喜びも悲しみも

 昨年12月、亡き妻の七回忌を行った。数日前に「お斎のお礼のときに歌ってもいいかな」と姉に相談した。当然ながら「いくら親戚ばかりだとは言え、非常識じゃない?」と反対された。妻側の参列者は義兄夫婦と義弟夫婦の4人の予定であったが、その一月前、義兄から電話があり、参加予定だったが体調が悪いので義姉だけ行くという。その時は「お大事に」と電話を終えた。七回忌当日、義弟から「隠していても仕方がないのではっきり言うが、兄は癌が見つかり、年内も危ないと言われていて、今は自宅療養している」と言う。驚いたが法要の前でもあり、それ以上は聞けなかった。法要は滞りなく終了し、お斎の場に移動し、挨拶の時となった。法要参列のお礼と故人のことなど話した。一呼吸おいて、「最近灯台を巡っている。今日は非常識かもしれないが、歌いたい歌があるので聞いて下さい。」と言って、「喜びも悲しみも・・」の四番を小声で歌始めた。「星を数えて 波の音聞いて、共に過ごした 幾年月の」歌い始めて、少し涙ぐんでしまった。 と、同時に左側の方から唱和する声が聞こえた。左手には義姉、義弟夫妻が座っている。「喜び悲しみ 目に浮かぶ 目に浮かぶ」唱和したのは年齢から考えても義姉かもしれない。他方、それは私の幻聴で、亡き妻が唱和したのかもとも思った。普段超自然現象はあまり信じない方だが、このときはそれもいいと思えた。左手を振り向かないまま歌い終え挨拶を終えた。
 数日後、義兄のお見舞いに行くことになり、義姉、義弟と会う機会があった。義姉、義弟に「ところであの日、私の歌に合わせて歌いました?」と尋ねると、義弟が「そうそう、姉さんが歌っていた」という。声の主が分かって一件落着と言うところである。義兄は一見元気そうだったが、元気だった昔の面影はなかった。帰り道歩きながら、いくら歌詞を知っているからとはいえ、同居していたわけでもない義妹のために、それも七回忌の席で唱和するだろうかと疑問に思う。「あれは自分と余命少ない義兄との今までの生活を思い、つい口遊んだのだろう」と気が付いた。その歌を歌う義姉の気持ちもいかばかりだったろうと思う。席を弁えず、歌う私とそれに唱和する義姉はまわりからは浮いていたかもしれない。
 その義兄は今年の正月三日亡くなった。78歳の早過ぎる旅立ちだった。酒の好きな義兄だった。6人兄弟の中心的人物で、兄弟思いの義兄だった。小学校校長を勤め上げ、多くの生徒から慕われていた。定めと理解しながらも、人がいなくなるということは、ポカンと穴が空いたようで、説明しがたく寂しいものである。今月大山参りに誘われた。大山参りは亡くなった日から101日目に行くと、亡き人に似た会えるという言い伝えがある。まだ亡くなった人への思いが癒えない時期の、切なくも心暖かい日でもあると思う。

 勧酒/さよならだけが人生だ 
 勧君金屈巵 君に勧む 金屈巵(きんくつし)
 満酌不須辞 満酌(まんしゃく) 辞するをもちいず
 花発多風雨 花ひらけば 風雨多し
 人生足別離 人生 別離足る