小説の樹々21年04月

郊外の学園都市には、苦労や不幸とは無縁の空気があった。駅前のロータリーから南に向かってまっすぐに延びる大通りの左右は老いた桜並木で、ほかにも松や楓や銀杏の緑が溢れていた。しかし、もし僕の見誤りでなければ、武蔵野の樹木の主役である欅が見当たらなかった。おそらく学園通りの桜を美しく咲かせるために、陽光を遮る欅を切ったのだろう。僕の育った養護施設は欅の森の中にあった。頭上に蓋を被せられたように暗鬱で、秋が深まれば降り注ぐ朽葉を、際限ない苦役のように集め続けなければならなかった。だから僕がその町のたたずまいを気に入ったのは、欅の大樹がないせいかもしれなかった。(「おもかげ」浅田次郎)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

悪の芽(貫井徳郎)★★★☆☆/ISBN978-4-04-109967-4

株式会社KADOKAWA 初版 21年02月26日発行/21年04月05日読了

顔の見えないネットの悪意に恐怖を覚える。子供の頃ちょっとした悪意から苛めに発展し、その同級生が無差別大量殺人を犯す。そのことが原因だったのか悩みパニック障害を起こす。ネット炎上の恐怖に晒されながらも、真の原因を探し始める。

あの日、君は何をした(まさきとしか)★★★★☆/ISBN978-4-09-406791-0

株式会社小学館 小学館文庫 第4刷 20年9月19日発行/21年04月06日読了

2004年中学生が深夜トラックに衝突して死亡する。何故少年は死ななくてはならなかったのか、その謎が最後まで提起される。2019年殺人事件が発生する。2004年の登場人物はなかなか出てこず、関連性は全く分からない。この手法に引き摺られ、読むのを止められない。最後に種明かしがあるが、ここまでしなくては説明がつかないか?少々終わり方が釈然としない。

愚者の毒(宇佐美まこと)★★★★☆/ISBN978-4-396-34262-3

株式会社祥伝社 祥伝社文庫 初版第1刷 16年11月20日発行/21年04月13日読了

偶然職安で知り合った二人が、意図せず運命の荒波に飲み込まれていく。仕掛けが張り巡らされミスリードされ「私」が誰なのか分からなくなる。しかしすべてが偶然というのではなく悪意を持った意思が蠢く。ひたすら、なるべくしてなったような結末に導かれていく。

僕はまた、君の夢を見る(石脇優)★★☆☆☆/ISBN978-4-910088-50-1

日本電子書籍技術普及協会 第1刷 20年10月10日発行/21年04月14日読了

若くして逝った妹への思いは分かるが、文章が平易で叙述的なため直截的でベタ過ぎる。離婚した母親の立ち位置もあやふやだし、父親が亡くなっても兄が出てこないし、妹への回想も病気になってからしかない。ただ落ち込む兄の個人的な悲しみにしか見えない。

傘を持たない蟻たちは(加藤シゲアキ)★★★☆☆/ISBN978-4-04-106888-5

株式会社kADOKAWA 角川文庫 初版 18年06月25日発行/21年04月17日読了

アイドルと作家の両立は難しかろうと思う。解説にある「たくさんの言葉をつくしても心が通じたとは一度も思えなかった母への思い」、苛立ちや不満の発露だという。「にべもなく、よるべなく」が一番ストーリとしては纏まっていて面白かった。

ツバキ文具店(小川糸)★★★☆☆/ISBN978-4-344-02927-9

株式会社幻冬舎 第18刷 17年06月30日発行/21年04月20日読了
代書屋が単に文字を書くだけではなく、手紙を出す人の事情を聴き文章も作ることを知った。また、その趣旨に合わせて用紙、筆、字体も変えて書くことも驚きであった。鳩子はかなり思い込みの激しい女性のようで、祖母もまた同じ性格のようでそりが合わなかった。成り行きから代書屋を継いで、徐々に祖母のことに想いを寄せてくる鳩子が素直になった。物語と鎌倉の空気が良く合っている。

九十九藤(西條奈加)★★★☆☆/ISBN978-4-08-745786-5

株式会社集英社 集英社文庫 第6刷 21年2月17日発行/21年04月27日読了

とにかく逞しく賢い女性である。大規模と江戸の、武家、商人を問わず人不足、かたや江戸に流入する多くの人、まさに需要と供給が一致する商機を見逃さなかった。現代版の人材派遣業。