小説の樹々21年08月

夏の終わりの夜は蒸し暑くて、どこからか花火の匂いがした。空を仰ぐと百日紅の赤が夜目に鮮やかに映る。その向こうには小さな星が幾つか瞬いていて、明日も晴れだと言っている。酔った勢いで美晴の手を掴み、子どものようにぶんぶん振って歩く。鼻歌を歌うと美晴が笑ったから、私も笑った。他愛ない夏の一日だった。(「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ)

「かくれみの」の読書歴

蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)

晴れた日にかなしみの一つ(上原隆)★★★★☆再読/ISBN978-4-575-71489-0

株式会社双葉社 双葉文庫 第1刷 21年5月16日発行/21年08月01日読了

文庫本化する際、多少の手直しと改題することがままある。気付かずに本を手にして初めて改題を知り、再読することとなる。まあ、この人の再読ならいいか、と思い読み直す。ほとんど忘れているが。苦しい人はどこにでもいる。それでも前を向いている人も多い。挫折する人もいる。いつも人生の断面を垣間見る思いで読む。

教室が、ひとりになるまで(浅倉秋成)★★☆☆☆/ISBN978-4-04-109685-7

株式会社KADOKAWA 角川文庫 初版 21年1月25日発行/21年08月16日読了

北楓高校には4人にそれぞれ4つの能力を引き継ぐ習慣がある。ある日その力の一つを引き継いだ男子は、すでに自殺した3人の死因に疑問を持ち、次の死の予告された女子を助けるため、仲間と協力して死神を追い詰める。4つの能力にもそれなりに理由があり、凝った設定であるが、どうもすっきりせず、スマートではない。読み終えるのに時間がかかってしまった。

読んでいない絵本(山田太一)★★★☆☆/ISBN978-4-406175-8

株式会社小学館 小学館文庫 初版第1刷 15年6月10日発行/21年08月19日読了

短編、ショート・ショート、戯曲、TVドラマと、小説家とは異なる脚本家らしいちょっと視点の違った心の襞の断面のようである。

絶望書店(頭木弘樹)★★★☆☆/ISBN978-4-309-02766-1

株式会社河出書房新社 初版 19年1月30日発行/21年08月24日読了

千人に一人しかなれないものには、999人挫折がある。夢を諦めることは難しく悲しいことだろうが、また、別の人生と考えることができれば生き延びることができる。「国破れて山河在り」は、国が滅んでも山河は昔のまま変わらず美しくある」という意味だが、国が破れたからこそ、山河の美しさに気づく、と別の意味で読んでいる。

異人たちとの夏(山田太一)★★★☆☆/ISBN978-4-10-101816-4

株式会社新潮社 新潮文庫 第21刷 21年2月20日発行/21年08月25日読了

12歳の時父母は交通事故で亡くなり、今は中堅のシナリオライター。元住んでいた浅草で39歳の父と35歳の母に出会う。ファンタジーだが妙に現実的で生活感がありリアリティがある。こんなことが追ってもいいんじゃないかと思えてくる。ケイとは牡丹灯籠の世界。自分を骨と皮に窶れさせたのはどちらか?

正欲(朝井リョウ)★★★★☆/ISBN978-4-10-333063-9

株式会社新潮社 第2刷 21年4月20日発行/21年08月31日読了

多様化(ダイバーシティ)が提唱されて久しい。多様化の流れの中で、マイノリティでも生きやすい世界、相互理解と言われるが、受け入れられる多様性の境界とはどこまでのことか曖昧である。三人のフェチズム(フェティシズム)は、恐らく容易には受け入れられないだろうが、これも門語りとしての象徴の一つに過ぎない。