52.岩手県の灯台

 本州最東端、「喜びも悲しみも幾年月」、そして東北地方最も高い灯台である「魹(とど)が埼灯台」は行ってみたかった。ただ公共交通機関だと厳しい。往路は宮古から8:30のバスで姉吉まで行き、そこから1.6kmのキャンプ場、さらに3.8km(計5.4km)で灯台に着く。復路は姉吉バス停まで戻るがすでにバスはなく、さらに重茂の里バス停まで5.2km歩き、16:02のバスに乗らなければならない。全行程徒歩16km。厳しいがそれでも行きたいと思う灯台だった。

散策日
令和4年(2022年)10月20日(木)ー10月22日(土)
所 感
魹が埼灯台は年2回一般公開をすることがあり、これに合わせて行こうと期待していたが令和4年は中止。JR東開業150周年記念フリーパス利用し、陸中黒崎灯台と魹が崎灯台を期待して岩手県の灯台を回った。しかし、体力が足らず完歩はできず、さらに碁石海岸でもタクシーが呼べず、ともに地元の方の世話になった。東北の方々の親切に感謝である。とにもかくにも魹が埼灯台には行くとこができ「最東端訪問証明」をもらった。
10月20日(木)川越・大宮-(新幹線)-八戸-(八戸線/三陸鉄道)-普代-(バス)-北山崎-くろさき荘-<陸中黒崎灯台>-国民宿舎くろさき荘(泊)
10月21日(金)くろさき荘-(タクシー)-普代-(三陸鉄道)-宮古-(岩手県北バス)-姉吉-(徒歩5.4km)-<トドが崎灯台>-(徒歩10.6km/徒歩10kmで断念、車利用)-重茂車庫-(岩手県北バス)-宮古(泊)
10月22日(土)宮古-(三陸鉄道)-盛(さかり)-(大船渡線BRT-)-碁石海岸口-(徒歩3.4kmをタクシー)-碁石海岸-<碁石埼灯台>-碁石海岸-(徒歩3.4kmを車利用)-碁石海岸口-(大船渡線BRT)-気仙沼-(大船渡線)-一ノ関-(新幹線)-大宮・川越(帰宅)

 旅は行く前、行ってから、帰ってからと三度楽しめると言われる。まずは行程の検討である。岩手の三陸海岸には、その入り組んだ地形のため大小多くの灯台がある。公共交通機関を利用して灯台を周る以上、朝日が上がる、あるいは、夕焼けや点灯した夜の灯台を見るのは、宿舎が灯台の近くにないと困難である。この点陸中黒埼灯台は国民宿舎くろさき荘はすぐ前に灯台があり期待ができる。続けて以前から行きたかった魹が埼灯台。あとは比較的整備されていて「恋する灯台」にも選ばれている碁石埼灯台の3灯台を2泊3日で周ることにした。
 魹が埼灯台では7,10月頃一般公開しており、去年はウォーキングイベントがあり、宮古から姉吉キャンプ場までバスが出るので、一般公開に合わせたかったが、残念ながら今年は中止になったので考慮から外した。
 今年は鉄道開業150周年で10月14日ー27日有効のJR東フリーパスが販売されている。3日間22,150円は魅力である。ジパングの3割引きと比べて計算してみたがほとんど変わらないので、自由が利くフリーパスを利用することにした。
 次は天候だが、この10月は雨の日が多く、10日間予報では遅いので、周期性と期待と勘でこの辺でとあたりを付け、日程は10月20-22日にした。
 また、くろさき荘に泊ると宮古8:30のバスに間に合わない。逆コースも考えたが、直接タクシー会社に電話して、くろさき荘6:00でタクシーを予約した。残る問題は魹が埼灯台の16km、5時間(3.2km/h)の徒歩である。なんとかなるだろうと安易に計画した。

22.10.20青森県鮫角灯台

22.10.20八木港北港第一/南港防波堤灯台

22.10.20久慈駅三陸鉄道リアス線

22.10.20堀内港北防波堤灯台

 いつものように大宮駅で駅弁を買い、大宮から一番のはやぶさ1号に乗車。この列車は全車指定で毎回混む。この日も立席特急券(満席の時に販売される)が売られていた。新幹線で八戸へ行き、久慈から盛(さかり)までの三陸鉄道リアス線に乗った。鮫を出ると鮫角灯台が見えてくる。鮫角灯台を見るのは今年3回目である。窓外に八木港北港第一/南港防波堤灯台、堀内北防波堤灯台が見えた。

22.10.20太田名部港防波堤灯台

22.10.20北山崎第一展望台

22.10.20陸中黒埼灯台

22.10.20陸中黒埼灯台

 三陸鉄道の普代で下車。途中窓外から太田名部港南防波堤灯台を見る。ここからは村営バス(無料)で灯台に行く前に数十年ぶりに北山崎に寄った。さすがに北山崎の景観は覚えているが、当時の辺りの様子は記憶がない。店も数件ある。第一から第三展望台があるが当時は第一展望台しかなかったような気かする。第二展望台へは階段を363段降りる。
 再び村営バスでくろさき荘へ向かう。荷物を置いて直ぐ側の灯台へ行く。灯台は暮れなずんだ景色の中にあった。

