小説の樹々21年09月
夏の終わりの夜は蒸し暑くて、どこからか花火の匂いがした。空を仰ぐと百日紅の赤が夜目に鮮やかに映る。その向こうには小さな星が幾つか瞬いていて、明日も晴れだと言っている。酔った勢いで美晴の手を掴み、子どものようにぶんぶん振って歩く。鼻歌を歌うと美晴が笑ったから、私も笑った。他愛ない夏の一日だった。(「52ヘルツのクジラたち」町田そのこ)
「かくれみの」の読書歴
蔵書を整理した。中学校の頃から読書を始め、最初に読んだ文庫本は伊藤左千夫の「野菊の墓」だったと記憶している。確かS.Oさんから借りたものではなかったか。今から思えば、本を貸してくれたことは実は告白だったか?学生の頃は電車通学で文庫本を読んでいたが、例外なく太宰治、芥川龍之介、志賀直哉、夏目漱石あたりから始め、三島由紀夫、福永武彦、立原正秋等へといった。借りて読むのは好きではなくほとんど購入していた。三浦哲郎の「忍ぶ川」はいつごろ読んだのだろうか。しかし、家でボヤをだし、この時代の蔵書は水浸しで全部捨てた。会社に入ってからは読書の習慣がしばらく絶えて電車の中ではビックコミックを愛読していた。いつの頃からか再び読み始めているが、多少金銭的余裕もできてハードカバーも購入し始めた。気に入った本があると同じ著者物を続けて読む傾向もある。当然ながらいつの間にか本が山積みになり始めた。でも捨てきれないでいる。(本棚左下の家マークをクリックするとマイ本棚へ)
この歌をあなたへ(大門剛明)★★★☆☆/ISBN978-4-396-34735-2
株式会社祥伝社 祥伝社文庫 初版第1刷 21年6月20日発行/21年09月04日読了
東野圭吾の「手紙」(映画で観た)と同様な設定。犯罪者の家族は苦しめなければならないのか。今ではネットによる誹謗中傷がひどい。海外では犯罪者家族に手紙が来るが、そのほとんどが慰めと慰労だとか、個人主義、人格が異なることから、こちらの方がまとも。日本人の村八分根性がさもしい。物語としては、最後の終わり方は希望が垣間見えて救われるが、ビラまきをした犯人が分かって興覚め、ここは徹底的に顔の分からない不特定な集団的悪意で締めくくって欲しかった。
本性(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-04-109593-5
株式会社KADOKAWA 角川文庫 第12刷 21年8月10日発行/21年09月07日読了
年齢、性別からも関係がつかめない何人かの人がバラバラに交錯していき、共通するミサキがその間隙を動き回り、過去から徐々にその関係が浮かび上がってくる。短編連作のようにつながり、引き付けられる。最後は少々グロテスクだが、ミサキはこのあとどう生きていくのだろうか、何事もなかったような生活に戻り、あるときまた宮下と遭遇するような気がする。安井の死因には少々疑問、第三者の関与が明白なのに、解剖されなかったとは思えないが。
痣(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-19-894406-3
株式会社徳間社 徳間文庫 第12刷 20年11月10日発行/21年09月10日読了
つい引き込まれ昨晩は深夜まで読んでしまった。犯人は真壁の事情を知る身近にいる。少しグロで猟奇的なので顔をしかめるところだが、犯罪があまりに安易に行われるので辟易した。三人組の犯行は十分に在りうることだが、それ以降の犯罪はむしろ常軌を逸した殺人嗜好的でイカレた犯行に見える。
悪寒(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-08-744009-6
株式会社集英社 集英社文庫 第14刷 20年10月17発行/21年09月12日読了
「中年男の鈍感は、それだけでも犯罪」何もわからず、ただ狼狽える中年男が悲しい。贈賄事件でとった自分の態度がこの結末に導き、サラリーマンの悲哀も醸し出す。身代わりになった倫子は何故ここまで自らを貶めるのか。さいごにその理由が判明するが、こうでもしないと理由にならないか。しかし、あざとい結末である。
冷たい檻(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-12-206868-1
株式会社中央公論新社 中公文庫 第4刷 20年06月10日発行/21年09月15日読了
新薬の開発には500億円。コスト削減を考えると治験を容易にすることも考えるだろう。北陸の僻地に施設を構え、アルツハイマー患者、若い凶悪犯、養護幼児を集め、密かに開発薬の効果実験を始める。すべての新薬がうまくいくことはないので、当然悪影響も発生する。とくに自意識の低い子供の残酷さは、予想を超えた。最後の親子の対面は、読者へのサービスか?あとからお守りを見つけ、誘拐された子供と知るとか。
ぎょらん(町田そのこ)★★★☆☆/ISBN978-4-10-351082-6
株式会社新潮社 第4刷 21年06月15日発行/21年09月21日読了
今晩は中秋の名月。人の死を扱うので、それなりに重たい。「ぎょらん」が残された者へ死者の最後の思いを伝える。知らなくてもいいことまで知ってしまう。かなり構成漏れられているが、あまりに人々が近すぎ濃すぎる。このためこねくり回しているように感じてしまう。
赤い砂(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-16-791588-9
株式会社文藝春秋 文春文庫 第5刷 21年03月20日発行/21年09月26日読了
「薬でウィルスは殺せない」新型コロナが蔓延するいま、電子顕微鏡でしかその姿を見ることができない微細なもの(生物ではない)が人体に感染し、多くの人が亡くなる脅威を改めて知ることになった。ウィルスに対抗し、人類は終わりなくコロナに対応できる知見を獲得する必要がある。永瀬は感染したか、最後に読者に任せられた。暢彦が欲に塗れた人を次々に感染させていき自らも命を絶とうとするのは復讐心からだとすると、ギリギリ思い止まった気がする。
祈り(伊岡瞬)★★★☆☆/ISBN978-4-16-791510-0
株式会社文藝春秋 文春文庫 第6刷 20年12月5日発行/21年09月30日読了
ある少年がちょっとした超能力を持ち、それが仇になり不遇の人生を送る。周りは気味悪がって遠ざかるか、その力で利益を得ようとするかの二通りであった。その少年と、26年経た特段スキルも持たない若者と、どちらも自分で言いたいことも言えずの性格が一緒で、人生が交差する。最後の章が、もしかしたら、この自分だって、選択次第ではまったく違った道があったかもしれないのだし、とある種パラレルワールドを見せる。