39. 初冬の島根・山口

宮本輝の「灯台からの響き」に影響されたからだろう、一度行ってみたかった日御碕灯台を見に行った。初めて見た灯台は美しかった。寝台夜行列車「サンライズ出雲」に乗りたいし、博多で旧友に会いたいし、温泉にもつかりたいと盛沢山の行程で、スケジュールを十分練った。無人駅の特牛(こっとい/超難読駅名)で電車を待ちながら一人聞いていたのは谷村新司の「群青」だった。

散策日
令和3年(2021年)11月7日(日)-11月11日(木)
所 感
コロナが少し落ち着いてきて、最初は日御碕灯台へ行きたかった。行くなら寝台特急サンライズ出雲。ここまで行くなら福岡に住む旧友に会いに行き酒を飲む。どうせなら温泉泊まりがいい・・・と行程は膨らみ、「寝台+会食+灯台3+温泉2+神社3+城1」の欲張った4泊四日のスケジュールにした。一人だからこの辺は自由に変更。久し振りの一人旅を楽しんできた。
11月7日(日)自宅-東京-(車中泊)-松江 3,337歩(2.1km)
11月8日(月)松江-美保神社-美保関灯台-松江城-玉造温泉 11,739歩(7.0km)
11月9日(火)玉造温泉-日御碕灯台-日御碕神社-出雲大社-博多 20,593歩(12.4km)
11月10日(水)博多-角島灯台-湯田温泉 11,126歩(6.7km)
11月11日(木)湯田温泉-自宅 11,067歩(6.6km)

 今回は、①夜行寝台に乘る、②日御碕に行く、③九州の旧友に会う、ことの三つの目的でスケジュールを検討した。であればと最初は「夜行寝台で出雲に行き、出雲日御碕をみて岡山に戻り、博多に出て会食、宿泊後、翌日飛行機で帰ってくる」という2泊二日の旅行となる。しかし、スケジュールを作る段階で、近くに50灯台がないか、温泉はないか、と徐々に欲が出て来る。そこで、サンライズ出雲→美保関灯台→松江城→玉造温泉→日御碕灯台→出雲大社→博多→角島灯台→湯田温泉→帰宅、と4泊四日の欲張った日程を作成した。まずは競争率が高いというサンライズ出雲の指定を取ること。すべてはこれに従って日程が決まる。
 寝台列車は昔北海道から北斗星に乗って以来ではないだろうか。当時は蚕の棚のような寝台だったように記憶しているが、今回は個室(喫煙ルーム)である。しかもシャワー付き。これに乘りたくて一月前からネット予約した。旅の始まりは夜行寝台列車からである。日曜夜の出発なら比較的すいているだろうと思い、予定通り11月7日(日)の切符が取れた。この日は私の結婚記念日である。これも何かの縁だろうか。
 次は切符と指定席。ここで最初の誤算。川越のみどりの窓口に行くと、発券していた駅員が途中で「出雲市から岡山までの「やくも20号」が取れない」という。時刻表にも運休とは書いてないし、ネットでも出て来る。「理由は分からない、JR西に確認してくれ」と言われ、その日は一旦戻った。JR西日本に確認するとなんとコロナのため間引き運転中で、やくも20号は運休中。しかたなく余裕が少しなくなるがやくも18号にして組み直した。天気予報では旅行中8-10日は雨模様。1カ月前から予定を組むので、天気まで組み直しはできない。

21.11.07東京発21:50

21.11.07サンライズ出雲

21.11.07B寝台個室

21.11.07シャワールーム

 11月7日夜、家を出発。発車一時間前に東京駅に着いたが、ここで第二の誤算。予め夜食を買おうと思っていたが、この時間になるとほとんどの店が閉まっていたり、売り切れだったり。わずかに開いていた店で、あまり好き嫌いは問わず、夜食、飲み物をまとめて調達。発車40分前に乗車。すぐなくなるというシャワー券(330円)を即刻購入。少し落ち着いて個室で横になる。足が延ばせるのがいい。曇り空のようで上の窓からは星は見えない。昔の寝台車をおもえば格段の違い。酒がうまい。9時50分、やや興奮気味の中、夜の帳が下りた東京駅を静かに離れた。
 シャワーは6分間お湯が出る。遅くなったからか水圧が弱かったのは残念。夜行寝台でシャワーが浴びられるのだから文句もないが。暗い夜空を見ながらいつの間にか寝た。

