37. 初春の福島温泉旅
介護があるのでなかなか外泊はできないが、弟から一泊二日の温泉旅行に誘われ、姉に代わってもらい久しぶりに温泉に行ってきた。東北というと銀山温泉もいいが雪の時季、既にどの宿も予約で満杯。ここは諦め、行き先、行程は弟任せで気楽な旅に出た。
散策日
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平成30年3月19日(月)-3月20日(火)
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所 感
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3月19日(月)自宅-福島-花見公園-玉子湯温泉 13,193歩(7.9km)
3月20日(火)玉子湯温泉-二本松城-白河城-上福岡 14,546歩(8.7km)
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比較的ゆっくりと朝9時前に家を出る。新幹線なら大宮から福島まで1時間ちょっと。大宮の車中で待ち合わせ。11時過ぎに福島に着き、駅中にある餃子専門店に行くが、11時開店の店はすでに満員で待ち。最初の客が出るタイミングで入れ替わり、ビール/酒と名物の円盤餃子で昼食を済ます。温泉の送迎バスの時間に合わせ、その前に花見山公園に立ち寄る。ここは二人とも来たことがあるが、まだシーズンには早いようで、客もそれほどいなかった。関東より半月から一か月遅いようで、ロウバイ、マンサク、サンシュユなど早春の花が咲いていた。
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再び福島駅に戻り、ここからほぼ30分程度で高湯温泉に着く。たった30分とはいえ、随分山中に来たようだ。雪がチラホラ残っている。だいたい温泉に来ると夕食前、夕食後、翌日の朝食前の三回湯に入るが、今回は湯屋がいくつかあったので、都合5回入った。白濁した硫黄泉で湯温は40-41度くらいであろうか。玉子湯というから肌がつるつるするのだろうか、いい湯である。家からそれほど遠くないところにこんな湯宿があるとは知らなかった。湯に入りながら女房と一緒に来たかった、いや女房を連れて来たかったと思う。もう少し寒い時期で湯に入りながら雪が深々と降るのを見る方がもっと良かったかもしれない。
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二日目の予定は米沢に出るか二本松へ戻るか不明であったが、日本100名城にも数えられ城郭が残っているというので二本松に行くことにした。ついでに少々忙しくなるが白河城もピックアップした。なにしろ玉子湯の送迎バスの出発は10時半で、これより早いバスはない。ゆっくりできるのがいいが、便としてはいささか不都合である。帰宅時間を1時間遅らせて調整する。
二本松城は日本100名城の一つで、別名霞ヶ城/白旗城と呼ばれる。霞ヶ城公園として日本さくら名所100選にも選定されている。時間がないのでタクシーで向かう。女性の運転手が、城跡に登る坂道は桜並木で満開の頃は人が多いというが、地元からするとそれほど感激もしないという。天主台跡まで登ると吾妻山脈、とくに雪を被った安達太良山が良く見え、何とはなしに智恵子抄を想う。弟がふと頭にてをやり「帽子がない」という。宿の前で写した写真には帽子を被っているので、送迎バス、電車、タクシーのいずれかだ。宿に電話したが帽子は出ていないという。次にタクシー会社に電話すると、忘れ物で出ているというので、帰りのタクシーも来た時に乗ったタクシーを指名することにして、無事に帽子は見つかった。
二本松少年隊の像の前でタクシーを待ちながら、顕彰碑を見る。戊辰戦争で戦った少年隊の最年少者は若干12歳であるという。
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帰路途中である白河で下車し、100名城の一つである白河小峰城に立ち寄る。この三重櫓は戊辰戦争で焼失し1991年に復元された。復元天守は昭和期に多数造られたが、それらはみな鉄筋コンクリート造の外観のみ元に復した外観復元だが、白河城の三重櫓は木造復元された城郭建築のうち、天守に相当する建物の復元では最初のもので、数少ない木造復元天守の1つであるという。戊辰戦争の激戦地となった松並稲荷山の杉を使って復元をしており、中に入り柱をみると弾傷が確認できた。
白河駅が市街地の外れにあり、城は駅の近くにあるが繁華街に遠く閑散としている。城下町でもないし駅前にこれだけ広い場所を取られると駅周辺の発展はままならない。駅前の数少ないラーメン屋に入り遅い昼食を摂る。白河からだと大宮もそう遠くなく、19時前には帰宅した。白河のラーメンが腹に応えて食欲がなく、この日は晩酌もそこそこに早々に就寝した。
<後記>久しぶりに日常生活から離れ、のんびりと温泉と100名城巡りをした。時間が許せばもっとあちこち行きたいところであるが、まあ今回行けたことで良しとして、無理は言うまい。またの機会に期待したいところである。