53.和歌山県の灯台

 かって西国巡礼を始めるために、まず一つだけ離れた一番の青岸渡寺を済ませようと、二人で那智の滝、熊野古道、白浜、潮岬のツアーに参加した。地球が丸く見えるという謳い文句で潮岬に行ったが、潮岬灯台はみた記憶がない。そんな記憶とともに、潮岬灯台に行く。今回は紀伊日の御埼灯台で一般公開があるので、一般公開に合わせて日程を組んだ。

散策日
令和4年(2022年)11月18日(金)ー11月21日(月)
所 感
スケジュールはバッチリ組んだつもりだった。しかし、往々にして実際はいろいろ発生する。天気予報で3日目は雨を覚悟したが、幸い雨に降られることもなく、比較的順調に回ることができた。潮岬は妻と南紀ツアーで行った、数日前、母の写真を整理していたら潮岬灯台を背景に写した写真があった。想い出をなぞっているような旅であった。最後の友が島灯台は当日船が欠航して今回は行けなかった。
11月18日(金)東京-(新幹線)-名古屋-(紀勢本線)-太地-(バス)-梶取岬-<梶取埼灯台>-太地-(紀勢本線)-串本 串本泊 15,207歩(9.1km)
11月19日(土)串本-(コミュニティバス)-樫野灯台口-<樫野埼灯台>-(コミュニティバス)-串本-(コミュニティバス)-潮岬灯台前-<潮岬灯台>-観光タワー-串本(紀勢本線)-和歌山-(市内バス)-<和歌山城>-和歌山 和歌山泊 21,546歩(12.9km)
11月20日(日)和歌山-(和歌山バス)-雑賀埼遊園-<雑賀埼灯台>-(和歌山バス)-和歌山-(紀勢本線)-御坊-(南海バス-)-海猫島-徒歩45分-<日ノ御埼灯台>-徒歩45分-海猫島-(南海バス)-御坊-(紀勢本線)-和歌山 和歌山泊 27,176歩(16.3km)
11月21日(月)和歌山-(紀勢本線)-和歌山市-(南海線)-加太-徒歩40分-友が島汽船-徒歩20分-<田倉埼灯台>-徒歩20分-<加太温泉>-徒歩30分-加太-(南海線)-和歌山-(紀勢本線)-新大阪-東京 21,118歩(12.7km)

22.11.18名古屋発「南紀3号」

22.11.18梶取岬

22.11.18梶取埼灯台

22.11.18梶取埼灯台の夕陽

 新大阪経由で東京/太地往復切符(4割引き)で行くか、東京/名古屋/串本/和歌山/新大阪/名古屋-名古屋/東京の連続切符(3割引き)で行くかちょっと考えたが、計算するとほとんど運賃は変わらず、時間の少ない連続切符にした。まず名古屋で下車し構内をぶらつこうと思ったが、自動検札機から切符が出てこない。駅員に説明し切符を返してもらったが、誤検札とのこと。検札機もミスするか。名古屋で南紀3号に乗り換えクジラの町太地へ。太地からは町営循環バスで梶取岬へ行く。灯台の周りは緑化整備され、気持ちの良い場所であった。太地駅に戻り串本へ向かい、串本で宿泊した。今回の宿泊は費用を考慮しBHにしたが、自治体の旅行支援3,000円、加えてクーポン3,000円をもらえたので、随分得をした気分になった。さらにBH所有の天然温泉にも入れた。

22.11.19串本大橋と朝陽

22.11.19串本港北防波堤灯台

22.11.19トルコ祈念館

22.11.19エルトゥール号慰霊碑

 串本駅を中心に、コミュニティバスが非常に便が良く、午前中で樫野埼灯台と潮岬灯台を周ることができる。
 1890年(明治23年)9月16日夜半にオスマン帝国(現在のトルコの一部)の軍艦エルトゥールル号が、現在の和歌山県串本町沖にある紀伊大島の樫野埼東方海上で遭難し、500名以上の犠牲者を出した。樫野埼にはその慰霊碑がある。

22.11.19樫野埼灯台

22.11.19樫野埼灯台

22.11.19樫野埼灯台

22.11.19樫野埼灯台からの朝陽

 ここでエルトゥールル号の救出活動が行われたのかと、灯台入口で思いを寄せる。灯台を見ながら、コンビニで買ったサンドウィッチで朝食を摂る。
 灯台への道、周りはよく整備されていて実に気持ちの良い場所だった。パラパラと参観者の姿も見える。ここで2時間ゆっくりした。灯台の内部には入れないが、外階段が時間になると解放され、上に登れる。また、この日は関西文化の日で、旧官舎内も無料で入れた。帰路にはトルコ祈念館にも入り、エルトゥールル号の事故跡を見た。