21.11.08美保神社

21.11.08青石畳通り

21.11.08美保関灯台

21.11.08クロガネモチ

 翌日6時起床。いくら足が延ばせるとはいえ12時間も個室にいると少々狭苦しくなる。9:29松江着。ここからバスを乗り継ぎ美保神社まで行く。神社の参拝し、青石畳通りを見て観光センターに電話する。今の時期の平日は神社から灯台までの便はなく、事前に電話した観光センターの方が、灯台ビュッフェで食事をするか買い物をすること、簡単なアンケートに答えることを条件に、神社と灯台間の車を出してくれるという。ありがたくこれに便乗して灯台に着いた。今まで岬をいくつか廻ったが、灯台を目的にしたことはなかったので、改めて灯台に注目する。近年「灯台女子」なるものがいると聞くが、灯台男子のかじりでもいいかと思いながら、灯台ビュッフェの窓から穏やかな日本海を眺めた。
 ここ美保関灯台は明治31年(1898年)11月8日に初点灯された山陰最古の灯台。灯台の高さは14m、水面からの高さは83mとなっており、美保湾を隔てて大山、弓ヶ浜、また遠く隠岐の島を望むことができ、景観の眺望は雄大で素晴らしい。まさに今日が初点灯の記念日。

21.11.08松江城

21.11.08松江城ヒトツバタゴ

21.11.08玉造温泉翆鳩の巣

21.11.08玉造温泉そば富

帰りもセンターの方に神社まで送ってもらい、バスの乗り継ぎ松江に出る。松江城は全国に12城しか残っていない現存天守の1つ。その中でも、慶長16年完成の松江城天守は、彦根城、姫路城と並び、近世城郭最盛期を代表する天守として国宝に指定されている形の良い城である。城に上がった後、今日の宿玉造温泉へ。今日の宿は素泊まり。まずは温泉に入り、着替えて夜の街へ食事に出る。雨が降るはじめ、店も多くなく、客はちらほらでやや寂しい。近くの居酒屋で夜食を摂る。明日の朝食のため、テイクアウトのお握りを頼む。

21.11.09日御碕灯台

21.11.09灯台展望台

21.11.09日御碕灯台海岸

21.11.09日御碕神社

 玉造温泉から6時50分の電車で出雲市へいくため、まだバスの走っていないし、タクシーも捕まらず徒歩30分で駅に出た。8時30には日御碕灯台前に着いた。一目見て見上げた白亜の灯台は実に美しいと思った。生憎曇天だが、青空ならもっと映えるだろう。日御碕灯台は島根半島の最西端の断崖にそびえ、明治36年(1903年)に設置された。海面から灯塔の灯火までは63.3m。地面から塔頂まで43.65mあり、石造灯台としては日本一の高さを誇る。国内に16基ある参観灯台の一つ。参観は9時からで私一人、本日一番ということで、係の方から「のぼれる灯台」の冊子を頂いた。163段の階段を上ると高所恐怖症の私としては、風の強い展望台に出るのに少しビビる。中には階段の途中で下りる人、展望台に出られず下りる人もいるとか。
 灯台の後は朱塗りが鮮やかな日御碕神社へ参る。戻る時間のバスがないのでタクシーを呼んだ。運転手に「もっと灯台行のバスがあればいいのに」というと「バス運転手が足りない」という。

21.11.09出雲大社

21.11.09出雲大社注連縄

21.11.09朝鮮朝顔

21.11.09博多駅イルミネーション

 タクシーで出雲大社まで戻った。ここは昔女房と一緒に来ているはずだがあまり記憶にない。神社前の蕎麦屋で列ができていた。出雲蕎麦を食べたかったが、出雲市駅での乗り換えは6分しかない。諦めてバスで駅に出て、ここでゆっくりと蕎麦を食べた。岡山へ戻り新幹線で博多へ移動する。今晩は博多でA氏、F氏と三人で久しぶりの会食である。博多には何年ぶるだろう。駅前は思いの外随分綺麗になっていた。ホテルロビーにA氏が待っていた。3時間ほど楽しい酒をのみ会食をした。

