60. 北陸の灯台
令和6年(2024年)1月1日に石川県能登地方を震源とした能登半島地震が発生し、死者は245人、全壊家屋は8,582棟にのぼっている。一日も早い復興を願うばかりである。越前海岸は学生の頃一人で行った。下から遠く越前岬灯台を見た記憶がある。まだ震災の影響は残っているが、越前岬を中心に石川県の灯台も可能な範囲で尋ねてみようと思う。天気は南太平洋に台風1号が発生し、日本海には前線を伴う低気圧が近づいている。雨は覚悟の上である。
散策日
|
令和6年(2024年)5月26日(日)ー5月28日(火)
|
---|---|
所 感
|
![]() |
|
|
|
|
雨を覚悟の旅で、レインウェア上下、スパッツ、傘、リュックカバーと雨の準備万端。26日はまだ大丈夫のようだ。大宮から金沢までは2時間ちょっと、ずいぶん近くなったものだ。駅弁も食べ、金沢を過ぎると加賀温泉、芦原温泉と温泉が続くが、ここは今回パス。福井からのバスは13:15しかないので、その前に加賀温泉で下車し加佐岬灯台に立ち寄った。生憎駅からバスは時間が合わずタクシーで向かった。灯台は四角い塔で中型ながらすっきりした姿である。灯台ではボーイ/ガールスカウトの一団と会った。帰路は北前船の里資料館へ行き、キャンバスで加賀温泉駅まで戻った。バス切符は一日券しかなく1,100円はちょっと高い。
|
|
|
|
福井へは数年前に恐竜博物館に孫を連れて行ったときに来た。駅前の動く恐竜を見るとその時を思い出す。唯一このバスという13:15のバスに乗る。水仙ランド入り口まで70分。越前海岸は学生の頃に来たがこのときは武生側からバスで来た。帰り際に振り替えると遠く越前岬灯台が見えた記憶がある、半世紀振りか。水仙ランド入り口でバスを降り灯台はここから1kmの崖上にある。灯台周りは木々が邪魔して展望がきかないが、さらに上ると展望台がある。夕日もいいだろうなと思うが、今晩の宿はこの先3km、夕日の時間までは待てない。
水仙ランド入り口まで下りてさらに2km歩いて玉川温泉にある宿につく。近辺にまともな居酒屋はないかも知れないと思い夕朝食付きのプランにしたが、翌朝は水仙ランド入り口発6:26なので朝食は辞退した。タクシーもなさそうだし歩くかと思っていたところ、バス停まで車で送ってくれるというのでありがたく感謝。越前蟹のシーズンはどうか分からないが、シーズンオフだと客もおらず、水仙ランド案内所は荒れていて侘しさを感じる。朝方雨は降っていたが、どうやら今日一日は何とか持ちそう。
|
|
|
|
福浦灯台へ行くのも一苦労で、金沢荒七尾線で羽咋に出てそこからバスで富来(とぎ)行く。富来からはコミュニティバスで15分。なにしろ一日にこのバス1本しかない。帰りはタクシーを予約した。富来で時間があったので昼食を摂ろうとしたが、当てにしたバス停近くの食堂は閉まっている。休業中か定休日か。確かに街中にはいたるところブルーシートがかけられ、震災の傷跡が残る。辺りを彷徨いバス停に戻ってきたら先ほど閉まっていた店が開いていて昼食を摂れた。
福浦灯台は中型ながら52年に旧灯台を引き継いだ比較的新しい灯台だった。ここは新灯台よりも旧灯台が有名で、日本最古の西洋式木造灯台である旧福浦灯台が残る。時間調整で旧灯台前のベンチで風に吹かれながら目の前の海を眺め時間を過ごした。
翌日は再び七尾線で七尾まで行くので和倉温泉まで出たほうが便はいいが、温泉宿が営業していなかったり適当な宿もなく、また、七尾からのバスは昼過ぎしかないので、金沢市内の大野灯台へ行く都合もあったので金沢に戻った。
|
|
|
|
朝起きると雨の音、やっぱり来たか。雨雲レーダを見ると日本列島がすっぽり雨雲に覆われている。今日一日中は雨だろうと覚悟する。ホテル近くの中橋バス停から大野港に行こうとしたが、雨で市街のバスは遅れに遅れ15分遅れて来た。もともと大野灯台では30分しかとっていない。時間的にかなりやばい状況である。バス停からスマホを見ながら灯台を目指し、10分弱で灯台を後にした。大野灯台は日本灯台50選に選ばれているが、立地状況、立ち姿を見るとそれほどのものかと少々期待外れだった。
金沢駅に戻り七尾線で七尾へ行き、雨の中を能登観音埼灯台を目指す。バス停から10分ほど歩くと灯台に着いた。立ち入り禁止のロープがあったが、ここは失礼して中に入り写真を撮り雨が降り続く中長居もできず早々に引き上げた。やはり雨の灯台巡りはしんどい。
七尾駅には能登地震のボランティアに対する感謝の張り紙があった。まだまだあちこちにその影響が残るようだ。
<後記>
悪天候が予想されたが、一番行きたかった越前岬灯台はなんとか天気がもってくれて、なによりだった。二泊とも温泉に入れたしまずまずか。