22.11.19潮岬灯台

22.11.19潮岬灯台

22.11.19潮岬灯台

22.11.19本州最南端指標

 串本に戻り数分でバスを乗り換え潮岬灯台前で降りた。潮岬は女房とツアーできたことがあるが、灯台の記憶はないから灯台までは来なかったと思う。また、先日母の写真を整理していたら潮岬灯台を背景にした写真があった。まさに故人の思い出をなぞるような灯台旅である。灯台の敷地は広くないので写真を撮るにはあまり適しておらず、観光タワーに向かい途中にある展望台から灯台遠景を撮った。観光センターで本最南端訪問証明を買おうと思い、聞くと観光タワー入場券が証明書になっていると言うので予定ではなかったがタワーに上がった。カメラを仕舞い、串本駅行きのバスの飛び乗ったが、ここでちょっとしたミスをした。

22.11.19和歌山城大手門

22.11.19和歌山城

22.11.19和歌山城からの夕陽

22.11.19大手門外の街並み

 串本で効率的に回れたので和歌山城に行く時間ができた。最初の予定では19日に御坊に宿泊し、20日は紀伊日ノ御埼、雑賀埼と回る予定だったが、20日が紀伊日ノ御埼灯台の一般公開日であったので、逆にして今日は和歌山で連泊することにした。シャワーを浴び夕食に出ようとすると、バス時刻表やワクチン証明が入った書類が見つからない。どこかに忘れたか。スケジュール表は持ち歩いているしワクチン証明は1回前のものだし、昨晩の夕食店に電話したが見つからないので仕方ないかと諦めた。この日の夕食はBH推薦の居酒屋で済ませた。

22.11.20雑賀埼灯台

22.11.20くろしお号

22.11.20紀伊日ノ御埼灯台

22.11.20日ノ御埼灯台

 翌朝リュックは宿においてカメラだけ持ち雑賀埼灯台へ向かう。この日の天気予報は一日雨で一般公開が中止になる心配もあったが、幸いまだ雨は落ちてない。雑賀埼灯台は参観灯台ではないが、周囲は整備されている。外階段が付いていて展望もできる。
 御坊に着くとBHから電話で、潮岬で忘れ物をしなかったか、と問われ、あの忘れ物は潮岬だったかと連絡を取ると着払いで送り返してくれるという。親切に感謝である。
 和歌山から御坊往復は余分の費用(5,020円)となるが、日ノ御埼灯台の一般公開が14:00-17:30なので仕方ない。公開時間からすると灯台からの夕陽を狙ったものだろうか。御坊で下車し、海猫島まで乗客は途中一人乗降車したが他は私一人。海猫島から灯台まではダラダラと登り道が続き徒歩40分の行程。正直なところ、車が脇を通り抜けるたびに恨めしい。
 灯台に着くとスタッフが二人がいて他には人はおらず一般公開にしては寂しい。一通り写真と撮った後灯台に上ったが、スタッフが丁寧に説明をしてくれた。灯台の近くに、高浜虚子の句碑が建っていて、「妻 長女 三女 それぞれ啼く千鳥」と刻まれている。太平洋戦争後、長女が赤痢に罹り、長女、妻、三女を次々に亡くなった過酷で悲しい灯台守の話が心に残った。紀伊日ノ御埼灯台と徳島県阿南市の蒲生田岬灯台を結んだラインまでが瀬戸内海と定義されていて、非常に重要な灯台となっている。その後パラパラと車で参観する人達が来た。帰路は下り坂で、海猫島バス停まで途中野の花を見ながら小一時間かけて戻った。

22.11.21加太港第1防波堤灯台

22.11.21加太港第2防波堤灯台

22.11.21田倉埼灯台

22.11.21日帰り加太温泉

 最終日は加太(かだ)港から船で友が島へ行く予定。天気は曇りだが昼頃から晴れる見込みで波も高くない。しかし乗船場に行くと今日は風が強く欠航だという。予め確認しなかったのが失敗。そういえば昨晩、明日は友が島に行くというと店の主人が「友が島ネ。あそこは運行が・・・」という。天気予報では天候は安定しているしあまり気にしなかったが、どうやらすぐ欠航するらしい。次回行くときも事前にチェックが必要そうだ。
 しかたなく加太港にある第1、第2防波堤灯台をみて、今日の予定を検討した。ネットで調べるとここから徒歩20分先に小型の田倉埼灯台がある。結局田倉埼灯台へ行き、戻ってから11時から利用できる日帰り温泉でゆっくりすることにした。
 風呂は旅館の5階にあり眺望もいい。最初は私一人だったので、リュックから酒を取り出しチビチビやった。空を見て、海を見ての日帰り温泉に小1時間ばかりいて十分ゆったりでき、今回の旅を振り返った。

<後記>
今回周った和歌山の灯台は比較的整備された場所にあり、また交通の便も良い。また朝陽、夕陽が綺麗に見える場所でもあった。友が島灯台に行けなかったのは残念であったが、また次の機会にした。
潮岬で忘れた書類が届き、お礼の電話を掛けた。一番助かったのは「大人の休日クラブ」の会員証で、これがないと次の更改まで旅行ができなかった。お礼にお菓子を送ったが、すぐにお礼の返事があった。こんな出会いもいいのかも。