25. 天狗岳
「池あり、草原あり、岩稜ありー天狗岳は、南北八ヶ岳双方の雰囲気を併せ持った山。諏訪から佐久への本コースは、この山のいわばフルコースで自然との多彩な出会いがあり、比較的安全度が高い」(東京周辺の山350)かねてより行ってみたかった天狗岳に、今年の夏は昨年の富士山と同様、弟と二人で登ってきた。コースはガイドブック通りではなく、西天狗岳から西尾根を唐沢鉱泉へ降りたが、昨年の蓼科山同様、この辺り一体の岩稜地帯の上り下りはストレスを感じる。しかし、天気は申し分なく、涼しい風の吹く山頂の全方向の眺めは、苦労した登りのきつさを補って余りあるものだった。
散策日
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平成25年8月17ー18日(土ー日曜日)
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所 感
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総歩数は17日12,451歩、18日21,861歩。
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ガイドブックにあった「早朝出発で黒百合ヒュッテに一泊する二日行程が一般的」という文句に従い、17日早朝出立し、あずさ3号で弟と合流。酒好き兄弟は早速ビールを飲みつつ茅野を目指す。茅野から渋の湯行きバスで終点渋の湯下車。靴の紐などを整え、渋川に沿って歩き始め、左岸に渡り樹林の斜面に入る。ここはまずは尾根筋へ上がる。渋の湯・八方台分岐に出て小休止。続けて尾根筋を辿っていくが、道は岩がゴロゴロで歩き難い。周りはコメツガ、シラビソ、オオシラビソの針葉樹林とダケカンバの広葉樹が混じる。14:00黒百合ヒュッテ到着、今日は歩き慣らしでここまで2時間半の楽々行程。気温は23℃だが暑い。夏限定の生ビールの看板に引かれ、チョット高いがご褒美に生ビールで乾杯。受付をするが、寝場所の割り当て発表は16:30で、それまで、5分先の中山峠や辺りをブラブラ。ちょっとこの時間がもったいないと思った。
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黒百合ヒュッテは素泊まり5,300円、二食付き8,000円だが、今日はフルート&ギターのイベントがあり1,000円アップ。約60人ほどが泊まっており、16:30割り当てられた寝場所は3階(といいつつ、天井が低く這って歩く屋根裏部屋)、男女混合。それでも昨年の富士山の半畳/人よりはましで一応一畳/人。19:00からのイベントを聞き、消灯20:30。自分のいびきが気に掛かったが、その前に私のお隣さんがグーグーやり始めた。こういう場合、お互い様でしょうがないですよね。いつの間にか寝たようだ。寒くなると思って長袖に着替えたのが失敗で、昼間の暑さが籠もる屋根裏部屋が汗をかくほどの暑さ。翌朝4時には起床、早々に1階に移動した。持ち上げるのは別にしたら、外のテント組みがうらやましかった。まあ、山小屋は個室以外はこんなものでしょう。クラブツーリズムの20数人も泊まっていた。中高年ばかりのツーリズムにもちょっと吃驚。
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早い人は5:30頃から出発する。我々はそれほど急ぐ行程でもないので食事後ゆっくりして6:40出発。昨日行った中山峠を越え、いよいよ東天狗岳に向かう。樹林帯を抜け、続く岩尾根は距離は短いが傾斜がきつい。振り返ると稲子岳が飛び出している。遠く白駒池も望める。ツーリズムは黒百合ヒュッテから摺鉢山コースから登ってくる。合流点から東天狗の山頂は目と鼻の先。最後の岩稜を登れば東天狗岳の頂上に達する。反対側にはしらびそ荘が見える。
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黒沢ヒュッテで一緒だった外人夫妻(奥さんは日本人)は唐沢鉱泉で風呂に入り鉱泉バスで茅野に向かうというが予約していない。早速電話すると、鉱泉バスは宿泊しなくても空があれば乗車可能。電話してみるものですね。唐沢鉱泉に着くと、鉱泉の食堂に上がりこみビール休憩。まだここから登り20分、下り30分の行程がある。
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山登りは温泉で締めくくりと決めているので、渋の湯で日帰り温泉(800円)。陣馬でもそうだったが、一般に温泉での日帰り客へのサービスは低い。風呂上り後ロビーで自販機の缶ビールを飲む程度。それに加え無愛想。渋の湯発14:50のバスで茅野に戻り、9分後のあずさに飛び乗る。唐沢鉱泉で別れた外人夫妻とも同車両になった。
<後記>高山を縦走するほど、疲れるので山は好きではないと思っている。明日は足が痛いかも知れない。疲れたと思う。しかし、しばらくすると、また、登りたくなるのはどうしてだろう。帰りの列車内ではビールを飲みながら、この秋には谷川岳一般コースに行こうとか、弟の息子の嫁さんの実家に近い鳥海山に行かなければと、そんな会話になった。懲りない人達である。