21.11.10日本海

21.11.10特牛駅

21.11.10角島大橋

21.11.10角島灯台

 今日は角島灯台を見て湯田温泉に泊まる予定。博多から小倉に出て、鈍行を乗り継ぎ特牛(こっとい)に行く。車掌が検札来たので「とっこい」でしたか?と聞くと「こっとい」と応えた。「超難読駅名なんですよ」という。風が強いようで、日本海は白波が立っている。こっといに一人降りると無人駅で、ここは映画「四日間の奇跡」のロケ地になったようで、写真が掲載されていた。駅舎に猫が5,6匹住んでいるようで、人が来るとしつこいくらい食べ物をねだる。バスで角島大橋を渡り、角島公園で下車。もちろん乗車客も下車客も私一人。
 角島灯台は、明治 9年 3月1日に点灯した当時の日本海側では初めての大型灯台、地上30mの塔は、24mの高さまで荒磨きの花崗切石の装石積で、上部は切込みを入れた切石を装飾的に配し,柔らかい感じを出している。105段の螺旋階段があり、普段は登れる灯台であるが、この日は強風で参観中止(残念)。灯台周りに何軒かの店はあるが開いていない。第三の誤算、灯台周辺にも途中にも食べ物屋が1軒もない。ついにこの日は昼食抜き。特牛駅の猫の気持ちが少しは分かろうというところか。

21.11.10ダルマギク

21.11.10宇部近くの虹

21.11.10湯田温泉駅

21.11.10湯田温泉

 1時間散策して帰りのバスに乗った。特牛駅では人の姿を見ずに30分の待ち合わせ、スマホで「群青」を聞きながらで電車を待つ。幸いここまでは雨は降らずだが、降ったり止んだり晴れたり天気が目まぐるしく変わる。途中宇部あたりでは窓外に虹を見た。電車内で空きっ腹に酒をちびりちびり。幡生(はたぶ)、新山口で乗換え湯田温泉に。
 宿は山口湯田温泉。「食泊分離」という仕組みで夕食はなく、外の食べ物やで使う5,000円券が渡された。当然酒も含めこれを超えた分は自腹、余ったらそれだけ。一生懸命酒をお替りする。地元の食べ物屋とのコラボで、宿は夕食の用意はいらず、出かけるのは少々面倒だが、面白い仕組みだと感心する。また、雨が降ってきた。

21.11.11井上公園

21.11.11中也詩碑

21.11.11中原中也記念館

21.11.11車窓からの富士山

 旅の最後の日は湯田温泉でゆっくり出立した。皮肉にも最後の日は眩しいくらいの晴天である。街中を山頭火、中也の詩碑、井上公園で井上薫の銅像、中原中也記念館をゆっくり回った。中原中也の「汚れっちまった悲しみに・・・」の詩はもっと有名かと思ったらそれほど喧伝されていなかった。記念館前でコーヒーを飲み湯田温泉10:51に乘った。新山口11:50だから駅弁を買って4時間の新幹線帰り。ここで最期の誤算。なんと時間も昼前なのに、新山口駅では駅弁を売っていない。駅員に聞いても「汽車が走るときは売っているのですが、コンビニくらいしか・・・」と。酒はあるから、コンビニでお握りを買い、文庫本を開き、旅の最後は富士山を望み帰宅した。

<後記>
今まで岬はいくつか廻ったが、その際灯台も目にしていた。しかし、今回灯台をメインにして回ると見方が変わってくる。特に日御碕灯台はただ美しかった。灯台は日本に3,181基(2018.3.31現在)ある。「灯台50選」は1998年(平成10年)11月1日の第50回灯台記念日の行事として、海上保安庁が募集し一般の投票によって選ばれた「あなたが選ぶ日本の灯台50選」の灯台群である。場所によっては近寄れないものもある。今回の旅を通じて、無理はせず折を見て回ってみるつもりでいる。