22.10.20陸中黒埼灯台点灯

22.10.20陸中黒埼灯台ライトアップ

22.10.21陸中黒埼灯台の日の出

22.10.21黒埼の日の出

 16:50灯台点灯。初めて見る点灯された灯台である。光は思ったほどには強くない。イラストの投光器の光のように光映が放出されることはない。灯台前の階段に座り込み、しばらく灯台を眺めた。17:34階段通路に明かりがつき灯台がライトアップされた。
 翌日、朝早くはバスはないので、6:00にタクシーを予約した。その前に5:30に再び灯台を見に行った。海際がうっすらと明るんでいる。そのまま待つと日が昇り始めた。灯台の日の出は望外の景色であった。

22.10.21姉吉バス停

22.10.21津波到達点3.11

22.10.21姉吉漁港/キャンプ場

22.10.21灯台へ

 公共交通機関でトドが埼灯台へ行くには宮古駅発8:30に乗るしかない。ここからバスで73分、9:43姉吉バス停に着く。ここから歩きが始まる。キャンプ場まで1.6km、ダラダラと下り道を降りていく。これは帰りがきついかもしれない。さらに灯台まで3.8km。最初15分は結構きつい上り坂だが、あとは多少のアップダウンはあるが比較的平坦。背中の10kgの荷物がこたえる。時速3km/hで灯台に予定は11:30着だったが、11:40着で少し遅れている。多少は余裕をもって行程を組んだつもりだが。

22.10.21トドが埼灯台

22.10.21トドが埼灯台

22.10.21本州最東端の碑

22.10.21緊急支援車

 途中木々が切れて海が見える。爽やかな風に爽快な気分になる。山道は突然灯台のすぐ下に着く。東北地方最も高い灯台で塔高34mある。灯台の周りをぐるりと回ったが、あまりに近くてビューポイントは少ない。120m離れた場所に本州最東端の碑があるので移動した。
 最東端の碑は「喜びも悲しみも幾年月」の原作者田中きよ氏の筆によるもの。この辺りから魹が埼灯台を見る。やっと来たと感じる。ただ、足場が悪い。
 遅れているので12:20には帰路に。背中の荷物、年齢、その上山道で徐々に歩みが遅くなり、足がつりそうになる。13:50姉吉キャンプ場着。予定では14:00にはバス停から里へ向かって歩き始めるはずだったが。14:20、まだバス停への途中、このまま行くと里バス停着はかなりギリギリになる。乗り遅れるリスクも頭をよぎる。最悪乗り遅れたら野宿だ。そこでダメで元々、ちょっと前に通り過ぎた軽トラがすぐ先の家に入ったので、そこで里バス停まで送ってくれないか図々しく頼んでみた。幸い「困ったときはお互い様だ」と言って、重茂(おもえ)車庫まで送ってくれた。お陰で15時前には車庫に着き、バスを1時間以上待つことになったが、この際そんなことは何でもない。待つ間近くの野花を探した。

22.10.21太田の浜の夕日

22.10.21最東端訪問証明

22.10.22大船渡BRT

22.10.22碁石海岸口駅

 とにかく重茂車庫発16:04のバスの乗れた。これで野宿は免れた。帰りは太田の浜で夕日が見え、今日一日を振り返ったが感謝だけである。宮古に戻り観光センターで「本州最東端訪問証明書」(100円)を購入。予約した宿に入った。宿に着くとすぐにシャワーを浴び居酒屋に行く。カウンターには同じような旅人がいたが、少し話したものの会話が弾まず早々に引き上げた。
 翌日は宮古から三陸鉄道で盛(さかり)へ行きBRTに乗り換えた。BRTとはバス専用道路を走るバス。気楽に乗って碁石海岸口で下車し驚いた。山の中にあり駅の周りには何もない。当然タクシーもない。昨日の影響で少々足も痛い。予め調べたタクシー会社に電話してタクシーを呼んだ。海岸への道はダラダラと下り坂で、これは帰路もタクシーを呼ぼうと決めた。

22.10.22碁石埼灯台

22.10.22食堂「岬」

22.10.22「岬」親子丼ぶり

22.10.22碁石崎海岸

 碁石海岸はきれいに整備されていて、なにより食事ができる店があった。今まで昼食が摂れる店があったことの方が少ない。親子丼(サケとイクラ)と酒でゆっくりし、1時間前にタクシーを呼ぼうとした。来るときは繋がったが、電話を30分かけ続けてもつながらない。店の人に他にタクシーはないか聞いてみた。一応客だったせいか、親切に何度か電話を掛けてくれてそれでも出ないので「いいわ、送っていくから」と言って、碁石海岸口まで車を出してくれた。これにも感謝である。
 碁石海岸口から再びBRTに乗り、気仙沼で大船渡線に乗り換え一ノ関に出て新幹線に乗った。新幹線の中では、今回東北の方々のお陰でなんとか回りきれたと思いながら今回の旅を振り返った。

<後記>
ネット記事には魹が埼灯台の16kmを約4時間で歩いた強者の記事がある。速い、普通、遅いに分けると明かに私の場合「遅い」部類である。10kgのリュック、年齢、山道のせいにしたくないが、あのまま歩き続けたらどうなっていたか。とにかく感謝と改めて今後の現実認識をする旅であった。行かれる方は宮古からレンタカーを使うのがいいと思う。