会社集英社 第1刷 20年9月10日発行/20年10月19日読了

尻屋岬、大間岬、竜飛岬、随分懐かしい岬が出てくる。子供が小さいとき潮岬にも行った。「灯台女子」なるものがいるらしい。岬の突端に行くと、灯台が見えてくる。令和元年現在、全国の灯台は3,135基。旅情がそそられる。日御碕にもいつか行ってみたい。あるとき中華そば屋の女房がくも膜下出血で亡くなった。生前葉書をちょっとしたいたずら心からだろうか、本の間に挟んでいた。その一枚の葉書から、彼女の人となりが見えてくる。

星宿海への道(宮本輝)★★★★☆

株式会社幻冬舎 幻冬舎文庫 第2刷 16年11月25日発行/20年10月27日読了

兄雅人が突然中国の奥地で消息を絶った。現地の話では自らの意思で去ったとしか言いようがない。誰もその理由が分からず、弟の紀代志は現地にも行き知人を訪ね歩き、その真実を探し回る。雅人にはもうすぐ生まれる子供もいた。そこにあったのは亡き母への思いであり、まるで母に導かれるように姿を消したことだった。